不可解な滞在
(アランを、愛しているわけでは、なかったのだな)
何度も、頭の中で繰り返しては、ほっと胸を撫で下ろす。
(仲がいい、というだけだったのか)
リューンは苦く笑った。
(ただ、それだけでも……羨ましいと思ってしまうのだがな)
『何か欲しいものはありませんか?』
突然のムイの問いかけに、心臓が跳ね上がった。
「……お前だ、お前が欲しいんだ」
執務室でたくさんの書類を前に、けれどローウェンが不在の今、こうして独り言も言える。
「お前の、名前が欲しい……」
けれどそれを手に入れてしまったら、ムイは永久に自分だけの奴隷だ。
リューンは、背中を反らせて、大きく息を吸い込んだ。胸の骨が一つ一つが開いていくようで、その軽い痛みは、リューンの頭をはっきりとさせていく。
「俺が手に入れるとは、そういうことだ。ムイの自由を奪うに等しい」
リューンは手前の引き出しの中から小さな宝箱を取り出した。ムイから貰った、小さな手紙が入っている。
(これさえあれば、俺は生きていける。アランと結婚しなくとも、ムイならすぐにムイを欲しがる男が出てくるだろう)
時々、調理人や侍従の男の声で、ムイを呼ぶ声がする。それはいつも好意的な声で発せられていてリューンの耳へと入り、ムイがあちこちで可愛がられていることを思い知らされるのだ。
(いちいち、やきもちなど焼いてはいられないというのに、な)
失笑する。
(こんな思いで、手元に置いておくことなんて……)
リューンはぐるぐると答えの出ない思考を諦めて、仕事を進めようと目の前に積み上げられている書類の山から、紙を一枚引っ張り出した。そこに、サインを書きつけると、隣の山に乗せる。
数回、それを繰り返していると、ノックがしてローウェンが入ってきた。
「リューン様、ライアン様が滞在を延ばしたいとおっしゃっています」
「なんだと? 一体、何が目的なのだ」
「それが、ちょっと不可解なことが……連れてきた従者を城に呼び寄せたいと申されております」
「なんだって?」
ローウェンが難しい顔を崩さない。
「従者は、この近くの宿屋に置いてきたと、言っていたではないか」
「はい、そのように聞いております」
「それを呼び寄せて、どうするつもりだ……というより、いつまで居座るつもりなのだ」
かれこれもう、ライアンの滞在は5日を過ぎていた。そして、今から従者を呼んで腰を据えるということは、滞在日数もそれだけ伸びるということになる。
「何か理由をつけてでも、断れないか」
「ライアン様はブリュンヒルド様のお孫様です。お断りになれば角が立つでしょう」
「俺が結婚すると言うまで、粘るつもりなのだろうか」
「わかりません」
リューンが立ち上がり、中庭を眺める。
「わかった。食事以外はなるべく顔を合わせないようにしよう」
「承知しました」
ローウェンが部屋から出ていくと、リューンは窓を開けてバルコニーへと出た。バラの香りが緩やかな風に乗って、ふわりと薫ってくる。
リューンはローウェンから、ライアンがムイを部屋へと呼びつけたと聞いていた。
(嫌な予感とは、いつも当たるものだ)
バラの香りを胸いっぱいに吸うと、思考がクリアになってくる。
(もしライアンがムイにちょっかいでもかけようものなら……俺が守らなくてはならない)
気持ちをも新たにすると、リューンは部屋へと戻った。




