ブリュンヒルドの外戚 ライアン
「お久しぶりでございます、リューン殿」
「ああ、久しぶりだね」
形式的な挨拶は、ライアンが到着した時に済ませてはいた。今はディナータイムだ。夕食のテーブルについてから二人は、食事を進めながら雑談を交わしていた。
「お父上は息災かい」
「はい、元気にしております」
(フォークとナイフの使い方が上手になったな)
リューンは、目の前の相手が自分より少しだけ若いが、けれどテーブルマナーに苦戦してたあの頃より大人になったことを認識させられて、ふ、と笑った。
「しかし、君も立派になったものだ」
「リューン殿は、お身体の方は?」
「どこも悪くない。いたって元気だよ」
リューンは、ライアンの名前に触らぬよう、気を配っていた。ライアンの名前を握ってはいるわけではないが、名前を軽々しく呼ばれては生きた心地もしないだろうと思う。
些細なことでうっかりその名前を口にしてしまうのを避けるため、天気や時事問題などの話しか、話題にしなかった。
リューンは、ライアンがそれを気にしてか、そわそわとして落ち着かないのを見て、心の中で苦笑した。
(顔色を窺いながらだな……名前を呼ばれようものなら、驚いて飛び上がってしまうだろう。明日の朝一番にでも、逃げていくだろうな)
リューンは、数少ない親戚の輩が、自分への接触を避けていることを知っていた。最低限のやり取りは書簡で行われるし、このリンデンバウムの城にわざわざ名前を握られに足を運ぶ者もいないので、今回のライアンの来訪は、本当に意外中の意外なものだった。
「それで?」
デザートに辿り着くまで世間話が続かなかったというのもあり、リューンはライアンに静かに問うた。
「今回は、どのような用件できたのだ」
ライアンはメインの肉を食べ終わる前にナイフとフォークとを置いた。側に置かれたグラスに手を伸ばす。
最初こそはそわそわしていたものの、ようやく落ち着きを取り戻してきたライアンが、赤ワインを一口、口に含んだ。
「まあ、近くまで来たので、リューン殿のご機嫌伺いにと思ったまでで、」
「それは、もう聞いた」
リューンの少しだけ突き放したような言い方に、一瞬言葉を止めたが、ライアンは眉を不自然に曲げながら、続ける。
「……差し出がましいようですが、ご結婚はどうするおつもりですか」
「君のお父上に訊いてこい、と言われたか」
リューンが溜め息を吐きながら、運ばれてきた木苺のムースにスプーンをつける。滑らかな舌触りに酸味のある木苺のソース。口に含むと、泡のように消えてなくなり、甘みが口に残った。リューンがおや、と顔を上げた。
ワゴンを下げて退出しようとするマリアに、声を掛ける。
「マリア、このムースのソースだが、」
リューンが不自然に言葉を切ったのを、補完するように、マリアが控えめな声で言った。
「ムイが、作りました。お口に合いませんでしたか」
心配顔で問うマリアを見て、リューンは慌てて言葉を継ぎ足した。
「い、いや、美味しいよ。ソルベのものより、甘みがあったから」
手紙を破り捨てた日から、リューンはムイに会っていない。リューンは故意にそうなるようにと、ムイを遠ざけ、そして自ら遠ざかっていた。
久しぶりのムイの存在を感じると、胸がいっぱいになった。白い泡のようなムースの上にかかる、真紅の木苺のソース。ムイが作ったというだけで、宝石のように尊いものに思えてくることを、リューンは苦々しく思った。
「新しい料理人ですか?」
はっと顔を上げると、ライアンがじっと見つめていることに気づいた。
「あ、いや。そうではないんだが……時々、フィナンシェを……」
一度だけだがなと思いながら、もう一口、口に入れる。すると、すかさずライアンが言った。
「リューン殿のために?」
どっ、と胸が鳴った。
「いや、そういう訳ではない。後片付けや洗濯をさせている子なのだが。その仕事の合間に、その、趣味でたまに……たまに、トマスに菓子作りを教えてもらっているらしい」
「そうですか」
ライアンがすぐに引き下がってくれ、ほっとする。
嘘は言ってない、リューンは胸を撫で下すと、ティーカップを取り上げて、啜った。
「それにしても、『ムイ』だなんて、珍しい名前だ」
同じようにティーカップを啜るライアンを見た。じっと見ると、見返してくる。その瞳に、アランと同じような若さを見つけると、その深緑の瞳の奥に何かが潜んでいるように感じて、良い気はしなかった。