泥中に咲く花
「ねえ、あんたがリューン様に貰った髪飾りっての、ちょっと見せておくれよ」
昼の後片付けが終わってから、休憩を取るためガゼボに向かおうとすると、洗濯室から出てきたサラに声を掛けられて、立ち止まった。
(休憩、終わっちゃうんだけどな)
ムイは声を掛けてきたサラに何か嫌な雰囲気を感じたが、サラには洗濯係の時に世話になって、無下にはできないと思う。
(昔、リューン様と付き合ってた……そう言ってたっけ)
そう思うだけで、ムイは胸のあたりがもやっとしたような気がした。
その胸に下げた革製の小袋に、リューンに貰った髪飾りが入っている。
サラの要求通り、小袋から出して手に取ってみせる。サラはそれを取り上げると、光にかざしたりしながら、呟いた。
「うわあ、綺麗ねえ」
サラが、自分の髪に挿そうとしているのを見て、ムイは途端に嫌な気持ちになった。
(リューン様に、私がいただいた物なのに……)
返して、と手を差し出してアピールすると、マリアは「少しくらい、いいじゃない」と、髪につけたまま、エプロンのポケットから手鏡を出して、自分の姿を見る。
「私の方が、断然似合うじゃない‼︎ ムイ、これ私にちょうだいっ‼︎」
ぎょっとして、ムイは直ぐにサラの髪に手を伸ばした。
サラはさっと身体を避けて、顔を歪ませ大声を上げた。
「ちょっと‼︎ 何すんのよっ、危ないわねっ‼︎」
ムイが更に手を伸ばすと、サラはその手を力一杯、払い落とした。バシッと音がして、右手の甲に痛みが走る。ムイは顔をしかめながらも、サラのエプロンを掴み返した。
「やめて、ムイっ。わかった、わかったって‼︎ 返すから、手を離してっ」
ムイが手を離すと、サラが髪飾りを髪から外した。
ほっと、胸を撫で下ろした。その瞬間。
サラは振り返って、背後にある蓮の花の畑へと、髪飾りを投げ入れてしまった。
(あっ‼︎)
何するのと言いたいのに、こんな時こそ言葉が必要だというのに、役立たずな口からはひとことも声は出ない。サラに抗議したい気持ちを抑えて、ムイは畑に駆け寄った。
蓮は、泥水の中にその根を生やす。そのため、蓮の畑はいつも水が張ってある。今が見頃の薄桃色の花が、その大輪を自慢するかのように、美しく咲き乱れていた。
髪飾りの落ちる、ぼちゃんっという鈍い音を聞いた。この広い泥の畑のどこに落ちたのか、それもわからない。鮮やかな緑の蓮の葉が、ゆらゆらと揺れるのみ。
リューンから貰った髪飾りが泥の中、底へと沈んでいることだろう。ムイは絶望的な気持ちになり、その場に座り込んでしまった。
そして、サラへと振り返ると、精一杯にサラを睨みつけた。
「なによ、その顔はなんなの? リューン様にプレゼントされるってことすら憎らしいのに、お母様のものをいただくなんてっ‼︎ 厚かましいにもほどがあるわ」
サラの急激な激怒。怒鳴り声がキンキンと頭に響いて、ムイは顔をしかめた。
「あんたなんか、どこの馬の骨ともわかんないような、汚い小娘じゃないっ。私、見たんだからねっ‼︎ あんたが、ここに連れてこられた時のことっ」
薄ら笑いを浮かべながら、サラは続けた。
「汚らしい男と一緒だったでしょ。あれが、あんたの父親だなんて、最悪も最悪。それにあんたも相当、汚れてて汚かった。しかもあんた、リューン様の前で粗相したでしょ。恥ずかしいったらありゃしない。リューン様も何であんたなんかを担いで、風呂に入れたのかしら? ああ、そうね。きっと、あんたがあまりにも汚なすぎて、我慢できなかったんだねえ」
サラは次第に激昂し、手のつけられないような狂った状態になった。
「ちょっと目を掛けられているからって、いい気になるんじゃないよっ‼︎ リューン様はね、私とっ……‼︎」
ここでサラはようやく言葉を切った。
「とにかく、お菓子を作って機嫌を取ろうなんて、姑息な真似をするんじゃないよ。今度、そんなことしてみなっ。私が片っ端から捨ててやるからね」
サラはスッキリしたという顔で、洗濯室へと向かおうとして止まり、振り返って言った。
「ああ、そうそう。忘れてたわ。あんたがアランにあげようとしてた、あのちっちゃい如雨露。壊れてたから、捨てといてやったよ」
サラが洗濯室へと向かう。しばらくして、建物の奥の方でバタンッとドアを閉める音が聞こえてきた。
(サラが、捨てたんだ。あのマドレーヌも、サラが……)
悔しくて悔しくて、涙が出た。
けれど、蓮の畑を睨む。ぐいっと涙を拭い、靴を脱いで裸足になると、蓮の畑へと足を踏み入れた。
蓮の花が。一本、一本と倒れ、そして折れていく。
(ごめん、ごめんね)
泥水は思ったよりひやりと冷たく、そして裸足の足は、ズブズブッとその泥の中に容易に埋まっていく。太もものあたりまで、あっという間に泥水で覆われた。
腰を折って、両手を伸ばす。手の感触で、髪飾りを探していく。
(冷たい、寒い、)
泥水が体温を奪っていく。けれど、ムイは畑の隅から中央へと進んでいった。
(髪飾り、見つけなきゃ)
涙がぽたっと落ちて、さざ波の打つ水面に、また新たなさざ波を作っていく。
ぐらっと身体がよろけた。肩の上まで水に浸かってしまったが、すぐに起き上がってまた探し始める。
(失くせない、あの髪飾りだけは。失くしたくない、失くしたくない)
強い思いを胸に抱えたまま、ムイは泥中に手を伸ばしていった。