声が聞きたい
「お前を、連れてはいかせないよ」
一転して嫌な思い出になってしまったガゼボではなく、湖が見渡せる秘密のバルコニーに足を運ぶと、そこにリューンがいて、ムイの胸はドキドキと打った。
(もしかしたらと思って来てみたけど、お会いできて嬉しい)
最近、会う度にリューンの表情が柔らかくなっているようで、ムイはいつもその顔を見ると、安心感に包まれてとても安らげると思っていた。
それが、先日のことを思い出すだけで、頭の中がパニックになる。
(こ、この前、は、キスをして、それで、それで、)
考えが素直にまとまらない。ムイは自分の顔が真っ赤になっていることを自覚した。頬が燃えるように熱い気がする。
「ライアンと一緒にいくなどあってはならないことだ。それにマリアやアランも反対している」
ここ最近は顔を合わせていない庭師のアランの名前が出て、小さく苦く笑う。
「も、もちろん、ソルベやローウェンもだ」
慌てて、そう付け加えると、背中を向けてしまった。
「…………」
沈黙が漂ってきた。リューンは湖を見つめている。リューンの斜め後ろから、ムイも同じように湖面を見つめる。波の音が耳に届いて、心が落ち着いてくる。
「なあ、ムイ……怒らないで聞いてほしいのだが、」
ムイが顔を上げる。
「……ライアンについていきたい、と思ってはいないか?」
ムイは目を見張った。思いもよらないことを言われて、頭が真っ白になる。
「お前が、この城を出たいと思っているのなら、俺はっ、」
声が震えたような気がした。
「俺は、……」
沈黙が降りる。
ざざあっと、美しい湖面を風が流れていく。その風が、二人に届く頃にはもう、太陽は沈みかけていた。オレンジに染まる空。リューンの背中が、息を吸ったのか、大きくなる。
「お前が、ここを出たいと言うなら……」
リューンが顔だけを、ムイの方へと向けた。
その瞳。ムイには、それが濁って見えた。
ムイは、顔を横へと振った。そして、リューンに近づいていく。
ムイが、両手を伸ばす。そして、リューンの右手を握ると、手のひらを上にして、その上に指でなぞり始めた。
「ん、なんだ?」
リューンの優しい声。
「字を、書いているのか?」
ムイがリューンの横へと並んで、指を動かしていく。
「あはは、こそばゆいな……えっと、そ、」
温かい手の体温。大きな手のひら。太い指。
「そ、ば、に、……」
リューンが、え、と顔を向ける。そして、くしゃりと顔を歪ませた。
「お、俺の、側に?」
ムイがこくっと顎を打つ。リューンは腕を伸ばして、ムイを抱きしめた。
「こんな俺の……俺の側にいてくれるというのか?」
リューンの胸の中で、何度も頷く。
「そうか、そうか」
胸がいっぱいになる。
「……お前の声を聞いてみたい」
真っ赤な顔をしたムイを見て、リューンが笑った。
「はは。すまない、ムイ。バカなことを言った。お前に、俺の名前を呼んで欲しいと思っただけだ」
その笑いのまま、リューンは続けた。
「お前に、」
けれど、言葉は続かなかった。
リューンは、笑うのを止めると、もう一度ムイを抱きしめた。髪にリューンが顔をうずめている。
ムイは髪にかかるリューンの吐息を感じるだけで、自分は幸せだと思えた。
この安心感。心が満たされていく。幸せだと、何度も、何度も。
思った。