真っ直ぐな愛情
「何か良いことでもございましたか?」
「なぜだ」
「ご機嫌がよろしいようで」
「そのように見えるか」
「はい」
「そうだな、まあ気分は良い」
リューンが手元にある書類にサインを施していくのを横目で見ながら、ローウェンは書類を仕分けしていく。サラサラと軽くサインをしていく姿を見て、ローウェンは今ならと思い、声を掛けた。
「リューン様、庭師のアンドリューが、」
「知っている」
途端に不機嫌になっていく様を見て、ローウェンは苦笑しつつ言葉を速めた。
「……その件に関しましては、私がもう少し早目にアランを紹介しておけばと、」
「別にいい」
事の顛末は、マリアによって耳に届いている。
「申し訳ありませんでした」
「別にいいと言っている」
「今日の午後にでもお目通りをと思っております」
「……わかった」
無口になったリューンを見て、アランを気に入ってないことが、手に取るようにわかる。
アランを養子にという件に関しては、ローウェンは一ヶ月ほど前に庭師のアンドリューから相談されていたことでもあった。本人にも会って何度か話もし、よく見知っていた。
アランは真っ直ぐな性格で、その若さも手伝ってか、清々しく気持ちの良い青年だ。
(また一悶着ありそうだな)
そう思うと頭が重くなる気持ちがしたが、仕分けした書類の束をリューンの机の上へと積み上げた。
午後になって、リンデンバウム城専属の庭師アンドリューとアランとを中庭で捕まえると、二人を連れ立って長い廊下を歩いていく。
「アラン、君は本当に了承しているか?」
ローウェンの淡々とした問いに、アランが返答する。
「……はい、まあ」
庭師のアンドリューが丸くなった背中を更に丸くして、ゆっくりと歩を進めながら、アランへと話しかけた。
「アラン、お前の一生に関わることだから、嫌ならはっきりと断った方が良いのだがなあ……」
それに合わせるかのように、アランも歩幅を小さく狭めている。
「このご時世に安定した職業に就けるのは、ありがたいことですから」
「君は名前を握られて命令に従わされることに、抵抗はないのか?」
ローウェンは真っ直ぐ前を見ながら、問うた。
「命令と言っても、ほぼ間違いなく仕事の内容だと聞いていますし。仕事なら、何でもやりますので」
「君のプライベートのことで、こうしろと命令されたらどうする?」
ローウェンがちらと視線を隣に移す。アランの横顔が、一瞬曇った。
「どうするも何も。そりゃ聞かなきゃ仕方がないですよね。それは嫌だと意思を示すことも、出来なくなるのですか?」
「嫌だと思っても、口には出来ないだろう」
「アラン、そのような類のことで、わしが困ったことなど、今までに一度もないがなあ。庭の管理については全て任されておるから、細かいことであれこれと言われたことはないし、それに……」
ゴホゴホと少しだけ咳いてから、アンドリューは言葉を続けた。
「リューン様はお優しい方だ。皆を困らせるようなことは今までに一度もないからのお」
「それは嘘だ」
思いも寄らぬ力のこもった言葉に、ローウェンとアンドリューは顔を上げて、アランを見た。
「……いえ、すみません」
唇が引き結ばれたのを見て、ローウェンは先日の出来事のことを言っているのだなと思った。怪我をしたムイを抱きかかえて帰り、介抱したと聞いている。
「君がそれで良いと納得できれば、名前を差し出すが良い。ただ、この城に名前を隠したまま、留まることはできない。それが出来ているのは、名無しであるムイだけだ」
ムイの名前を聞いて、アランの頬が少しだけ紅潮したのを見逃さなかった。
(隠し事のできない性分だな)
ローウェンはそう思った。
けれど、アランの次の言葉にぎょっとしてしまった。
「この城で働きながら、ムイと家庭を持てれば良いと思っています」
突然のことでローウェンが歩みを止めてしまった。それに合わせて、二人ともが立ち止まった。
「アラン、君は、何を言っているのだ」
「ムイを愛しています」
アンドリューが、隣でおろおろとしながら言った。
「た、確かにムイは心の優しい子だが……口もきけんのに」
「話せないことなんて、大したことじゃない」
ローウェンが慌てて、「けれど、君とムイは会ったばかりじゃないか」と声を上げた。そして、自分の声ではっと我に返ると、すぐに口を噤んだ。
(このようなこと、リューン様に聞かれたら)
「時間なんて、関係ない。俺は、」
言葉を続けようとしたアランを、ローウェンはボリュームを落とした声で制した。
「やめなさい。こんな場所でそのようなことを口にするもんじゃない」
「ですが、」
「君がムイをどう思おうと勝手ですが、この城の中でその話をするのは控えるように」
ローウェンがきつく言うと、アランは不服そうな顔をしてから言った。
「あなたの命令も聞かねばいけないのでしょうか」
「ここで雇われる以上、私の言うことも聞いてもらいます」
きっぱりと言い切られ、アランは黙った。
(一体、これは何なのだ。若さゆえのことなのか)
ムイを愛している、ムイと結婚して家庭を持つ、そう高らかに宣言し、そしてそれをこの若者はすぐにでも行動に移すだろう。
(遅かれ早かれとは思っていたが、このように早くだなんて、思わぬ誤算だ)
ローウェンは腹がきりりと痛んだような気持ちがして、再度歩き出した。さっきまでの足取りとは違って、運ぶ足も格段に重い。
横に連なって歩く三人の間に無言の静寂が訪れたが、ローウェンは気にせず、そのまま黙々と長い廊下を歩いた。