バイクの催し物
現れたのは、紅音と精神的に対立している桧山美楓祢であった。
彼女の心酔する「電気バイク」や「ハイブリッドタイプ」は、今の紅音たちとは相いれない。
対応に窮する紅音に、千迅の何気ない一言が場の空気を変えた。
紅音と千迅の前に現れた桧山美楓祢が、周囲にいた同級生との挨拶を終えて、改めて紅音と千迅の方へ向き直った。それは見方によっては、まるで対峙している様にも見える。
もっとも、千迅の方はそんな気持ちなど抱いておらず、美楓祢も千迅にその様な心情など持っていなかった。
敢えて言うならば、紅音と美楓祢が感情的な対立をしており、その関係は実に中等部時代より続いていたのだった。
それは偏に、その思考や行動が紅音たちと決定的に違っていたからに他ならなかった。
自動二輪に魅せられ、バイクのレースに心酔し、ガソリンバイクの奏でる爆音を心より愛している紅音や千迅とは違い、美楓祢は自身の納得したものに影響され積極的に取り入れて行く性格をしていた。
そして彼女は〝次世代のバイク〟と呼ばれる「ハイブリッド・バイク」や「電動バイク」に興味を持ったのだった。
世はエコを重んじる時代。
有限な化石燃料に頼るのではなく、様々な方法で得る事の出来るクリーン・エネルギーに注目が集まっていた。
近い将来で考えれば、現在動力をガソリンとしている乗り物の多くはいずれこのクリーン・エネルギーを使用する物に取って代わると考えられていたのだ。
そして美楓祢は、そんな「次世代のバイク」に感銘を受け傾倒していった。
日進月歩で性能が向上して行く「電動バイク」に、これ以上ない魅力を感じていたのだった。
しかしそんな考えは、ガソリンバイクを愛する紅音たちに受け入れられる訳がない。
中等部自動二輪倶楽部はガソリンバイクを使って活動しているのだから、美楓祢の言う「次世代バイク」を認める訳がないのだ。
更に言えば、認めた処で即座に中等部自動二輪倶楽部の方針がどうにかなる訳でも無いのだが。
「……別に。あなたの話題なんてしていないけど……」
改めて美楓祢と向き合い、紅音はそう口にした。
その言葉に偽りはなく、ただ話の流れで美楓祢の名前が出て来ただけで、別段何か話題としていた訳では無いのだ。
「あら、そうでしたの。それは残念」
おかしそうに手の甲で口元を隠し、まるで失笑を堪える様にして美楓祢はそのように返した。
勿論、彼女にとってその仕草に他意はなく、至っていつものポーズなのだが。
どこか「似非お嬢様」を模したその立ち居振る舞いは、ともすれば相手を馬鹿にしている様であり神経を逆撫でする可能性がある。
だがこの場にいる誰もが、それがこの少女……桧山美楓祢の「キャラクター」だと知っており、今更その事に腹を立てる者など居なかった。
「ねぇ、美楓祢ちゃん。私達、部活見学会に参加してるんだぁ。それで今日、第三にも行こうかなぁって思ってるんだけど」
「まぁ……」
「それで第三って、どんな感じなのかなぁって」
美楓祢の言葉を最後に押し黙った2人に変わり、改めて口火を切ったのは千迅であった。
彼女に空気を読んで……とか、2人の心情を慮って……などと言う高等技術を持ち合わせている道理など無く、これは単純に千迅が美楓祢に聞きたかった疑問を口にしただけであった。
それでもこの言葉が、この場に沈殿していた空気を一掃した事に違いない。
一向に口を開こうとしない紅音に見切りをつけたのか、美楓祢は千迅の言葉に乗っかって来たのだった。
「そうですわねぇ……。一言で言えば、最先端。これに尽きますわね」
そして答えた美楓祢は、非常に満足気であり自慢げでもあった。
考えてみれば彼女は、中等部ではある意味で抑圧されて来たと言えるだろう。
それが高等部に来て、一気に満たされているのだ。美楓祢がその様な感想を得るのも、当然と言えば当然の事かも知れない。
「へぇ―――……。さいせんたんか―――」
美楓祢の言葉の意味を理解しているのかどうか、千迅が彼女の言葉を反復して呟いた。
そんな千迅の瞳には、好奇心の色がありありと浮かび上がっている。
「あら、千迅さん? ご興味がおありなのなら、是非とも本日はお見えになって下さいな。当方の部長には、わたくしから話を通しておいて差し上げます」
そんな千迅の反応に気を良くしたのか、美楓祢は彼女に鷹揚な態度でそんな提案をして来た。
何度も言うが、これは彼女のキャラクターであり、千迅を見下して話す貴族然とした態度では決してない。
「うん、ありがとうっ! 絶対行くから! ねっ、紅音ちゃん?」
「……うん」
美楓祢の言葉に嬉々として答えた千迅は紅音にもその様に言葉を振り、それを受けた紅音は歯切れの悪い返事を返したのだった。
そして放課後。
短縮授業を行っている学園は、放課後となっても未だ昼を僅かに過ぎたばかりであった。
そして放課後にあっても、校内は多くの生徒で賑わいを見せている。
そんな校内を、千迅と紅音は第一サーキットへ向かい歩いていたのだった。
現在第一サーキットを使用しているのは、第五自動二輪倶楽部の面々である。
今朝、ある意味で一悶着を起こした美楓祢のいる第三自動二輪倶楽部は第二サーキットを使用していた。
千迅達が第一サーキットを目指しているのは、それが何も紅音が美楓祢のいる第二サーキットへ行く事に消極的だからと言う訳では無く、ただ単純にそちらの方が近いからだ。
どうせ2つとも見学するつもりの千迅は、特に深い考えも無く近い方を選んだに過ぎなかったのである。
だが紅音にしては、それで少しホッとしていた。
桧山美楓祢と速水紅音が決定的に対立している……と言う訳では無い。
それどころか、互いの関係に亀裂が入る様なエピソードも無いのだ。
単純に、紅音が美楓祢の事を苦手にしている……ただそれだけの事だった。
辿り着いた第一サーキットの雰囲気は、昨日第一自動二輪倶楽部が使用していた時の様な雰囲気ではなくなっていた。
「うわ―――!」
「何だか……遊園地の催し物ってイメージね」
「そうだねっ! 何だか、楽しそう!」
部活見学会であっても、第一自動二輪倶楽部のデモンストレーションはどうにも気合が入っていて、どこか緊迫感を抱くものであった。
それが言わば、僅かばかりでも「サーキットの雰囲気」を醸し出していると、それと分かるものならば理解出来ていただろうし、素人にもその様な気分を味わってもらった方が理解しやすいと言う方針でもあったのだ。
しかし現在サーキットを走っているマシンは、実に多種多様であった。
千迅達が良く目にする「NFR250Ⅱ」。
その数世代前のモデルである「NFR250」を筆頭に、第二自動二輪倶楽部で用いられている「CV750RRR」のやはり数年前のモデル「CV750RR」やらレースマシンではなく市販車の姿も見え、極めつけは千迅達が中等部の頃に使用していた「NFR50Ⅱ」の数代前の物も見る事が出来たのだ。
そしてそれらを和気あいあいと部員が、そして試乗参加者が乗っている。
コースを本格的に使用してレース形式でのデモンストレーションをするのではなく、ホームストレート上に区切られた区間を走らせているだけの様子を伺えば、紅音が評したようにどこかの遊園地で開かれているアトラクションを彷彿とさせる印象だったのだ。
「ようこそ、第五自動二輪部へ。あたしが部長の、遠藤信乃だよ。宜しくね」
見学を告げにサーキットへと降りた千迅と紅音にそう挨拶をしたのは、第五自動二輪倶楽部長の遠藤信乃であった。
彼女はツナギを着る事も無くタンクトップ姿であり、そのボサボサで短く切った髪を掻きながら話す姿は、何とも気さくな雰囲気でありどこか徹夜明けと言った風情を醸し出している。
勿論、彼女が昨晩一睡もしていないのかどうかは、千迅達には判別がつかないのだが。
「宜しくお願いします! 一ノ瀬千迅です!」
「速水紅音です。宜しくお願いします」
如何にその様な考えが脳裏を過ったとしても、それをそのまま表情や態度に表す訳にはいかない。
何と言っても千迅と紅音は今年入学した1年生であり、今話している相手は第五自動二輪倶楽部の部長であり3年生なのだ。
単純に先輩後輩の間柄であり、この2人とて上下関係は確りとしている。
2人の挨拶を受けて、信乃はニコニコしながら頷いた。
「ウチは見ての通り、好きなマシンで好きなレースに参加するスタイルなんだよ。まぁレースと言っても公式な奴じゃなくて、主に地域開催とか個人主催の参加自由な奴なんだけどね」
そう説明して信乃がコースの方へと目を向け、それを追うように千迅と紅音もそちらの方を見やった。
そこでは先程見た通り、小さく区分けされた楕円形のコースを様々なマシンがゆっくりと走り回っている。
「まぁね、ここでそんな事を言っても仕方ないし……どう? 早速乗ってみる?」
そんな2人に信乃は、事も無げにそう言ってのけたのだった。
訪れた第五自動二輪倶楽部は、何ともざっくばらんとした雰囲気だった。
様々なバイクに目を輝かせる千迅と紅音へ、部長の遠藤信乃が試乗を持ち掛ける。