感謝の気持ちを
「はいよ、お給金だ」
差し出された封筒を手に取ると、ずしっと重みがあった。皆が封筒を覗きながら歓喜しているのに倣って、ムイも手渡された封筒を覗き込んだ。
(え、こ、こんなに?)
一ヶ月分の支払いだからまとまった金額になるとは聞いていたが、何かの間違いではないかと思った。食事も三食、質素ではあるがちゃんとした料理を食べさせてもらえ、ぐっすりと眠れる暖かいベッドまである。しかも、ムイの場合、ローウェンから勉強を教えてもらうという名目で、二階に個室まであてがわれているのだ。
(その上、こんなにもお給料を貰えるなんて、)
貧しい生活しか知らないムイにとって、夢のような待遇だった。
(お父さんやお兄ちゃんたちにもし会えたら、何か買ってあげたい)
胸が膨らんだ。
(アランにも、いつも貰うお花のお返しをしなきゃ)
今、部屋には数鉢の花が並んでいる。ムイは丁寧にその世話をしていた。
元々花や動物が好きだったが、今までそれらを愛でる機会がなかっただけだ。
それがこうして余裕のある生活ができ、植物や動物に心を寄せることができるようになったことを、ムイはたいそう喜び満足していた。
(……こんな豊かな生活、リューン様のおかげだ。それに、こんな私にブランケットや髪飾りをくださった)
『髪飾り』という言葉には、いまだ苦いものが残ってはいるが、リューンにも何か感謝の気持ちを、と思う。
ムイは、数日を費やして考えた。
食事の好みは分かってはいたが、もうマリアやソルベのいる料理室に行くことはできない。
(マリアたち、きっとまだ、私が盗んだと思っているだろうし……)
胸がちりと痛んだ。自分の世話を焼き、気にかけてくれていたマリアやソルベに、愛情を持っていたからだ。
それを思うと、溜め息しか出ない。
料理関係は早々に諦めて、ではアランがくれるような花などはどうだろうと考える。
(でもお花を用意するのには、アランに頼まなくてはいけない)
良い案が思いつかず、頭を悩ませながら、さらに数日が経過した。
そんなある日、ムイが洗濯室の外で洗濯物を干していると、唐突に思いついたことがあった。
(そういえばリューン様は、私に早く字を覚えろと、何度も言っていた)
ローウェンに勉強を教えて貰っていると、時々ドアがノックされ、リューンはローウェンを廊下に呼び出しては、その進捗具合を尋ねていた。
(きっと、私の名前を訊き出したいのだとは思うけど……)
真の名前を持っている。
ただ、ムイが胸に秘めるその真の名前は、他の人々が持つ名前とは、事情が違っている。
ムイが仮の名前で呼ばれていても、体調を崩さない所以は、実はそこにあるのだ。
リューンやローウェンは、それが名無しだからだと思っているだろう。
悟られてはいけないし、もちろん握られてはいけない。
名前を握られたら、二度とこの城からは出られなくなるということも、分かっている。初対面で感じたリューンの恐ろしさに一生支配されるのだと思うと、恐怖で身もすくむ思いだ。
ただ。
ムイは洗濯物を握ったまま、手を止めた。
(でも、今はもうそんなに怖くない。それに、これだけ良くしてもらっているのだから、感謝しないと)
字を覚えよう。そして、手紙を書こう。そして、感謝の言葉を伝えるのだ。
心が決まると、洗濯干しがはかどって、ムイは楽しい気分になった。