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盗んだもの


「ムイを呼べ」


ここ数週間は、ムイの顔をまともに見ていないからだろうか、リューンはそれだけでイライラしているように見えた。

ローウェンにもムイの様子を訊こうとするが、ムイの勉学もあれ以来はかどってはおらず、しかもムイがローウェンの手をかいくぐって逃げおおせていることに、リューンは怒り心頭だ。


頭を冷やそうと開けられた窓。けれどやはりイライラと鬱積した気持ちはそう簡単には消えることはないらしい。


「ローウェン、ムイを呼んで来いと言っている‼︎」


荒げられる声。


リューンに命令されれば、ローウェンはその理由を訊くこともままならない。身体が意思とは無関係に動くままに、ローウェンはムイの部屋を訪ねた。けれど、やはりいつものようにムイは見つからない。


諦めて、そのことを伝えようと、リューンの部屋へ向かおうとしたその時。


廊下の先にのしのしと大股で歩くリューンの大柄な身体を見つけ、ローウェンは駆け出した。その先は、料理室だ。


(直接、捕まえようというのか)


焦ったローウェンは声を掛けた。


「リューン様、お待ちください」


その時。

ガシャンと何かが割れる音が響いた。くぐもっていてはっきりとは聞こえないが、誰かがなにかを怒鳴り散らしているようだ。


女の金切り声と男の怒声が入り混じっている。それは、今まさに訪ねようとしていた、料理室から聞こえてきた。


ローウェンは最初、調理人と給仕の小競り合いだと思った。リューンも同じように思ったのだろう、眉をひそめている。


実は、調理人と給仕の間には、以前から小さいながらも、考え方の相違によるいざこざが絶えずあり、ローウェンがいつもその間に割って入って仲裁してきた。


そんな小競り合いの中へ、ムイを探しているというどうもない理由で、この城の当主であるリューンが、入ろうとしている。


内心、嫌な予感がした。


リューンがドアノブに手を掛けると、金切り声や女の悲鳴が、さらに激しさを増した。


リューンはドアを開けて、中へ踏み込みながら、声を荒げた。


「どうした、何をしている!」


一瞬。


空気が沈黙した。けれど直ぐにもローウェンがその沈黙を破ることとなる。


「あっ」


ローウェンが思わず、普段出さないような驚きの声を上げてしまう。


それほどまでの、光景。


床に。

ムイが倒れている。


その側には、割れた皿の残骸が散らばっている。


(この状況はまずい)


ローウェンが、誰より何よりも早く、ムイに駆け寄り、抱き起こした。


けれど、そのムイの顔。

左の頬が、真っ赤に腫れ上がっている。まずいとも思う前に、またしても声を上げてしまった。


「なんてことだっ。これは一体、どうしたのですっ」


ムイは鼻からも口からも、血を流していた。頬は腫れ上がり、唇が切れている。そこへ鼻血も合わさってか、口元が真っ赤に染まっていた。


ローウェンは、この姿をリューンに見せてはまずいと思った。

けれど、リューンは近くまで来て、そこで恐ろしいまでの形相をし、ムイを見おろしていた。握っている両の拳は、ぶるぶると震えるほどに、強く握り込まれている。


「殴ったのは誰だ」


抑えた声が、低く恐ろしく響いた。

食堂に続く料理室の部屋全体を、ぴりっとした空気が覆った。その緊張感を破るようにして、女の声が響いた。


「も、申し訳ありませんっっ」


声の主は、マリアだった。

マリアは土下座して、頭を床に擦りつけている。泣きわめくようにもう一度謝るが、嗚咽と謝罪とが混じって何を言っているかわからないぐらいだった。


「殴ったのは誰だと訊いているのだっ‼︎」

「私ですっ」


すぐにも料理人の一人が、マリアの横で同じように土下座した。

長年、このリンデンバウム城の料理を作ってきた、料理長のソルベだった。ソルベもまた、背中を大きく震わせながら、頭を床に擦りつけている。


「わ、私が殴りました」


震えた声が一層情けなく、消え入るように耳に届く。


ローウェンは、直ぐに懐からハンカチを取り出すと、ムイの口元に当てた。ムイは気絶しているようだ。


(頭でも打ったのだろうか)


そして、ムイのだらりと下がった腕の先、手に何か握りしめているのに気がついた。


(これは、リューン様の)


思い至る前に、マリアが泣きながら、訴えた。


「リューン様、申し訳、ございません。この子が、、ムイが、、あろうことか、お母様の、髪飾りを、、盗むなん、て、ううぅ」


しゃくり上げながらの説明は、聞き取りにくかったが、事の次第を分かっている者にとっては、よく理解できた。ローウェンが、リューンを見る。


我を忘れるくらい怒りで真っ赤だったリューンの顔色が、今は真っ青になっている。


隣でガタガタと震えていたソルベも、何とか説明しようと続けた。


「こんな泥棒猫だとは……こんな汚らしい娘とは思っておりませんでしたっ。わしらは、騙されたんです。せっかく、目をかけてやっていたのに……マリアもずいぶんと可愛がっていたのに……」

「あああ、リューン様の、ご、恩を、、仇で返すようなことを……」


マリアが泣きながら、背中を大きく揺らした。

リューンが、ふらりと大きく一歩、後ずさった。


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