名無し
「分かった。雇おう」
リューンが冷ややかに言う。
その言葉に少女は顔を上げる。それと同時に、その暗く濁った瞳から、ぽろっと涙が溢れた。
少女の顔色が青白く、血の気が引いていくのが見て取れた。
その様子を冷めた目で見ていたリューンは、どうするべきかをいつも躊躇してしまう質問を、ついに口にした。
「……この子の名前は?」
男は、言いにくそうな表情を浮かべて頭を掻くと、
「すんません、それが名無しなんで、お好きな名前で呼んでくださって結構です」
リューンは、目を丸くしたローウェンと顔を見合わせた。
「こいつの父親が何にも言わずにトンズラしちまったんで。まあ、さすがに不便なんで、あっしらは、おいオマエって呼んでましたがね」
へへへと下卑た笑いを浮かべる。
「……わかった。ではお前は今からこの城の侍女だ。名前の件はまた後日改めて話し合おう」
「ありがてえっ‼︎」
心底、ほっとしたという言い方をして、男は手でひざを打った。
「んじゃあ、よろしくお願いしますねえ。お前も、ちゃんとご領主さまのお役に立つんだぞ」
そして、頭を押さえつけて、最後にもう一度、軽くはたいた。
リューンはその様子を見て、ムカムカと胸の中に暗い雲のようなものが広がっていくような感覚に陥った。あまりの男の態度に、吐き気すら覚えたのだ。
「もういい、早く行け」
痺れを切らして、言い放つ。ローウェンも「足労でした。ではまた」と言葉で退席を促した。
けれど、男はもじもじとまだ何かを言いたそうにし、一向に動こうとしない。その様子で、少女を置いていく代わりに、金銭を要求しているのが見て取れた。
「こいつが働く分を前もっていただくって訳にはまいりませんかねえ」
馴れ馴れしい声に、リューンの怒りに火がつきそうになるのを感じたローウェンが、「向こうで少しお渡しします」と男を立たせて、連れて行こうとした。
だが。リューンが大声を上げた。
「おい、お前っ‼︎ 今後、この少女が働いて得た金は、この子のものだ。お前は、知人から預かった子を、ろくな面倒を見ずに金で売ろうとした。恥を知れっ‼︎もう二度と、ここへは来るなっ‼︎」
少女の身体がビクッと波打った。
「出て行けっっ‼︎」
雷が落ちたような怒号に、空気が凍りついた。男は恐れの表情を浮かべ、逃げるようにして部屋を出ていった。