どうか幸せに
(これ以上、ここに居ることは許されない。大切な、大切なシバも死なせてしまった。そして、リューン様の大切なリンデンバウムをめちゃくちゃにしてしまった。私の、……私が全ての元凶……これ以上、皆を不幸にしてはいけない、リューン様を不幸にしては、いけな、い……)
震える手で、少しずつ集めていた私有物をカバンに詰める。
その中に、ムイとは縁のないタバコのケースがあった。
アネモネの花びらで彩られたシガレットケースは、以前ムイが手作りし、リューンにプレゼントしようとしたものだった。
(ふふ、受け取っては貰えなかったけれど……)
ムイは弱々しく笑った。
記憶はあったのだ。頭を打った後、目覚めた当初は混乱はしたが、意識ははっきりしていた。
最初に目覚めた時、リューンを真っ直ぐに見ることができなかった。何という大それた事をしてしまったのかと、そんな負い目がムイの目を現実から背けさせた。
そして、声も。ここリンデンバウムで自分が一言でも言葉を発するということは、大罪に値する、そう思ってしまったのだ。
それなのに、リューンはムイを離さなかった。耳元で何度も愛していると、囁いてくる。
「……お許しください、リューン様、私がこのままリンデンバウムに留まれば、きっと批判の声が日に日に増すことになってしまう……」
国王陛下の使いが、廊下でひそひそと囁き合っているのを聞いた。
「リューン様はどう収拾つけるおつもりなのだ」
「ユリアス殿は裁判の過程でムイ様と共謀したと言ったらしいぞ」
「さすがに陛下は信じなかったがな。けれど、噂は直ぐに流れていく。人の口に戸は立てられぬ、だな」
「ああ。だが、陛下にはもうムイ様を諦めてもらうしかない」
「まあ、ムイ様があんな風じゃ、どっちにしてもダメだろ。喋れないなら、歌を歌うこともできんからな」
使いの者二人が「これじゃ使い物にならん」などと言い捨てて国王の元へと帰っていったことは、侍女のジュリの怒りを含む独り言で知った。
ムイは、手元を見た。
持っていたシガレットケースを、ずっと使わせてもらっているリューンの寝室にあるタンスの引き出しに、そっと入れる。
そして、それと引き換えに出したのは、小さな麻袋。紐を伸ばして、首にかけた。
手で握ると、小袋の中のものがゴツゴツとしていて、手のひらを押した。
(これだけは、手離さない。これだけは……リューン様の代わりに)
リューンに貰った花の髪飾り。リューンの母親の形見の品。
ムイはそれを長い間、ずっと手元に残して大切にしてきた。リューンと離れていた間も、肌身離さず、ずっと。
(リューン様、どうかお幸せに)
涙がぼろぼろと溢れて、そして溢れ落ちていく。
どうか、どうか、お幸せに。
そっと、部屋を出た。