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温かい灯火


(リューン様には誰か、好きな人がいるのかな)


ムイは仕事の休憩時間、いつものガゼボに座って、足をぶらぶらとさせていた。


(サラさんとか、恋人だったって言ってたし)


肩から、リューンにもらったブランケットを羽織っている。髪にはマリーゴルドの花。オレンジ色がムイの黒髪に映えて、綺麗な彩りを添えている。


(恋人がいるなら、あのベッドで……)


考えてから、顔が火照ってくるのと同時に、もやもやとした嫌な気分を感じて、後悔した。


(私なんて、喋れないし、教養もないし、……いつも、汚いし)


手作りしたマドレーヌを、リューンではなく実はサラに捨てられたとわかった時、ムイはほっと胸を撫で下ろした。けれど、もし捨てられずにリューンの手元に届いていたとしても、食べてくれたとは限らない。


(粗相したり、泥まみれだなんて。汚らしい私なんかが作ったものなんて、食べる気も失せるかもしれない)


ムイは、苦笑した。


そうやってベンチに座っていると、温い風が首元を掠めていって、同時に鼻もむずがゆくなり、思わずクシャンとくしゃみが出た。


鼻をすすって、ブランケットをたくし上げた、その時。


「風邪を引いてしまうぞ」


後ろから低い声がして、ムイは驚いた。立ち上がって振り向くと、リューンが上着を羽織って立っている。


その表情はどこか暗い。ムイはそんなリューンの様子を心配に思いながら挨拶をした。

深く頭を下げる。


「は、そんなに仰々しくしなくていい」


優しい声なのか、生気のない声なのか、判断がつかない。


(散歩、なのかな?)


ムイは、リューンに対して訊きたいことや話したいことが山ほどあることに、自分自身驚いた。


そしてもう一度ベンチに座り直し、側にあった竹で編んだ手提げのカゴを引き寄せると、リューンにもらった便箋とペンを出した。


「ん、なんだ?」


リューンが、隣に座ってくる。けれど、ムイは自分の肩が、リューンのそれにはるかに届かないことに気づき、胸が痛んだ。


(……距離を取っているのかな)


リューンは身体が大きく、体重の軽いムイなど軽々と抱き上げてしまうほどの力を持っている。自分との違いを感じると、その包容力に胸が熱くなってきたが、ムイは唇を引き結んで、その感覚に耐えた。


(私、変な匂いとか、しないかな……)


洗濯をしたばかりのワンピースとエプロン、風呂にも毎日入って、髪も石鹸で洗ってある。けれど、こうしてリューンの隣にいると、そんな些細なことが気になって仕方がない。匂いを確認しようとして、さっきからむず痒い鼻を啜る。


鼻がむずむずときて再度、クシャンとくしゃみをすると、リューンの身体が揺れた。


「ほら見ろ、もう風邪を引いたんじゃないか? ここは冷えるからな」


リューンが羽織っていた上着を脱いで、ムイの背に掛けてくる。

慌てて顔を振ると、風邪を引かれるよりマシだ、と言って、ムイの背中を覆ってしまった。


(本当に、お優しい)


上着からリューンの匂いがして、リューンのベッドに寝かされていたことも思い出される。リューンからもらったブランケットは時間の経過とともに何の香りもしなくなり、ムイはそれを少し悲しく思っていたが、こうして改めてまたリューンの匂いに包まれると、心が安らぐ思いがした。


「何か、書くんじゃないのか?」


その言葉に、ムイは慌てて便箋に文字を書き始めた。


「なんて、書いているんだ?」


優しさをはらむ声。覗き込んでくる顔が近づいてきて、その体温を感じると、ムイの心臓はばくばくと早鐘を打ち始めた。


(リューン様、)


手が震えるのを抑えるために、ペンを持つ手にグッと力を込める。


「ん、なんだ? こ、ん、に、ち、は」


ぶはっと噴き出して、リューンは腹を抱えて笑った。


「あははは、一体なんだと思ったぞ、はは」


驚いてしまった。


リューンがこんなにも楽しそうに笑った顔を見たことがない。いつもしかめっ面をしているような気がしていたから、ムイはその顔を見て、ああ、いいな、と思った。アランもよく笑うが、その笑顔とはちょっと違う。


(リューン様、こんな風に笑うんだ)


けれど、そう思ったのも束の間、リューンは引き潮が引くようにして笑いを収めてしまい、また元の生気のない顔に戻してしまった。


(あ、もう悲しそうなお顔……)


リューンの横顔を見る。その長い睫毛は、重さでもあるのかと思うほどに、半分に伏せられている。


ムイは再度、便箋に字を書いた。


「お、さ、ん、ぽ、で、す、か……はは、お前の字は、まだまだ下手くそだな」


その言葉を前にも一度、聞いたことがあった。この便箋をくれた時、そんなようなことを言っていたっけ。


(字は上手ではないけど、心がこもっているって言ってた)


ムイは、はっと気がついた。ただ一度。マドレーヌをあげる時、感謝の気持ちを書いたことがある。


(その時はこんな立派な便箋は持ってなかったから、ノートの切れ端に書いたんだっけ)


心に温かいものが灯った気がした。


(マドレーヌを捨てられたと思って、それどころじゃなかったけど、そういえば手紙は読んでくれていたんだ……嬉しい)


顔を上げると、リューンがこちらを見ていた。その黒い瞳は優しさを含んでいて、ムイは引き寄せられるように、その目を見た。


もう怖さなどはない。


(手紙を読んで、どう思ったのかな)


初めて、気持ちが知りたいと思った。それも、リューンの。


自分の気持ちを手紙に書こう。

ムイはその時、そう心に決めた。

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