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遥かなるチェッカーの先へ  作者: 綾部 響
2.最速の乙女たち
10/42

決着

実力差をものともせず、帆乃夏を追う千迅。

危険を孕んだ千迅のアタックは功を奏すのか!?

 千晶の言うように、帆乃夏は少なからず動揺していた。

 自分の感覚を信じるならば、間違いなく帆乃夏は2分を大きく切るペースで走行している筈なのだ。

 そしてその速度に、新入部員たちが付いて来れる筈など無いと確信していた。

 ……先程まで。

 しかし現実的に、千迅が彼女のすぐ後ろまで迫って来ていたのだ。

 これには、帆乃夏に驚くなと言う方が無理という話であった。


 そして直後に、帆乃夏は背中と腕に鳥肌が立つ感覚を覚えた。


「えっ!? えっ―――!? これ何っ!? 何、これ―――っ!?」


 それが何から来ているのか、何故怖気(おぞけ)を感じているのか、帆乃夏には即座に理解出来なかった。

 ただ得体の知れない威圧感を千迅から受けている……帆乃夏に分かっているのはそれだけであった。


 帆乃夏とて、既に公式非公式のレースを幾つも経験している。

 その中で、自分を追いかける者の闘争心や競争心を幾度も肌で感じた事もあるのだ。

 だが今、彼女が受けているプレッシャーはそのどれとも違っていた。

 まるである種の獣に狙われている……襲われている様な、そんな威圧感。

 普通に生活を送っていればそんな感覚に襲われる事はなく、そんな迫力を発する者に対する事も無いだろう。

 千迅が帆乃夏へと向ける圧力……その本質が分からず、ペースアップをする事も忘れ、帆乃夏はただ焦りだけを覚えていたのだった。


 一方千迅は、もはや周囲の状況が見えていると言う状態ではなかった。

 集中力が最高潮に達し1つの事しか目に入らない、その事に関わるものしか感じられない世界へと没入してしまっていた。

 それが良い事なのか悪い事なのかは……分からない。

 いや、もしかすると……。


「あっはは……。まだまだ……諦めないんだからね!」


 しかし千迅は、その顔に興味を孕んだ笑みを浮かべて前方を凝視していたのだった。


「……!? 千迅……!?」


 帆乃夏の感じているプレッシャーを、後方では紅音も察していた。

 自身に向けられているものでなくとも、目の前で千迅の発する雰囲気が変わったのだから、寧ろ分からない筈がなかった。

 そして紅音には、千迅の撒き散らす気勢の正体も分かっていた。それは中等部時代に、何度も彼女から感じたものだ。

 それはまるで、無垢な子猫が転がる球へ追い縋る様に似ている。そんな一心不乱な気配が齎す結果もまた、彼女には予測出来たのだった。


「千迅、あなた……また悪い癖が出たのね」


 そしてサーキットで起こっていた異変は、コントロールセンターにいる千晶と美里も察する処だった。


「なんなの、あいつ!? 全力じゃないったって、スピードを上げた帆乃夏に食らいついて行くなんて!?」


 驚きの声を上げる美里に、千晶は笑みを浮かべたまま応えた。


「面白い子ね……本当に。あんなに無邪気を撒き散らして……。まるで、オモチャを見つけた子猫みたい」


 そして、口元に手を当てて失笑を洩らしたのだった。


「……無邪気? あれは純粋に楽しんでるって事なの!?」


 帆乃夏を追走する千迅の走りは恐ろしく速い反面、酷く不安定でそら恐ろしいものだった。

 普通の感性で考えれば、制御下に無いマシンで速度を上げるなど自殺行為以外の何物でもない。


「そうよ。邪気の無い圧力と言うのは、時にどんなプレッシャーよりも不気味で……気圧されるものなの。多分帆乃夏は今、今までにない気配に戸惑ってるんじゃないかしら?」


 千晶の説明を聞いて、美里は驚きと関心のない交ぜとなった表情で、第2コーナーへと突入する2台へと目を向けた。

 ただし千晶の話は、そこで終わりでは無かった。


「でも……無邪気なだけの……怖いもの知らずなだけで速く走れる訳じゃないんだけどね」




「ちょ……ちょっと―――っ! この子―――メチャクチャ―――ッ!」


 先行していてはいるものの、まるで子猫に追い立てられている気分の帆乃夏は、千迅の執拗なアタックに辟易していた。

 第2コーナーから第3コーナーへ、そして4つ目のコーナーである通称「コンプレックス・カーブ」へ差し掛かろうとしているにも拘らず、帆乃夏は千迅を振り切れないでいたのだ。

 帆乃夏とて、最初に感じた謎のプレッシャーからの混乱より即座に回復し、既に集中力を高めた走りに切り替えている。

 それにも拘らず、コーナーを幾つかクリアした今でも新入部員を振り切れない。

 その事実が、本格的に彼女の焦りを誘っていたのだ。


「うふふふっ! あははははっ!」


 彼女が肩越しに見た千迅の走りは、正しく「リズムに乗っている」と言うものだった。

 全身で楽しさを表しているそのランディングスタイルは、ヘルメットの下で大声を上げて笑っている千迅を容易に想像出来るほどだ。

 身体全体で喜びを表すその姿は、正に遊び転げる子猫のそれだった。

 本当ならば、リズムに乗って走ると言うのは好調を意味する。

 殆どのライダーは自身のリズムを持っており、そのリズムに乗れると言う事は「ゾーン」に突入していると言っても差し支えないほど、小気味の良い走りが出来るものなのだ。


 ―――ただしそれは、正確に実力を発揮出来る状況下であるならば……なのだが。


 何の裏付けも無い……不慣れなマシン、不慣れなコース、練習もマシンセッティングさえしていないこの状況では、ただ勢いだけでマシンを操作していると言って過言では無かった。

 そして、そんな状況がいつまでも続く訳もない。

 千迅の走りは、それこそ蝋燭の炎が最後に大きくなる現象と近しい……と言って良かった。


「ここで……いっただき―――っ!」


 第6コーナー……S字コーナーを抜けた直後に現れる7つ目のコーナー、通称「エントランス・コーナー」で、千迅は勝負に出たのだ。

 次に出現する、きついRをおよそ4分の3回るコーナー……俗にいう「ヘアピン」を前にして比較的長めの直線が出現する。

 その後に待ち構える長いバックストレート手前の「エグジット・コーナー」までが、このコースでテクニカルと言われる「東区間」と呼ばれるエリアとなっていた。

 ストレートで少しでも速い速度を叩きだす為には、そのエグジット・コーナーを如何に減速せずに回れるかが求められるのだが、まるで厭らしい罠であるかの様に、そう言った手前には難しいコーナーが待ち構えているのだ。

 そしてこの「エントランス・コーナー」も、2つの僅かにRの違うコーナーが組み合わされた、所謂「複合コーナー」となっていた。

 更にコーナー出口のRはきつくなっており、うっかり速度を間違えると急制動が余儀なくされ、ストレートで速度を出すなど望めないのだ。

 故にここでは、基本となる「スローイン・ファーストアウト」……つまり、コーナー入り口でしっかりと減速し、出口に向かって徐々に加速する事が望ましく、当然の事ながら帆乃夏もそれに倣って減速態勢に入ったのだ。

 そしてそれを、千迅は待ち侘びていたかの様に狙い定めて攻撃(アタック)を掛けて来たのだった。


 定石通り、インを固めてハードブレーキングをした帆乃夏がエントランス・コーナーへと侵入して行く。


「あははははっ!」


「そ……外から―――っ!?」


 それに対して千迅は、帆乃夏よりもブレーキのタイミングを遅らせて、更には彼女の外側からマシンを被せる様にして抜きに来たのであった。

 もしも帆乃夏の速度に精彩がなく、明らかに千迅の方がラップタイムでリードしているならばこの抜き方も理に適っている。

 そこまでいかなくとも、実力の拮抗した者同士であったならば、駆け引きとして自身のラインをわざと外して仕掛けると言う事もあり得る。

 しかし実際は、千迅の方が帆乃夏よりも遥かに実力で劣る。

 そんな彼女が、まるで周回遅れを抜き去るかの様に帆乃夏のマシンを抜き去ろうとしているのだ。帆乃夏の困惑の度合いは、これ以上ないものとなっていた。

 そしてそれは、レースをする上で後半戦に掛けて大きな強みになっていたに違いない。

 猫の様に変幻自在のその動きは、帆乃夏の意表を突いていたのは確実だった。


 ―――勿論、無事にコーナーを回り切れればだが。


「はぁ―――……。あの子、またやったわね……」


 紅音がヘルメット越しにそう呟いた瞬間。


「……はれ?」


 嬉々としていた千迅であったが、突然マシンからくる手ごたえを失い、そんな気の抜けるような声を上げてしまっていた。


 紅音の目の前で、帆乃夏に前輪一つ分抜きん出た千迅のマシンが、いきなりその姿を消したのだ。

 いや当然、本当にその姿を消し去った訳では無く。

 いきなり足元を掬われた形となった千迅のマシンは、そのまま車体を倒すとスライドするかの如く滑り続け、そのままコース外の砂地で止まったのだった。

 低速コーナーだった事が幸いして、千迅はマシンごとバリアレーンにぶつかると言う事は無かった。

 そんな千迅を背中越しに見ながら帆乃夏が、そして後続の紅音がチラリと見やって走り去っていった。


「あ―――あ……。こけちゃったか―――……」


 怪我が無いのか、立ち上がった千迅はヘルメットを取り、遠ざかってゆく2台の背中を見つめそう独り言ちたのだった。


余りにも呆気ない幕切れ。

しかしこれは、当然ともいえるものだった。

立ち尽くす千迅は、何を思うのか……。

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