恋慕の情
「お断りはしましたが、どうやら強行するようです」
「いつ、来るのだ?」
「二週間後のリューン様の誕生日に合わせて、いらっしゃるそうです」
リューンは、黙った。ムイが去って、二ヶ月が経とうとしていた。
「そうか」
短く返事をしただけで、気がつくと、物思いに耽っている。
少しの間、反応のないリューンを見つめていたが、痺れを切らしたローウェンが席を外した。
その様子を見て、リューンは苦く思う。
「あいつ、俺が腑抜け過ぎて、とうとう匙を投げたか」
リューンは苦々しい笑いを収めると、執務室の窓辺に立った。
素晴らしく晴れた、青空が広がっている。
つと、中庭のバラ園を見る。今はもう、バラは花を咲かせてはいない。
「それでも緑の葉っぱが、こうもくたびれて見えるとは」
雲ひとつない青空。目に眩しく映る。
「ムイは……ムイは、どうしているのだろう」
ライアンのいるブリュンヒルド城に、何度も何度も書簡や遣いをやった。縁談を断る手紙も送った。けれど、何事もなかったように、縁談話は進んでいき、ついにはトレビ領主の次女サリー=トレビアヌ本人を、誕生日に合わせて寄越してくるという。
トレビ領の次女の噂話は耳に入っている。外見は美しいが心の病で、内にこもっていると聞く。
(向こうにとっても俺にとっても、都合がいいと思っているのが、みえみえだな)
リューンはデスクの前に座った。引き出しから、小さな宝石箱を取る。中から、小さく折られた手紙を出すと、カサカサと音をさせて開けた。
「……ムイ、お前は今、どうしている?」
手紙を指でゆっくりと撫でる。
「元気にしているのか、笑っているのか? それとも泣いているのだろうか」
外で吹く風が、カタカタと窓枠を揺らす。
「もし、俺が他の女と結婚すると言ったら、お前は……きっと頬を膨らませて、怒るのだろうな」
(あの、グレーに縁取られた薄緑の瞳でじっと見つめてきて……そしてあの柔らかい唇を尖らせて、俺の名前を不服そうに呼ぶんだ)
——リューン様、どういうことでしょう? なぜそのようなことを?
涙が頬を伝った。
(それで……何度も俺の名前を呼んで、笑うんだ。意地悪なことを……バカなことを言わないでくれと、笑うんだ)
——リューン様、そんな意地悪なことを仰らないでください!
「ムイ、お前の名前の持つ力で、俺の忌まわしい力はもう無くなった」
——良かったです。これからはきっとお幸せになれますね。
「だから、もう俺を怖がることもない。安心して、俺の側にいていいんだよ」
——リューン様、いつまでもお側においてください……リューン様を……愛しています。
恥ずかしそうに俯く顔が。
伏せられる長い睫毛が。
まざまざと浮かび上がってくる。
閉ざされていた唇。解放されて言葉を発する、柔らかな声。低くもなく高くもない、耳に心地の良い声。
「ムイ」
嗚咽がこみ上げてきて、リューンは身体をびくびくと震わせた。
「お願いだ、ムイ。戻ってきてくれ。俺の側にいて欲しい。お前が俺の側にいないなんて、俺には耐えられない」
いつのまにか、手紙を握り込んでいた。
はっと、気がついて手を開くと、くちゃくちゃに丸まった手紙がころっと落ちた。慌てて、皺を伸ばす。
「……ムイ、耐えられない。愛しているんだ。俺の側に戻ってきてく、れ、」
涙は流れ続けたが、リューンはそのまま目を瞑った。
目を瞑ると、瞼の裏に浮かぶのはムイの笑顔。
「ムイ、お前に会いたい……」
机に突っ伏して横になると、リューンはそのまま、ムイを思い浮かべたまま、眠った。