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遥かなるチェッカーの先へ  作者: 綾部 響
2.最速の乙女たち
9/42

本来の実力差

千迅と紅音を先行させたにもかかわらず、のんびり気分の帆乃夏。

しかし千晶より忠告を受け、帆乃夏もそのままマイペースでやり過ごす訳にはいかなくなっていた。

 千晶に脅し? とも取れる檄を飛ばされて、帆乃夏は先行を許した2台のマシンを追撃する事にしたのだった。

 彼女としても、折角気持ちよく抜かせてあげたにも関わらず、再び抜き返さなければならない事に何も思わないという訳でも無い。

 勿論、自分より遅い相手を先行させて、後から抜き去り優越感に浸る様な意地の悪い性格の持ち主だという事も無い。


「折角気持ち良く走ってたんだろうけど―――……。ごめんね―――」


 しかし理由が理由である。

 帆乃夏としても選択肢など無く、すぐに前を行く千迅と紅音を抜き去るべく行動を開始したのだった。


 その時前を行く2人は、激しくデッドヒートを繰り広げていた。

 双方の条件は殆ど同じ。初めて走るコース、そしてセッティングは自分達に合っていない借り物のマシン。

 これほどのコンディションで走る機会など、そうそう訪れる事ではない。


「あなたと私……ここで実力差をハッキリとさせてあげる」


 千迅の背中を睨みつけながら、紅音はそう独り言ちた。


「うはっ! 紅音ちゃん、本気で来る気なんだっ!?」


 そしてそんな紅音の気迫を背中に感じて、千迅は声を弾ませて焦りの色を浮かべた。

 マシンをコントロールする事も至難な今の状況で、それでも紅音は千迅に仕掛ける気満々であり、対する千迅もその挑戦に喜色ばんでいる。

 ただしこの勝負、リスクは共にあるものの、どちらかと言えば千迅に不利な事は否めない。

 中等部時代から、マシンコントロールには飛び抜けていた紅音である。

 それに引き換え千迅は、どうにも転倒の多いライダーである事は自他ともに認める事実であった。

 そんな千迅に、今のマシンではスピードで紅音を引き離す事など出来ない。

 不慣れなマシンで転倒の危険性も孕んでいるのに、転倒率の高い彼女が本来のライディング(・・・・・・・・・)をする事など出来よう筈も無いのだ。


 因みに、レーサー用のマシンには殆どATS (アンチ・ターンオバー・システム)が装着されていない。つまり、操作を誤れば簡単に転倒するという危険があるのだ。

 これには色々と理由があり、転倒が確実に防止されている……しかもそれが機械的にともなれば、レースとしては面白みに欠けるという事が一つ。

 そしてこちらの方が重要なのだが。

 一定の角度よりも倒れないように制御され、それ以上に傾倒するならば機械的に減速しマシンを起こそうとするシステムは、レースをする上で邪魔なのだ。

 故にレーシングマシンには、その様に余計な機能を排除されている。

 コーナーリングスピードを、ブレーキング以外ではそのバンク角度でコントロールするバイクレースにおいては、このATSは不要な機能なのだ。

 だから千迅は、レースにおいて転倒失格を頻繁に起こすライダーだったとも言える。

 そしてそれは、レーシングライダーとしては致命的だったかも知れない。


 それでも千迅は、中等部時代にゼッケン2を付けていたのだ。普通の運転(・・・・・)ならば、それなりに上手く熟す事も出来た。


「こん……のぅ!」


 迫りくる紅音に対して、前を行く千迅はインを開けないようにコーナーリングを決める。いわゆるブロックラインだ。

 そのテクニックも、決して「下手くそ」と言うほどではない。

 しかし普通の運転で抑え込めるほど、千迅の背後から迫る迫力は普通では無かったのだった。


「そんなブロックライン……隙が見え見えよ」


 千迅のコーナーリングに穴を見つけて、紅音はいつ前に出ようかじっくりとその時を吟味していたのだが。


「……えっ!? 何っ!?」


 真っ先のその接近を察知したのは、当たり前と言おうか紅音だった。

 接近……とは違う。

 近付かれた事にも気付かずに、マシンにカウルを並べられて初めて紅音は帆乃夏の存在に気付いたのだから。

 紅音とて、中等部でも何度もレースを経験している。中等部全国大会にも出場し、そこで好成績を収めていたのだ。

 そんな彼女だからこそ、後続の存在にピッタリと張り付かれるまで気付かないなど有り得なかった。

 ましてや並走されるまで勘付かないと言う事など有り得ないと言って良い。


 前走者を抜こうとする時、後方からの発せられる意気込みや雰囲気と言うのは確かに感じられる。

 マシンを近付ければ、マフラー音やエンジン音、視界の端に映る姿が、感覚となってどれ程前に集中していても察する事が出来ると言うものだ。

 それが紅音には、感じられなかった。帆乃夏が近付き、自分に車体を並べられるまで気付きもしなかったのだ。

 その鮮やかで優雅な挙動は、滑らかに海を泳ぐイルカを連想させた。愛らしく可愛い外観だが、獲物に対しては狩人を思わせる精悍な動きを見せる。

 それが紅音に驚愕となって襲い掛かっていた。

 千迅と紅音は、共に自分が今のベストだと思われるラインで走行している。

 そんな彼女達の反対方向……彼女達がインに付けばアウトから、アウト側に車体を振ればイン側へと、まるで逆を行くかの如きラインで帆乃夏が攻め込んで来たのだ。

 余りにも鮮やかに、そして淀みなくスルスルとインに付かれて、紅音は成す術無く帆乃夏に抜かれたのだった。


「信じられない……。これじゃあ、何処でどうやったって、防ぎ様が無いじゃない……」


 帆乃夏の背中を見つめながら、紅音はそう呟く以外に出来なかった。


「ええっ!? 先輩、一体いつの間にっ!?」


 その動揺は、千迅も同じく受けていた。

 後方を走っていたのは紅音だとばかり思っていたのに、気付けばそこにいたのは帆乃夏なのだ。

 イルカの様なライディングは、愛らしい姿で人懐っこい性格だがその速度は目を見張るものがある特徴に合致している。

 そして獲物と定めた者を前にした帆乃夏は、スルリと詰め寄り千迅に肉薄していたのだった。

 マシンを前に走らせるのがレースの大前提である以上、千迅の意識は後方よりも前方に向くのが当たり前である。

 それでも、何時仕掛けて来るか分からない紅音を気に掛けるのもまた必要な事であり、千迅とてそう対処していた。

 それにも拘らず、僅かの間に後方を走るマシンが変わっていたのだ。それが驚きに値しない者は恐らくいないだろう。

 インを取った彼女のそんな気持ちなどお構いなく、大外からバンクするバイクに覆い被さる様にして帆乃夏が千迅に前輪を並べた。

 左コーナーを立ち上がって並走する2台のマシン。次に迫るのは、右コーナーだ。

 そうなれば、どちらがインに付くのかは……言うまでもない。

 帆乃夏が先にコーナーへと侵入する形になり、更にそのコーナーを立ち上がった時には勝敗は決していた。

 再び千迅と紅音を従えて、帆乃夏がマシンを加速させていたのだった。




 その光景を見ていた美里は、思わず口笛を吹いて感心していた。


「まったく、いつ見ても鮮やかなもんだ」


 帆乃夏の攻撃(アタック)は、傍から見ていても舌を巻くほどにスムーズだったのだ。

 恐らく千迅と紅音には、いつの間に接近され攻撃され抜かれたのか、それすらも良く分かっていないだろう事が想像される程に。


「これであの性格が無ければ、全国高校大会(インター・ハイ)でも優勝出来る実力があるんじゃない?」


 そしてそのまま、その質問を千晶に向ける。いや、質問と言うよりも確認か。


「本当に。あの子は、私よりも速くなる素質があるのに……ねぇ」


 それを受けて千晶は、頬に手を当てて本当に困った風な声音で、眉根を寄せてそう答えた。


「ええっ!? あなたよりも速くなんて……それはちょっと、買い被り過ぎなんじゃない!?」


 その答えを齎した千晶こそが、昨年のイン・ハイ王者なのだ。

 誰が何と言おうとも……いや、誰しもが認める高校最速は彼女なのである。

 美里の驚きや指摘は常識的なものであったが、それに対して千晶は何も答えずに、ただコースに目を向けるだけであった。




 いとも簡単に千迅と紅音を抜き去った帆乃夏であったが、その心情は何ともバツの悪いものであった。


「ほんっとにごめんね―――。本当は楽しく走ってもらいたかったんだけど―――……」


 彼女とて、明らかに自分よりも実力の劣る(・・・・・)下級生を弄ぶ真似はしたくない。だが結果としてそうなってしまったのだ。

 これが他校の、名も知れない学生ならば、帆乃夏の気持ちも少しは紛れたかも知れない。

 しかし千迅と紅音は、これからのクラブ活動生活でずっと一緒に過ごす事となるのだ。

 それを考えただけでも、どうにも彼女の気分が陰鬱となるのは仕方がなかった。

 それでも帆乃夏は、その速度を緩めない。

 先程まで千迅と紅音は、1分58秒台を叩きだしていたのだが、今の帆乃夏は55秒台をキープしている。

 それは今の2人が出せる速度では無いと、そう判断してのものだった。

 獅子は兎を駆るのに全力を尽くす……と一般に言われているが、それは彼女には当て嵌まらない。もっともこの場合は、イルカは……となる訳だが。

 どうにも甘い性格だと言えなくも無いが、それも生来の性分なので仕方の無い話であった。

 もっとも、もう2度と前を取られる事は無い……そう帆乃夏も、そしてそれを見守る千晶と美里も確信していたのだった。


 そして周回は15周目に……ファイナル・ラップに突入する。


「あと、1周か―――……」


 帆乃夏にしてみれば、このままのペースを維持しながら走り慣れたコースをアクシデントなく走り切れば良い。

 正しく淡々と作業を熟すそれに似ていた。


「……えっ!?」


 ホームストレートを走り抜け第1コーナーをクリアした直後、帆乃夏はその影に気付いて思わず声を上げていたのだった。


「あ……あいつ。ちょっと無茶じゃ無いのかっ!? 止めさせるべきだわっ!」


 その光景を見ていた美里もまた、千晶にそう進言していた。

 先程帆乃夏により抜き去られ、ペースアップした彼女には到底付いて行けないと思われていた千迅が、ただ一人オーバーペースとも思える速度で帆乃夏に追い縋り彼女を捉えようとしていたのだ。


「ちょっと、千晶っ!? 聞いてるのっ!?」


 そんな美里の言葉に反応を示さない千晶に、美里は再び問い質すも。


「ええ……そうなんだけどね……。でもあの子……面白いわ。それにほら、帆乃夏が……慌ててるわ」


 千晶の答えは、全くその言葉を聞き入れていないものであった。



千迅と紅音を完全に抜き去ったと思っていた帆乃夏。

いや、彼女だけではなく千晶や美里も同様であった。

しかしそんな考えを裏切るように、後方からは千迅が帆乃夏を猛追する。

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