双子、始動
レースは中盤を経て終盤へ。
勝ちたい者は、ここから動き出しラストスパートに備えるのだ。
戦闘集団は当然、千迅と紅音も勿論動き出す。
……そして。
練習試合も中盤となり、周回も15周を超えていた。
これから終盤に向けて、各々ベストと思われる位置に付く為の動きがあって然り。そしてそれは、目に見えて始まっていたのだった。
『……紅音ちゃん』
『ええ……。あの2人を抜くわよ、千迅』
千迅と紅音の前を行く6人の内、明らかに2人が脱落する雰囲気を発しだしたのだ。具体的にはじりじりと前を行く4人に離され、徐々に千迅へと近付いてくる。
本人たちしか知らない事だが、体力的に疲労したのか集中力を切らしてきたか、もしかするとタイヤの摩耗が予想以上に激しかったのかも知れない。
ともかく、先頭集団から外れたライダーたちは、後を追う者にとっては障害にしかならない。
千迅と紅音は、目の前のライダーたちを抜く為に動き出したのだった。
「海鈴、伊織。湯船と石本が後退したわ。気付いてる?」
先頭を行く6台の内、脱落してゆく2台を見止めた佐々木原雅が、コントロールタワー指揮所3Fから問い掛けた。勿論通信先は先頭争いをしている2人のライダー、海鈴と伊織だった。
『ああ、分かってる。……ったく、根性ねぇなぁ』
『もう……海鈴ってばまたそんな事』
雅の問いに答える2人の返答はやや荒っぽいものだったが、それも仕方のない事であった。
夏の太陽が照り付ける灼熱のサーキット場で、すでに30分以上を走り続けているのだ。暑さで気が立っているのは当然だが、そこに疲労も加味されており、気の許せない状況が続いていればその口も悪くなっておかしくはない。
「と言う事で、後ろからは多分翔紅学園の1年生2人が迫って来るわ。木島と山田のペアも相手にしないといけないのに、大変だろうけど頑張ってね」
雅の言う通り同じ学校のライダーが脱落した以上、先頭を走る翔紅学園のペアである木島美樹と山田香澄の相手をするのは、現在トップを走る伊織と3番手につけている海鈴、この2人となるのは自明だ。
言うまでもない事だろうが、それでもあえて告げたのは注意を喚起する意味もあった。
『ああ、大丈夫。こいつらも抜くし、1年生に後れは取らないよ。それよりも……』
『あの2人は、まだ後ろの方なのぉ?』
そして改めて注意を促されるまでもなく、海鈴と伊織にはその心構えが出来ていた。そのあたり、さすがは3年生と言うべきだろう。
そんな2人でも、気にせずにはいられない存在が後方に控えているというのだ。無論それは、千迅と紅音の事ではない。
「ええ。そろそろ順位を上げてくると思うけど。まだ目に見えて動きはないわねぇ」
その問い掛けに、雅は嘆息とともに答えていた。その様子を見る限りで、どうやら後方を走る2人組はかなりの気まぐれだと言えた。
『……ちっ。あの気分屋共め。……これは、後で特訓確定だな。なぁ、雅?』
『うふふ。という話をあの子たちにしておいてね、雅』
本気を出していないのだろう2人組に向けて海鈴が苛立ちを露わとし、伊織がその旨を告げる様に雅へと話す。
1年生コンビとの連携は考えられないとはいえ、その可能性がない訳ではない。前後から翔紅学園のライダーに攻められれば、さすがに苦戦は免れないと判断しての言葉だった。
「……と言う事よ、万理華、瀬理華?」
もっとも、この会話内容はすでに木下万理華と瀬理華の双方に繋げられており。
『ええぇっ!? そら、ちょっとひどいんちゃいますぅ!?』
『そや! ウチらかて、結構真剣に走ってんのにぃ……』
先輩2人の声を聴いた木下姉妹は、思わずそんな抗議の声を上げていた。その声音に冗談は浮かんでおらず慌てている様な、恐れている風情さえ含まれていた。
「もう通信は切れているわよぉ。絞られたくなかったら、ここから本気を出す事ねぇ」
そして雅は、妖艶な笑みを浮かべて通信先の双子へ向けて最後通牒を口にしたのだった。
千迅と紅音のコンビは、先頭集団から遅れてきた2台のライダーを躱す事に成功していた。紅音の言う通り、元々ラップタイムで優っていたのだからこれは順当だと言える。
しかも、先頭集団に食らいついていった為にかなり疲弊していたのだろう。2人は然程時間を掛ける事なく抜き去り、単独3位グループの位置をキープしていた。
『……っ!?』
『あ……紅音ちゃんっ! これって……っ!?』
そんな2人が、後方より突如発生した異様な気配をほとんど同時に察知していたのだった。それは、レースに臨む者にしか感じられないものだったのかも知れない。
後ろを盗み見た紅音は、すでに崩れつつある第2集団その中ほどに、その気配の発生源を見つけた。
周囲の空気を支配して、その2つの気は蠢く蛇の様に行動を開始したのだった。
前を行く先輩2人と、指揮所にいる部長である雅に急かされる形で、木下万理華と瀬理華の姉妹はようやくやる気を発揮しようとしていた。
『ほな、瀬理華』
『うん、万理華。とっとと行こかぁ』
双子の姉妹は互いに声を掛け合うとまずは目の前を走るライダー、翔紅学園1年篠山貴峰をその標的に定めて襲い掛かった。
「きゃっ!? ちょっ……何っ!?」
先ほどまで何ら動きがなかったにも関わらず、突如として敵意を剥き出しに攻めて来た木下姉妹に対して、貴峰は思わず声を上げていた。ライダーならば後ろから仕掛けられる事は珍しくないのだが、その攻撃方法が彼女を戸惑わせたのだ。
『何っ!? どうしたの、貴峰っ!?』
彼女の声は、前を行く沙苗にも届いていた。突然の悲鳴に、沙苗が慌てて確認するも。
「ちょ……何なのよ、こいつらっ!?」
今の貴峰には、沙苗の質問に冷静な回答を口にする余裕などなかったのだった。今彼女は、2人のライダーに挟まれて走っていたのだ。
レースであればライダーとのドッグファイトもあり、並走する事も珍しくはない。しかしそれでも、その殆どが1対1での戦いであり、並走すると言っても2台並んでと言うのが専らだ。
3台同時に……しかも自分の左右に付けられるなど、貴峰にとっては初めての事であり困惑するに十分の出来事だったのだ。
『ほなら、このまま行くでぇ』
『あいよぉ』
イン側に潜り込んでいた瀬理華がそう告げ、万理華が何とも気の抜ける様な返事をしていた。
それは近所に買い物へと向かう時の様な、まるで緊張感に欠ける声音だったのだが、動き出した木下姉妹のライディングはそんな生易しいものではなかったのだった。まるで獲物に巻き付く蛇の如く、彼女達は捕まえた貴峰を締め上げてゆく。
『だ……だめっ! ごめん、沙苗っ! こいつら、行かせちゃった!』
ぴったりと息の合った動きで挟み込んだ貴峰を逃さず、そのままストレートもコーナーさえ並走する……いや、させられるのだ。
行くに行けず逃れるに逃れられない。そんな状態を続けられては、貴峰にはもう後退するしか道はなかったのだった。
「っ!? あの戦法は!?」
貴峰が抜き去られたシーンを垣間見ながら、紅音はその戦法に心当たりがあった。いや……忘れられなかったと言う方が正しいだろうか。
紅音の見たその光景は、以前にVRレースで千迅共々餌食となった作戦と全く同じだったのだ。
あの後何度も頭の中でシミュレーションを繰り返した紅音には、特に驚く様な事ではなかった。ただ、こんな場所で再会するなど意外だったのだ。
「あの2人、第一宗麟の生徒だったんだ」
意外と言う訳ではなく、その偶然に驚きを露わとしながらも、紅音は僅かにその口角を持ち上げていたのだった。
「あれ? あの走り方って……!?」
同じく後方を垣間見ていた千迅は、紅音と同じように、それでいて全く違う気持ちでそう呟いていた。その声音にはどこか嬉しそうな……期待する様な気持ちが込められている。
紅音ほど後方を見る事に長けている訳ではない千迅に確認出来たのはほんの僅かなシーンだけ。それでもその光景に、千迅は思い当たる節があったのだ。
……いや、その雰囲気にだろうか?
そう長くない時間であったが、千迅は真っ向からこの木下姉妹の戦法とやりあったのだ。その時の経験を忘れる訳がない。
そして忘れられないと言えば……。
「……あは!」
千迅にとってこの双子姉妹とのバトルは、忘れるどころか再戦を熱望するほどに楽しい時間であった。その気持ちが、小さく漏れた笑い声にも表れていたのだった。
『なんや、こいつら歯応えないなぁ』
『まぁ、それが普通の反応やろ』
貴峰を抜き去った木下姉妹は、すぐに前を行く沙苗にターゲットを当てながらその様な会話を交わしていた。
彼女たちも、この戦法に自信を持っている。いつでも使うと言う訳ではなくリスクもそれなりにあるのだが、それでも木下姉妹は好んでこの手段を行使していた。
この戦法の利点は、何といっても高確率で抜き去る事が出来る点にある。両側から挟み込まれたまま走り続ける事など、誰にでも出来るものではないからだ。
誰にでも効果がある訳ではないが、長時間並んで走り続ける事で相手の戦意を挫くこの方法はいろんな意味で非常に有効なのだ。
この戦法から逃れるには、今のところ方法は3つ。
1つは、先ほどの貴峰の様に後ろへ下がる事。これが一番確実かも知れない。
そして2つ目は、一気に抜け出して置き去りにする事。
木下姉妹よりもラップタイムが遥かに速いなら、この手段もまた有効だろう。わざわざ木下姉妹の仕掛けに付き合い続ける必要はないのだから。
ただしこの場合、自分のマシンにかなりの負荷を掛けるというデメリットも選択肢に組み込まなければならないのだが。
そして3つ目の方法とは……。
『あんなアホな事出来る奴なんて……』
『そやなぁ。そうそうおらんわ』
以前に、その3つ目の手段を取ったバカなライダーの事を思い出し、万理華と瀬理華は同じ様に含み笑いを零していた。
結果としてはそのライダーに勝った訳だが、それでも彼女たちは納得出来てはいなかったのだ。
『なぁ、瀬理華ぁ。もしそんな奴おったら……どうするぅ?』
『そんなん、決まってるやん。そん時は……』
沙苗を抜き去り、更には同じ高校の先輩2人をも躱し第二集団から単独で抜け出した木下姉妹は、目の前を走る紅音にターゲットをつけながらそんな会話をしていたのだった。
木下姉妹の攻撃が次々とライバルたちを飲み込んでゆく。
そして双頭の蛇の牙は、ついに紅音を……千迅へと向く。




