思い出せない
「どういうことだっ‼︎ どうして、いないのだっ‼︎」
ムイの部屋のドアを開け放って中へ入ると、リューンは机の前をうろうろとした。何か手がかりがないかと、引き出しを乱暴に開ける。そこに何も入ってないと分かると、リューンは引き出しを引き抜いて、床へと落とした。
次にはベッドの布団をめくり上げ、そしてマットをもひっくり返す。
「どうしてだ、」
リューンは、ムイの部屋にムイの痕跡が一つとしてないことを知ると、ムイの部屋から飛び出した。
ローウェンが今、マリアやアランのところへ、ムイの居所を訊きに行っているはずだ。
リューンは廊下を大股で歩いていくと、突き当たりの小さなドアを開けた。カーブした廊下を駆けていく。
「リリっ‼︎」
粗末なドアを開けて、湖の見渡せるバルコニーに躍り出た。けれど、そこにもムイの姿はない。
こうなったら、と思い、リューンは息を整えた。
「……リ、リ、」
愛しい名前をなぞろうとする。
「リリー、今すぐに、ここに来い」
少しの沈黙の後、リューンは再度名前を呼んだ。
「リリー、早くここに来るんだ」
その場に、崩れるように座り込む。
「違う、真の名前が必要だ。リ、リ、……どういうことだっ」
両の手の平を見る。
「こ、ここに名前を書いたはず。なぜ、思い出せないのだ」
震え始める。愛しい者の名前を忘れるなんてことは、あるはずがない。それなのに、リューンのその部分には、雲か霧でもかかったように、ぼんやりとしている。
「リ、リリ、……ムイ、ムイ、どうしてだ。なぜ、真の名前を思い出せない? どうして、お前はここにいないのだ」
涙が、ぽたりと落ちた。
「どこへいったのだ、俺の側にいると言ったではないか」
ぬるい風が、リューンの金髪を揺らす。
「ムイっ、ここに来るんだっっ‼︎ 命令だ、これは命令だぞっ‼︎」
しん、と空気が冴える。その空気を破るようにして、リューンは叫んだ。
「ムイっっ‼︎ どこだ、どこにいるんだっ‼︎」
どんっと両手で床を叩く。
「……側にいたいと、言っていた、のに」
ムイの声を思い出そうとした。ムイの言葉を探し出そうとした。
「どうして、この力が効かないのだっ‼︎ ムイの真の名前を握ったはずなのにっ‼︎ なぜ、思い出せないっ‼︎ どうしてなんだあぁっ」
狂ったような声が出て、リューンは我に返った。けれど、頭が冴えたような気がしただけで、心も頭も、何もかもがごちゃごちゃになっている。
どうしてこうなったのか、どうしてムイがいないのか、考えても考えてもわからない。
(……愛していると言ったではないか)
あの日、ムイの声を初めて聞いたあの日。ベッドの中でいつまでもいつまでも、二人は抱き合っていた。幸せな朝を迎え、これが至福というやつかと、その安らいでいるムイの寝顔に何度も何度もキスをした。
何度も、愛していると囁いた。今まで我慢していたものの、箍が外れたように、何度も何度もムイを愛した。
それなのに、なぜ今、ムイはいないのだ。
「ムイ、ここに来てくれ。頼むから、側にいてくれ……」
狂ってしまいそうな気持ちを抱えながらも、リューンは何度もその名前を呼んだ。