ライアンの乳母シンシア
「シンシア、入るよ」
勝手知ったる部屋なのだろう、遠慮なく入ると、ライアンは中にいた一人の老齢の女性と抱き合った。ムイは、その様子を見ながらも、そろりと部屋へ入る。
(ここって……)
「ムイを連れてきたよ」
「まあ、早いうちに紹介してくれて嬉しいわ」
「ムイ、この人は僕の乳母で、シンシアというんだ」
「よろしくね、ムイ」
シンシアがライアンの隣で、両手を出す。
ムイが慌てて、その手を握る。厚みのある柔らかい手に、ムイはリューンの城で母親のように慕っていたマリアの手を思い出した。
(マリアの手も、同じように温かくて……)
ムイが少しの間、握っていた手を離さないのを見て、シンシアが優しく言った。
「あらあら、どなたかの手に似ているのかしら?」
ムイが慌てて、手を離す。ライアンが、ムイが離したシンシアの手を握ると、そっと引っ張りながらソファの方へ連れていく。そして、そこにシンシアを座らせた。
「目が見えないの。こんな格好で失礼しますね」
シンシアがにこっと笑う。その顔に刻まれた皺の多さが、彼女の苦労を物語っているようで、ムイは同情のような気持ちを持った。
同情と言っても、可哀想だという気持ちではなく、哀憐のような気持ちが強かったのかもしれない。
「じゃあ、僕はもう行くよ」
ライアンはシンシアの頬に軽くキスをすると、ムイの隣を通って部屋から出ていってしまった。ムイはその場に立ち竦んで、どうしていいかわからず途方に暮れた。その様子を察したのか、シンシアが手でおいでおいでをする。
「こちらに座ってちょうだい」
手で、自分の隣をポンポンと叩く。
ムイがそろそろと近づいていき隣に腰掛けると、その重みでソファが傾いてシンシアの身体が小さく揺れた。
「私はライアン様が赤ん坊の頃からお世話をしていてね。あの子はいつもお兄さまのジョナス様より、活発だったの。とてもやんちゃなので、大いに手を焼きましたとも」
シンシアは、真っ直ぐ前を向いたまま、話し続けた。その目は閉じているが、口元には笑みをたたえている。
「そんなライアン様が、あなたを紹介したいと。どんなお嬢さんなのか、とても楽しみにしていました」
「…………」
ムイが黙っていると、シンシアがムイへと顔を向けて、尋ねた。
「お歌がお上手だと聞いていますが……お喋りは得意ではないのかしら?」
ムイが慌てて頷くと、その振動が伝わったのか、ほっと安心した顔になる。
「あなたが嫌でなければ、あなたの歌を聞いてみたいわ」
優しい声に、ムイはもう一度頷いた。
シンシアは身体ごと、ムイに向き合うと、ムイの手を握った。
ムイは、その体温を感じながら、マリアが歌っていた歌を、そろりと歌い始めた。