いつまでも
「お父さん、これも植えるの?」
「ああ、一番奥に植えてくれ」
「ムイ、あとは水をやっておいてくれないか」
「わかったわ、兄さん」
曲がった腰をぐうっと伸ばして、ムイの父リーアムは額に浮いた汗を布で拭った。
「今日も暑いな、」
「日差しをつけた方がいいわ。料理長のソルベさんがこうして畑に布を張っていたの」
「お前はとてもよく、勉強をしたのだな」
「城にいる時に色々、教えてもらったの。料理や洗濯以外でも、勉強もさせてもらって、」
「素晴らしい女性になったなあ。母さんも喜んでいるだろ」
「兄さん、」
「さあ、俺は火を起こしてくるよ」
ムイの兄、タジンが畑から家へと戻っていった。
ムイはその姿を見送ると、止めていた手を動かして、菜っ葉の苗をふかふかに耕した土に植えていった。
リーアムが立ち止まったまま、ムイを見た。そして、弱々しく呟くように言った。
「ムイ、お前の幸せの邪魔をしてしまったな」
ムイは顔を跳ね上げて、眉根を寄せた。
「お父さんっ、そんなことないからっ。私、ちゃんと幸せだよ」
ムイは、額から流れる汗を袖口で拭くと、頬に土をつけながら、にこっと笑った。
「さあ、私、ご飯を作るね」
引き抜いた根菜を腕の中に抱えると、立ち上がって踵を返した。歩き出す足を止めて、ムイは振り返った。
「それより、ムイと呼んでくれてありがとう。お母さんにつけてもらった名前がちゃんとあるのに……」
「そんなことはいいんだよ。もう慣れたし、それにムイと呼ぶくらい……それくらい、させてくれないか」
寂しそうに笑うリーアムに、ムイも同じように笑いかけた。
「……お父さん、本当にありがとう」
リリー=ラングレー。
真の名前はもう必要ない。
リューンもリンデンバウムの城の皆も、そして国王陛下も。
言葉も声も記憶も失ったと思っている。自分という存在ももう、リンデンバウムの地のどこにも無いのだ。
父と兄、家族の元で。ゆったりと流れる時間の中、もちろんここの誰にも、真の名前を使う必要はない。
そして。
ムイ=リンデンバウム。
(……もうリンデンバウムではなくなったけれど、ムイの名はリューン様にいただいたものの一つ。大切にしたい、大切に思いたい)
大きく息を吸った。
そして、どこまでも高く青い空に向かって、心で言った。
リューン様、あなたを、いつまでも……。
心の中で何度も何度も繰り返した。
胸を張って、何度も。