泣けばいい
しばらく間を置いてから、トントンとドアがノックされ、アランが入ってきた。
「ムイ、もう大丈夫なのか」
ベッドに駆け寄って来て、横たわっているムイの手を握る、アラン。その光景は、まるで小説にでも出てくるように、絵に描いたような恋人同士だ。
リューンは踵を返した。
部屋のドアへと向かうと、後ろから声が聞こえてくる。
「ムイ、心配したよ。そうだ、ムイがくれた如雨露、俺ね、ちゃんと直したんだ。……サラが謝っていたよ、許して欲しいって」
ドアノブに手をかけたまま固まっていた。身体のどこもかしこも、自分のものであるはずの心でさえも。とてもちぐはぐに思えた。ノブを回さなければいけないと思う気持ちとは裏腹に、身体は言うことをきかない。
頭と体がバラバラになってしまいそうな感覚。
(そうか、……そうだな。初めての給金だったのだから、もちろんアランにもプレゼントを……)
ムイが作ったマドレーヌはサラによってごみ箱に捨てられていた。
「ごめんなさい、リューン様。こんな意地悪をするだなんて、私……どうかしてました」
涙で顔がぐしょぐしょのサラにハンカチを差し出しながら、リューンは言った。
「いや、すまない。俺の方こそ、お前の気持ちを踏みにじったのが悪かったのだ」
「リューン様、」
「けれど、もうお前を想う気持ちはないんだ。本当にすまない、許してくれ」
「……リューン様はその……ムイのことを?」
ハンカチを受け取ると、サラは訊いた。
「はは、どうだろうな」
力なく笑うリューンを見て、サラはハンカチで顔を覆った。声がハンカチによってくぐもる。
「私、リューン様のお母様の髪飾り……ムイにおあげになった髪飾りを、蓮の畑に投げ入れたんです。ムイがあんな汚い泥の中を、あんなに必死になって探すなんて思ってもみなくて。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
リューンは振り返った。アランとムイの二人。アランがなんとかムイを笑わそうと、熱心に話しかけている。その二人を置いて、部屋を出た。
後ろ手にドアを閉める。ぼんやりと霞がかかったような頭を抱えて、ゆっくりと歩き出す。
気がつくと、外の中庭を通り越して、ムイがよく眠っていたガゼボに着いていた。
ガゼボに設置してあるベンチに座ると、ひやりと尻が冷たい感覚。
(こんなところであの子は眠っていたのか)
足を抱えて寒さに耐えながら。まるで繭の中で眠る蚕のように。
リューンは、細く息を吐き出した。
「蓮の畑で何をやっていたのかと思えば……」
俺のやった髪飾りを探していたのか。
小さく呟くと、涙がせり上がってきて、リューンはそのまま泣いた。
「ムイ、お前を愛しているんだ」
絞り出すように。差し出すように。
「お前の名前を知りたい。お前の名前が……お前が欲しい、お前が欲しいんだ」
このガゼボに人はあまり寄りつかない。
唯一ここに憩うムイとアランは、自分の寝室で今は二人きりだ。
嗚咽を殺さなくていい。泣けばいいのだ。
そう思うと、涙がとめどなく溢れてきて、リューンは空を仰ぎ見た。