魂で惹かれ合う
「誰だ」
人影が動いて、足元でジャリと砂を踏む音がした。
「ムイ」
その声。予想通りの声に、ムイはどうしていいのか、わからずに混乱した。
(りゅ、リューン、さ、ま、)
タジンが身じろぎした。
「まさか……あんた、リンデンバウムの領主様か?」
影はその声に答えずに、再度名を呼ぶ声。
「ムイ、」
優しさを含む声。けれど、その声には微かに震えが混じっている。
「ムイ、……結婚、したのか?」
「え、」
声を上げたのは、タジンだった。
「……ムイ、幸せなのか?」
ムイは、慌てて口に手を当てた。言葉を発してはいけない。名前を呼ばれただけで、愛しさがぶわりと湧き上がってきた。
けれど、言ってはいけない。ここで何か言葉を発してしまえば、身を切られるような思いで、リンデンバウムの城を出てきた意味がなくなる、と。
自分ではなく、リューンのためだけに。
「…………」
ムイは、唇を噛んで、耐えた。タジンの背中に身を小さくし隠れる。
震える手は、タジンの裾を掴んだままだった。
「ムイ、お前が幸せなら、……それでいい」
「お、おい、あんた」
タジンが声をかける。
「ムイ、」
愛しさが。今にも溢れ出しそうな声。その表情は宵闇が覆い隠してしまっていて、目を凝らしても見えやしない。
けれど、ムイはもう見ていなかった。見られなかった。
早く去ってくださいと、心で祈るのみだった。
「いつまでも……幸せでいてくれ、ムイ」
ジャリと音がして、足音が去ろうとした時。
「あんた、ムイを置いていくのか」
タジンが強さを含む声で言った。
「ムイを置いていくなら、俺が貰う。それでいいのか?」
「兄さんっ」
足音が止まった。
「……置いていきたいわけじゃない。ずっと探していたんだ……」
声が。震えている。
その低く抑えた声が、ムイの耳に届く。
「ずっと、ずっと探していた。ようやく見つけたんだ」
「だったら、言うことが違うだろう」
「兄さん、やめて」
ムイが掴んでいた裾を引っ張った。
「兄さん? 兄弟なのか? それなら尚更だ。ムイ、俺のムイ」
「リューンさ、ま、」
「お願いだ、俺を選んでくれ。お前を愛してるんだ」
自分でも知ることのない涙が、溢れていた。
「私では、リューン様の、ご迷惑、に、なりま、す」
「ムイ、お願いだ。俺の側にいてくれ。頼む、ムイ……俺にはお前しかいないんだ」
「どうか、お帰り、ください」
涙が堰を切ったように流れ落ちる。ムイは、タジンの裾にすがりながら、大声を出した。
「お帰りくださいっっ」
「ムイっ、お前がいないなら……それならいっそ、俺は独りで生きる」
「リューン様っ」
「お前がいないなら、俺は独りだ!」
「…………」
「前にも言ったはずだ……お前が俺の側で生きぬなら、俺は独りで生き、独りで死んでいく」
吐き出すように叫ぶと、リューンは歩き出した。
その足音に、リューンが去ってしまう、と思った瞬間。
魂が。
魂が、物を言わぬ口で叫んでいた。
それは愛する人の名前。全身全霊で、愛した人の名を。
それに合わせて、心臓が、どくどくっと鳴った。その刹那にムイが慌てて顔を上げると。
去ったと思ったリューンがこちらに向かって歩いてくる姿が。淡い月明かりの中、浮かび上がって見えた。
懐かしい、リューンの姿。
タジンがそっと、ムイの背中を促して、前へと押し出す。
一歩、
一歩と、足が前へ出てしまうともう。自分の意思に逆らって、足が、身体が、動いてしまった。
そして、手を。
衝動に突き動かされて、伸ばしてしまっていた。その伸ばした指先までもが、リューンを求めてやまないことに、ムイは気がついた。
「リューン様、」
名前を呼ぶと、今度は心が。
——魂で惹かれ合う。それが、最愛なのだという。
シバの言葉が甦ってきて、ムイの胸を熱くした。涙が流れて、落ちていく。
「リューンさ、ま、」
リューンは直ぐにもムイの前に来ると、ムイを力強く抱き締めた。
「ムイ、ムイ、俺のムイ、」
何度も名前を呼ばれ、愛しい声が、脳へと伝達されていく。
リューンの覚えのある懐かしい匂いに、くら、と意識が揺れる。ムイは意識を保つために、精一杯リューンの首にしがみついた。
ムイがリンデンバウムを去ってから、そしてリューンがムイを血眼になって探し始めてから、二年という月日が経っていた。