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遥かなるチェッカーの先へ  作者: 綾部 響
4.双頭のライダー
27/42

歓喜

紅音の後方より迫りくる2台のマシン。

明確な意思を以て、2つの風は紅音を捉え呑み込んで行った。

 息の合ったライドで、ライトグリーンとダークグリーンの塗装をチョイスした2台のマシンは躊躇なく紅音に襲い掛かった。


(こ……このタイミングッ!?)


 仕掛けてくるのは紅音とて分かっていた。千迅と違い、紅音は後方の動向にも常に目を光らせていたのだから。


 実践ならば、タッグレースの場合であればピットから状況の指示が飛ぶ。

 チーム戦という事は、何もコース上の者達だけがレースを戦っている訳では無い。ピットに陣取った味方のチームが作戦を告げ、また状況を報告したりもする。

 しかし今は、あくまでも練習である。実際にマシンを走らせる為の、仮想走行を行っているのだ。その中には、周囲に気を配ると言った〝マシンを前に走らせる〟以外の技術を習得させる意味合いもあった。

 特に紅音は、その事を無意識にだろう実践しており、だからこそ後ろから迫りくるライダーたちの存在も、そんな彼女たちがどの様に順位を上げて来たかも分かっていたのだ。


 それでも、紅音には2台のマシンを抑えきる事が出来なかった。


「……くぅっ!」


 それも当然と言える。

 2台のマシンは、まるで1台が分身したかの如き同じ動き……呼吸で(・・・)仕掛けてきたのだ(・・・・・・・・)

 インとアウト、同時に攻め込まれると言う普通なら考えられない攻撃に、紅音は思わず躊躇してしまった。つまり……。


 どちらをブロックするか。


 と、判断を戸惑ってしまったのだった。

 この、ほんの僅かな思考のタイムロスが、仕掛けている彼女達の狙いでもある。

 一瞬の思惟の空白が齎すものそれは……行動の硬直である。

 どちらを食い止めるかと考え迷った紅音の身体は、結局どちらのマシンにもブロック行動を取る事が出来ず。


「……しまったっ!」


 結果、2台に並走を許してしまったのだ。

 まるで左右から拘束されている様に3台並走してコーナーへと突入した紅音は、両側にぴったりと張り付く2台のマシンに驚愕し、そしてその仕掛けに気付かされていた。


(なるほどね……! これじゃあ……っ!)


 完全にラインを消され、インにもアウトにも自分のライディングをする為のスペースを取れない。

 スペースを潰されてしまっては、ただ道なりにコーナーを回る事しか出来ず、それではスピードを殺されても仕方がなかった。

 対して両側の2台は、イン側にもアウト側にも僅かながらに自由が利く。完全に自分の得意なラインではなくとも、ある程度融通の利いた走りが出来るのだ。

 挟み込んだ相手が不自由に四苦八苦している状態なのだから、抜き去るには十分に有利な状況だと言えた。


『千迅っ! 抑え込みに失敗したわっ! そっちに2台行くからっ!』


 とりあえずの負けを認めた紅音は、前を行く千迅にそう警告を発した。

 それまで紅音から話し掛けられる事など無かった千迅は、インカムからの紅音の声に驚きもしたが。


『うんっ! 分かったっ!』


 状況をある程度把握して元気よく返事をした。

 もっとも、紅音からそんな警告を貰おうとも千迅に論理的なライディングなど望むべくもないし、彼女が何を分かってそう返答しているのか疑問な処なのだが。

 ただし、如何に2人に事態を打破する為の方策がなかったとしても、紅音を抜いた2台のマシンがそれを汲み取り待ってくれる事は無かった。

 後方より千迅へと襲い掛かる2人に、何ら躊躇する素振りなど無い。それどころか、まるで鏡写しを見るかの様に寸分の狂いもない息の合ったコンビネーションで、風を巻いて千迅へと仕掛けた。


(なんて……鮮やか!)


 それを後方で見ていた紅音は、思わず感嘆してしまっていた。それほどに、前を行く2人の連携は見事だったのだ。

 千迅の視界に入るかそうでないギリギリまで、アウト側のマシンが突出する。それを具に感じ取った千迅は、思わずアウト側に意識を傾けてしまった。

 その僅かなスキを突き、イン側のライダーが千迅の内側にバイクを滑り込ませ、それに瞬間慌てた千迅を嘲笑うようにアウト側のライダーも千迅のマシンに並んだのだ。

 このやり取りが、ほんの僅かな間に執り行われた。

 初めてこれをやられる選手は、恐らく誰であろうともこの状態に持ち込まれていた事に疑いはない。紅音はそう結論付けていた。


(……でも。今回は相手が悪かったかも……ね)


 紅音はすでに、この状況を冷静に分析していた。

 今すぐにこの劣勢を挽回するには、何よりもラップタイムに差があり過ぎる。それにこれはあくまでも練習であり、今から慌てる必要など無い。

 紅音の考えは「次にこれを仕掛けられたらどうするか」という、この経験を活かした思考だった。

 今回は負けを認めても、次にはそう思惑通りには行かない……いや、行かせない。紅音の考えは、次戦を見据えたものであった。

 獲物を冷静に観察する狼のように、彼女は深く静かな瞳で千迅に襲い掛かる2人のライダーを観察していた。

 ただし、それほど諦めが良いという性格でもなかった。

 紅音には、前を行く2人のライダーにとって、圧倒的に計算外な事があるとも理解していたのだ。


 それは……千迅という存在だった。




『……何か……こいつ、変やない?』


 千迅をアウト側から抑え込んでいる……はずであるライダー、ヤナハ資立第一宗麟高等学校1年「木下万理華」は、双子の妹「木下瀬理華」に怪訝な声音で話し掛けた。

 彼女は、千迅がこれまで抜いて来た選手とはやや毛色が違うと具に感じ取っており。


『ほんまやねぇ。な―――んか、ちゃうよねぇ』


 問い掛けられた万理華の妹、瀬理華もまた、姉の言葉に同意を示していたのだった。


 ヤナハとは、世界に名だたるヤナハ発動機の事なのは日本中……いや、世界中の人々が知る処だ。第一宗麟高等学校とは、そのヤナハが資本出資している学校であり、いわゆる翔紅学園と同じ様な学校である。

 木下姉妹は今年この学校に入学した1年であり、それはそのまま千迅や紅音と同学年という事でもあった。


 2人がそう感じたのは、千迅を挟み込んですぐの事だった。

 本当ならば、その状態でコーナーに進入しようものなら……いや、その手前ででも挟まれた側は違和感を覚えて委縮し、ペースを落としてしまう。

 そのままコーナーに突入しても、自分のラインやライディングが維持出来ない状況なのだから、やはりスピードは落ちてしまう。

 だが目の前にコーナーが迫っても、千迅がペースダウンする様子も、その気配すら感じられないのだ。常と違う感覚に襲われていたのは、木下姉妹も同様であった。


 3台のマシンがカウルを見事に揃えて、まるでパフォーマンスでも見るかの様にコーナーを曲がって行く。

 千迅にしてみればベストラインには程遠い筈であるのに、それに臆した様子もなく、強制されたラインをトレースして行った。

 それも、1つのコーナーだけではない。その次も、そしてまたその次のコーナーも、3台は示し合わせているかの如く並んだままでコーナーをクリアして行ったのだった。


『なんやぁ、こいつ』


『ほんま、なんぼバーチャルゆぅたかて、怖ないんかいな?』


『こんだけライン潰されとって、突っ込み速度がさっきから変わってないで』


 並走しながら木下万理華と瀬理華は、恐れを知らないライディングを見せる千迅に少なからず慄いていた。


 レースで最も恐ろしいのは、やはり転倒であろう。自身のコンディションやマシンのセッティングがどれほど良くとも、転倒してしまえばそれは全てパァ……無意味に帰すのだ。

 全力を出し切る前にレースが強制終了させられる感覚は、それを経験した者にしてみればこの上なく嫌なものである。

 ましてドッグファイト中のコーナーで転倒でもされれば、倒れた選手だけでなくその外側を走るライダーも巻き込まれること必至だ。こうなっては、貰い事故を受けた方も釈然としない結果となる。

 誰もそんな後味の悪い結果など望まないのだから、退く時には退くという事をライダーならば心得ていて然りなのだ。

 それにも拘らず、千迅はと言えばそんな事を恐れている様子がない。

 自分が転倒する事も、そしてその結果相手を巻き込んでしまうかも知れないという事も、まるで考えていないかの様に……変わらないリズムで走っていた。まるで、この状況を楽しんでいる様に。


『……なぁ、瀬理華』


『……うん、万理華』


『……こいつ』


『……笑っとるなぁ』


 そんな千迅に興味を抱いた2人は、彼女の発する嬉々とした気勢を感じ取り、その感情を読み取ると同時に驚愕していたのだった。


 進化したVR機能は、バイクレースにおける詳細なマシンの挙動を再現し現実にフィードバックするだけでは無かった。

 レーサーの発する焦りや意気込みと言った、所謂雰囲気さえも再現していたのだった。

 勿論これは、あくまでもプレイしている側の思い込み……錯覚かも知れない。事実メーカーの仕様には、その様な事は記載されていないのだ。

 それでもこのレースを体験した者は皆、例外なく「気配を感じる」旨の感想を述べている。

 昔からネット越しでも相手の感情が何となく分かるという事も事例としてあり、より高性能と化したヴァーチャルが操作する者の気配を発する事も頷ける話であった。

 そして木下姉妹もまた、横でマシンを駆る少女が歓喜している事を……感じ取っていたのだ。


 状況は千迅にとって最悪で、改善される兆しはない。ラップタイムの違いも明白で、千迅が木下姉妹を振り切れる要素など微塵もないだろう。

 このまま走り続けても体力や気力が削られるだけで、なんら好転する様な条件は無いのだ。

 正しく千迅にとっては追い詰められている状況にも関わらず、彼女は喜びを露わとし、ただ真っ直ぐ前を見つめていたのだった。


「あは……あははっ!」


 そして遂に千迅は、気勢だけではなく声にもその気持ちを表し笑いを零していた。それは決して強がっている訳でも、ましてや自暴自棄になっているでもない。

 その証拠に彼女の瞳には、力強い光が灯っていたのだから。


「何、これ!? すっごく……おっもしろ―――いっ!」


 新しいおもちゃを与えられた子猫の如く、どこまでも無邪気で恐怖を感じていない……いや、その存在さえ把握していないかの様な喜びを露わとした気勢をまき散らして、千迅は双頭の蛇の攻撃を……楽しんでいた。


 再び、3人にコーナーが迫る。随分とRのきつい作りとなっており、しっかりと減速して進入しなければならないコーナーとなっていたのだが。


『こいつっ! やけくそかっ!?』


『あかんっ! 瀬理華、ウチ、こいつ抜くでっ!』


『ちょっ! 待ちぃな、万理華っ! こいつ、ウチに押し付けるきぃかっ!?』


 このままでは、千迅のクラッシュに巻き込まれる危惧をしたのだろう、イン側にいる万理華がこの状態を放棄し、千迅を抜きに掛かると瀬理華に告げたのだ。

 相手の動揺を誘い、2人同時に且つ安全に相手を抜く作戦に徹していた木下姉妹だが、千迅の無謀とも思えるツッコミ……チキンレースに付き合う事を、早々に諦めたのだ。


(……あなた。……また悪い癖が出たわね)


 そんなやり取りが行われているとは知らない紅音は、後方から嬉々としている千迅の背中を見つめ、嘆息交じりにそう思ったのだった。


紅音の言う「悪い癖」を発揮させてしまった千迅。

そして、それに慄く木下姉妹。

凶器を孕んだドッグファイトの結果は!?

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