謝罪の口づけ
足音が追いかけてくる。ムイは振り返りながらも、リューンの部屋へと辿り着いた。湖の見えるバルコニーでは、行き止まりだ。逃げられなくなると思い、リューンの部屋のドアをノックした。
二人の男が近づいてくるのを横目で確認しつつ、ムイは慌ててもう一度強くノックする。
「こっちに来るんだ」
男二人がムイに追いつく。
腕を掴まれ、囲まれながらも、ムイはドアをドンドンと叩いた。
(リューン様、助けてっ‼︎)
叩いていた腕も掴まれ、ぐっと捻られて、肩や腕に痛みが走った。
「名前を教えろと言っている」
耳元で命令され、ぞっとした。
リューンさまあっ、出ない声を身体の奥から絞り出すように、ムイは叫んだ。
その時、ドアが開いて、リューンが飛び出してきた。
「何をしてるっ」
ムイが両腕を掴まれて拘束されている。その途端、リューンはムイを掴んでいた相手の腕を掴み、そしてそれを振りほどこうとした。
「ムイを離せ、その手を離せと言っているっ‼︎」
腹の底から響くような、低く怒りを含んだ声。ムイが長い間、恐れていた声が、今はムイを助けるために発せられている。
ムイは、自由になった腕で、リューンの服に掴まった。そんなムイの身体を、逞しい右腕が抱き締める。
「今度またこのようなことをしてみろ。ライアン共々、この城から放り出してやる」
二人の男は、お互いが顔を見合わせると、渋々引き下がっていった。
リューンは、ほっと息を吐くと、腕の中のムイを覗き込む。
「だ、大丈夫か?」
焦りの中にも労りが含まれている。その優しさに震えていた両手も、次第に落ち着きを取り戻していく。
掴んでいた手を離すと、リューンのスーツにくっきりと手で握った跡が付いていた。
ムイはそれに気がつくと、慌てて、シワを伸ばした。手で押さえたり、伸ばしたりしてみる。
「ムイ、ムイ、そんなものはどうでもいい」
シワを伸ばしていた手を握り、リューンは優しく囁いた。
「それより、大丈夫だったか? どこか怪我はしていないか?」
こくっと頷くと、ムイはリューンを見上げた。
「こんなに涙を溜めて……怖い思いをしたな」
そこで気がついたのだ。視界が歪んでいるのは、涙がそうさせていることを。
(怖かった。でもリューン様が助けてくださった)
恐怖はどこかへと飛び去っていった。雲が晴れて、青い空が広がっていくように、ムイの気持ちは晴れやかになっていく。
今の今まで、リューンに疎まれて嫌われているかもと思っただけで、身の震える思いもあった。
けれど、こうして助けてくれたということは、疎まれてなどいない証拠のようにも思える。
そう思いを巡らせながら、涙を溜めた目でリューンを見つめる。
(こんな私では、何の役にも立たないけれど……でも、リューン様のお側にいたい)
すると、リューンは見つめていたムイの顔から、視線を外した。
「ムイ、あ、あまり見つめるな」
リューンは肩においていた手をそっと離した。けれど、頬を包むようにしてから指先で涙を拭うと、リューンはおずおずともう一方の手で頬を包み込んだ。
「ほら、もう大丈夫だ。だからもう、泣くな」
そしてもう一度、ムイを見つめた。いや、その視線はムイの唇を捉えている。
リューンの半分伏せられた漆黒の瞳が、そうして自分の唇に注がれていることに気づくと、途端に心臓がばくばくとし始めて、ムイは息苦しさを感じた。
(どうしよ、どうしたらいいのかな)
「ムイ、」
触れそうになる程、近くにあるリューンの唇が、ムイの名を呟く。
「ムイ、すまない」
引き寄せられるように、唇が重なる。リューンのそれは、ひやりとしていて、冷たかった。
「すまない、すまない、ムイ」
眉根がきつく寄せられている。
(どうして、謝るのだろう。こんなにも、私は嬉しいのに)
涙が伝った。それを見て、リューンはさらに何度も謝った。
「ムイ、すまない。こんなことをして、俺は、」
けれど、唇は触れていて、頬に添えられた手には力が込められている。
「お前が、お前のことが、」
するりと、頬にあった手が、うなじへと滑り込む。その手に、ぐっと力が入れられ、唇が深く重なった。
その時、廊下の先から、大声が響いた。
「リューン様っ、リューン様っ‼︎」
条件反射なのか、リューンがすかさず顔を離した。ムイも、恥ずかしさのあまり、顔を伏せた。
ローウェンが息を切らしながら、足早に廊下を歩いてくる。
「お邪魔して申し訳ありません」
普段は冷静沈着なローウェンのその慌てように、リューンもただ事ではないことを察して、どうしたと声を掛けた。
「ちょっと、こちらへ……」
ローウェンがリューンの執務室のドアを開け、部屋の中へ入るように腕で促す。ムイも背中を押されて、中へと押し込まれた。
(わ、私も……?)
ドアを後ろ手に締めると、ローウェンが真剣な顔を崩さず、言い切った。
「大変です、ライアン様が……」
その名前が出て、そしてローウェンの話を聞いて、ムイは血の気が引く思いがした。