初めての贈り物
「さあ、傷の具合はいいんだろう。もうその仰々しいものを取っておくれ」
マリアが、ムイの足を手のひらで指す。ムイが慌てて包帯を取ると、薄っすらと傷が残っていた。
「なんだい、もう全然大丈夫じゃあないか、まったく。アランが大事にし過ぎるんだよ」
アランの名前が出て、ムイは自分の頬がほんのり熱を持ったことに気がついた。仕事中はさすがに会えないが、休憩の時間に中庭に出ようものなら、どこからかふらりとやってきては、足は大丈夫か、包帯の替えはあるか、と話しかけてくる。
そして時々、ムイの髪や頬をつついたりしながら、からかってくるのだ。
「ムイ、これ。俺が作ったんだけど、貰ってくれないかな」
ある日、アランが花の鉢を持ってきてくれた。可愛らしいピンクの花だった。
「ポピーという花だよ。可愛いだろ」
渡されて、手を伸ばし受け取る。面と向かってプレゼントを貰ったのは、生まれて初めてだったので、それだけでも単純に嬉しかった。
「…………」
礼として顎をこくっと打った時、アランの眼を見た。アランの瞳は、鮮やかなブルーだ。その色を見て、晴れた日の空の色みたいだと、ムイは思った。すると、自分の瞳は何色なのだろう、という疑問が湧いてきた。
ムイの家にはもちろんのこと、預けられた育ての親の家にも、鏡というものがなかった。この城へ来て初めて鏡を見たのは、粗相をして、風呂に入れられた時だった。
リューンに肩に担がれた時、ローウェンが声を上げたことを覚えている。
「汚れてしまいます、リューン様っ。どうか、侍女にお任せくださいっ」
その時、自分が汚い存在なのだということを、否応無しに自覚させられたのだ。
風呂へと投げ込まれた時、上から見下ろすリューンの目が、冷たく何の熱をも持っていないことが、心底恐ろしかった。
髪は美しい金髪だが、真っ黒の、暗い闇をたたえた瞳だった。
(怖い、怖い、)
風呂の中で恐ろしい漆黒の瞳に睨みつけられ、恐怖で涙がさらに溢れそうになった時。
わたくしが綺麗にしますので、と慌てて侍女が飛び込んできた。そこでようやく、リューンは去ってくれたのだ。
そして、風呂では肌を痛いほどに磨き上げられた。髪も引っ張られて千切れるのではないかと思うほど、石鹸でゴシゴシと洗われた。
大きく柔らかい真っ白なタオルに包まれて風呂から出た時。背ほどもある大きな鏡の前に座らされる。
自分の姿をまじまじと見たのは、これが初めてだったように思う。
「ムイ、気に入らない?」
はっとして、顔を上げると、そこにはゆらゆらと心配そうに揺れるアランの瞳。
リューンの瞳との違いにほっと胸を撫で下ろすと、ムイはううんと首を横に振った。貰った鉢植えを見る。すると、自然と口元がほころんだ。
ムイは、ポピーの植木鉢を抱えて、自室に戻った。
窓辺に置く。淡いピンクの花が、ゆらゆらと揺れた。
(何かをプレゼントされるって、嬉しいけど、なんだかこそばゆい感じ)
水差しの水をコップに入れ、根元に水をかけた。
(でも、贈り物と言えば……)
ムイは胸に手を当てた。
首から下げた小さな袋の中に、花の髪飾りが入っている。
(知らない間に髪に挿してあって)
ガゼボで眠りから覚めると、耳の上に違和感を感じた。手に取ってみると、それはいつも髪に挿していた花ではなく、貝殻で作られた虹色の髪飾りだった。
(すごい、綺麗……)
言葉が出ないほどに、ムイは驚いた。貝殻で作られた花の髪飾り。一目で高級なものとわかる緻密な細工。虹色が朝日に反射して、キラキラと輝いていた。
誰が、挿していったのだろう。きょろきょろと辺りを見渡してみたが、誰の姿も見えない。
ムイは広場にあるこの小さなガゼボをとても気に入っていた。それは、悲しみや恐ろしさを忘れさせてくれる、唯一心が休まる場所。小鳥の鳴き声が聞こえ、たくさんの可愛い草花の香りがする。凪いだ風。時々、顔を出す可愛らしいリスたち。
(ううん、違う)
ムイは思った。
(髪飾りの前にも、暖かいブランケットを掛けてくれた……)
ワンピース一枚で出てしまった、あの夜。あまりの肌寒さに、ブランケットをそのまま借りてしまった。
(嬉しかったな)
誰がくれたのかは、もちろん分かってはいない。けれど、ムイはそれが本当に心の優しい人の行いだということを、信じて疑わなかった。
他人に優しくしてもらうことなど、今までそうそう無く、育ってきた。そんなムイの心に、その優しさが染み入ってくる。
(もしかしたら、アランかも知れない)
貰った鉢植えの、ポピーをそっと撫でる。
ふわっと甘い香りがして、ムイはその香りに誘われるように顔を近づけて、その香りを嗅いだ。