渡さない
(リリー=ラングレー)
リューンは、唇を引き結んで、目の前のライアンを冷ややかな目で見据えた。
「悪いが、もう彼女の名前は俺が握っている。ライアン、お前に彼女をくれてやることはできない」
「やってくれましたね」
ライアンが、ぎりっと歯ぎしりをした。
「あなたには、ムイは不要だというのにっ‼︎」
激昂し、ライアンは側にあった花瓶をなぎ倒して割った。がしゃんと派手な音がして、部屋中に響き渡った。
「渡したくないとはいえ、こんな卑怯な手を使うとはっ‼︎ くそっ」
バリバリと割れた花瓶の上を、さらに足で踏みつける。
「俺には不要というのは、どういう意味だっ」
リューンも負けじと大声を張った。
「あなたはすでに、この城の王ではないかっ。そんなあなたにムイは必要ないっ‼︎」
「王とか、そんなことは、」
「『名を握る領主』ではないですか」
ライアンが鼻を鳴らして、見下すように眉を吊り上げた。
「命令すれば、皆あなたの言いなりだ」
「そのことと、ム、あの子と何が関係あるのだっ」
リューンが難しい顔を崩さずに叫ぶ。
「……本当に何も知らずに、ムイを引き取ったのですね」
「なんだと?」
「まあ、いいでしょう。要は名前さえ知れればそれでいいのですから。リューン殿、ムイの本当の名前を教えてくださいませんか」
「彼女の名前は、彼女だけのものだ。俺が名前を握ったからといって、軽々と教えてはやれん」
「お祖父様の命令でもですか」
「ああ、そうだ。ライアン、お前はもう帰れ。そろそろ、身体の調子が悪くなってきているはずだろう」
青白い顔をさらに青くすると、ライアンは部屋を出ていった。
「リューン様、あれでいいのですか?」
ローウェンが心配げに訊いてくる。ローウェンが憂える理由はわかっていた。ワグナ国の国王にすら一目置かれている、シーア=ブリュンヒルドに逆らうことの意味を、リューンもローウェンも理解しているからだ。
けれど、それでももうムイを手離せない。
「……いいんだ」
(最悪、領主の地位を追われたとしても、それはそれでこの忌まわしい力から逃れられる)
見ると、ローウェンの苦々しく笑う顔。
ローウェンには筒抜けの思いを、リューンは奥深くに沈めていった。