恐怖に怯える
男とローウェンが部屋から出ていき、少女とリューンが残された。二人の間には、ピリピリとした緊張感を含んだ沈黙の空気が流れている。
少女はといえば、ふるふると小刻みに身体を震わせ、手をぎゅっと握り締めながら座り込んでいる。
リューンはその姿を、冷めた目で見つめていた。
そこへ、ローウェンが戻り、その張りつめていた緊張感が少しだけ緩んだ。気がした。
「リューン様、申し訳ありませんが、後腐れのないように、少しだけ金を持たせました」
「ふん、お前に任せる。が、なんという胸糞の悪い男だ」
吐き捨てるように言う。
ローウェンの唇が少しだけ開いた。その様子を見て、リューンが怪訝な顔をする。
「何だ、何が言いたい?」
「それが、その」
「名前のことか……まあ、俺も驚きはしたが、」
「それもあるのですが……」
「何だ、言ってみろ」
困ったような表情を浮かべると、ローウェンはリューンが思ってもみなかったことを口にしたのだった。
「な、なんだとっ⁉︎ それはいったいどういうことなんだ‼︎」
さらに低い声で怒鳴った。恐ろしい表情を浮かべながら。
リューンは少女を見た。すると、少女は涙をポロポロと零しながら、その瞳をぎゅっと閉じている。
よく見ると、ワンピースの下からじわっと液体が流れて、水溜りができていた。
ローウェンはぎょっとして、
「リューン様、少女が粗相を。申しわけ、」
ローウェンが少女の代わりに謝ろうとしたのを遮って、リューンが大声を上げる。
「ローウェン、風呂を用意しろ」
名を呼ばれて命令されれば、その通りに動くしかない。ローウェンは少女を誰よりも先にこの客室より連れ出したかったが、この命令によってそれも叶わない。
「はい、かしこまりました」
そして、ローウェンが踵を返そうとした、その時。
リューンは少女の元へと歩み寄ると、濡れているワンピースごと、少女を抱き上げた。
「リューン様っ‼︎」
ローウェンが慌てて、声を掛ける。
「汚れてしまいます、リューン様っ。どうか、侍女にお任せくださいっ」
少女を肩へと担いだリューンは、「俺が連れていくのが早い」と言って、部屋を出て廊下を進む。
「ユリ、ユリ‼︎」
ローウェンは侍女の名を呼びながら、リューンの後をついていった。
抱えた少女の下半身からは、ポタポタと雫が廊下へと落ちていく。赤い絨毯に染みを作りながら、リューンは構わず、大股で歩を進めていった。
後ろから見る少女の顔は、恐怖と羞恥と涙でぐしゃぐしゃになっている。
リューンが大股で歩くたび、その涙も床へと散っていった。
その少女の顔は。
今にも、助けてと叫び出してもおかしくないものだ。
(それなのに、声を上げないとは。本当に……)
ローウェンは、歩く速度を上げて、リューンを抜き去ると、小部屋から飛び出してきた侍女のユリに向かって「風呂の用意を早く‼︎」と二度、叫んだ。