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隙あらば奪う


ライアンの滞在が、三日目に入ろうとする早朝だった。


トントンとノックの音で、目を覚ましたムイは、寝坊をしたと思い飛び起きると、カーディガンを羽織ってドアを開けた。


マリアだと思い込んでいたのもあり、その相手に驚いて、後ろへと飛びのく。


細く開いたドアから、その隙にとでもいう動きで、ライアンが部屋へと入ってきた。ムイが、そのライアンの動きに反応して、さらに後ずさる。


ライアンは後ろ手にドアを閉めると、その前に立ちふさがった。


「おはよう、ムイ。よく眠れたかい?」


ムイは、バルコニーに続く大きな窓の前に立ち、その側にある小さなテーブルに手をついた。


(何でこの人、部屋に入ってくるの?)


「ぐっすり眠れた?」


返事を待つライアンのその言葉に、コクっと小さく頷く。


ライアンはニコッと笑顔を浮かべると、さらにムイへと言葉を投げてきた。


「そう、良かった。少し、君と話したいことがあってね」


再度、ムイが頷くと、ライアンは満足そうに話し始めた。


「『ムイ』ってのは、お前の本当の名前じゃないんだろう。ここの侍女に聞いたんだ、お前が名前を持たないってこと」


その言葉で、ムイの警戒心が上がった。


(どうして、そんなことを訊いて回るのだろうか)


自分が名前を持っていないということは、この城の皆が知っている。


(だから、この人に知られたとしても、別にどうってことないはずなんだけど……)


嫌な胸騒ぎしかしない。考えを巡らしていると、その思考を遮られる。


「ねえ、そんなに警戒しないでよ。お前と仲良くなりたいんだ」


少しだけドアの前から離れると、ライアンはムイが使っているベッドの端に座った。


「ここにおいでよ」

隣に手を置く。


俯いて拒否すると、ライアンが苦く笑った。


「昨日も言ったけど、別に取って食おうってわけじゃない。ただ、お前が可愛いなって思っただけで……そんなに怯えないでよ」


ムイが窓の取っ手に手をかけて、すぐにバルコニーに出られるようにしているのを見ると、ライアンは次には声を上げて笑った。


「ははは、大丈夫だって。いきなり襲ったりしないから」


その言葉に、少しだけ安心すると、ムイは掛けていた手を離した。


「ねえ、ムイ。お前の名前を教えて欲しいんだ」


どくっ、と心臓が跳ね上がった。


ミリアの店からの帰り道、無我夢中で走って道に迷い、ザイラの森に迷い込んだ時、そこで見た幻影。

二人の男が、今ライアンが言ったのと同じ言葉を繰り返し口にしながら、追いかけてきたことを思い出す。


(あの時、あの二人は私の名前が欲しいって言っていた)


思い出すと、ぞくっと悪寒が全身に走った。


「知っているぞ、お前は喋れはしないが、字は書けるのだろう? ここへきて、名前を書いてくれないか?」

見ると、ライアンはいつのまにかペンと手帳を持っている。手帳を開くと、ムイの方へと差し出してきた。

「おいで、ここにお前の本当の名前を書いてくれ」


その時、はっと気づいたことがあった。


(そういえば私、リューン様に名前を訊かれていない)


字が書けるようになって、手紙を二通書いた。二枚目は目の前で破かれてしまい、そして一枚目がどうなったのかは、ムイには知る術もない。


(あんな手紙、きっと捨てられてると思うけど)


「ムイ」

名前を呼ばれて、顔を跳ね上げた。


ニコッと笑うライアンの顔に、不自然さを感じると、再度窓の取っ手に手を掛けた。


「ムイ、こっちにおいで」


腰を浮かした姿を見て、ムイは窓を開けた。


「ムイ、名前を教えてくれと言っているんだ」


さらに、窓を外へと大きく開ける。


「僕がここから連れ出してあげる」


その声に振り返ると、ライアンが両手を広げて、ムイを見ていた。


「こんな気味の悪い城、本当は居たくないんだろ? リューン殿に名前を握られたら、お終いだぞ。その前に、僕がお前を連れ出してあげるから」


甘い猫なで声が、気持ち悪かった。


言葉を振り切るように、外へと半身、体を出す。一歩足を伸ばすと、バルコニーの床が、ひんやりと裸足の足の裏を冷やす。


「僕とここを出るんだ。僕がお前を助けてあげるから」


背中に覆いかぶさってくるようなねっとりとした声を感じながら、ムイはバルコニーへと垂らしてある、結び目をいくつも作った布を握った。


「ムイっ」


布を伝って、中庭へと降りる。毎日その動作を繰り返しているうちに、ムイは軽々とそれができるようになっていた。


「お前を助けると言っているんだ……だから、お前の本当の名前を教えてくれっ」


ムイは中庭を走って、ガゼボに向かった。裸足で砂利を踏む、足の裏が痛くて仕方がなかった。けれど、悲しみや恐怖が入り混じった重苦しいものに追い立てられるようにして、ムイはガゼボへと向かって、一生懸命に走った。

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