歌を聴きたいだけ、ただそれだけなのに
「僕はどうしてしまったのだろうな」
シンシアの隣に座して、ライアンはソファを軽く叩いた。シンシアはいつもの通り、真っ直ぐを見ながら、目を瞑っている。
ライアンは、シンシアの言葉を待った。
けれど、シンシアは話を始めてはくれなかった。ライアンは苦く笑った。
「歌を……ムイの歌う歌を聴きたいだけなんだ。ただ、それだけなんだよ」
シンシアの手には、編みかけの布が収まっている。色とりどりの糸を編み棒で編んでいくシンプルな作りだが、ライアンはいつもその糸が織りなす複雑な色の編み上げが好きだった。以前シンシアから貰ったテーブルクロスも、タペストリーも、ライアンの部屋に飾ってある。
「最初は……口がきけないということは、大したことじゃなかったんだ。シンシア、あなたのような人もいるのだと、僕は知っていたからね。だからその点は、別段気にならなかった。それ以外は、ムイは普通の女の子だったし」
シンシアの手が動き始めた。器用に、糸を編んでいく。ライアンはその様子を見ながら、話を続けた。
「だから、まさかこの子がって思ったよ。この子が本当に、名前を持たぬ少女なのか、ってね」
ムイを初めて見た時を思い出す。あの時は、ただ可愛いなと、シンプルに思っただけだった。
「けれど、リューン殿がとても大切にしていることがわかって……でもそれなら、さっさと名前を握って、自分の思い通りにすればいいのではないかと、疑問に思った」
「…………」
「僕は直接は聞かされていなかったけれど、あいつら従者を二人寄越してきた時点で、国王陛下の命令も含んでいることを知っていたから、半ば脅すようなことを言って、ムイを連れてきたわけだけど……はは、そのことを後悔はしていないが、気分はいつまで経っても晴れないよ」
ライアンは、ふ、と笑って力なく言った。
「きちんと好きだと言って、プロポーズをしたかった。そして、好きになって貰って、僕のために歌を……歌って欲しかった」
シンシアは、編み物の手を止めた。
「私の育てたライアン様は、本当に立派におなりになって」
「情けない男だよ。好きになった女を、正面切って口説くこともできず、」
(あのように、死に追いやるようなことを……)
その先はシンシアに聞かせたくなく、心で思った。今はムイをシンシアに預けてある。ムイが侍女と風呂に入っている間に、ライアンはシンシアの部屋に寄ったのだった。
「シンシア、当分の間、ムイを頼むよ」
儚く笑うとライアンは部屋を出た。
ムイに顔を見せられない。見せればまた死へと追い詰めてしまう。そう思うと傷つきながらも、ライアンは早足に廊下を歩いていった。