変わってしまった世界
「これは食べられるか? お前の好物だっただろう?」
アランに作ってもらったアロエ果肉の蜂蜜漬けを、リューンはムイの前に差し出した。
ベッドに座っているムイは、真っ直ぐ前を見据えていて、リューンの手の中にあるビンには、届かない。
リューンは細く息を吐くと、椅子から立ち上がり、ベッドの端に座った。そして、スプーンでアロエの果肉を一つ掬うと、ムイの口元に持っていった。
口にスプーンの先端をつけると、口が薄っすらと開く。その中に果肉を滑り込ませると、もぐもぐと口が動いた。
「アラン、が作ってくれたのだ」
その言葉に、ぴくっとムイの頬が動いた。
「あ、アランは、覚えているか? 庭師のアランだ。バラを育てていて、お前がよく押し花にする花を、」
アロエの果肉を飲み込もうと、ムイは喉をこくりと下げた。
「あ、アランを呼んでくる」
リューンは立ち上がると、ドアから飛び出して、アランを呼んだ。
ローウェンに連れてこられたアランは、ムイの目の前に座ると、そっと手を頬に当てがって、ムイ、と名を呼んだ。
「ムイ、俺がわかるかい?」
薄っすらと、唇が笑った気がして、リューンの心臓は跳ね上がった。
けれど、ムイの反応はそこまでだった。直ぐに、その瞳は陰っていき、そして、閉じられた。
様子を見ていたジュリに促され、ムイはそのままベッドに横になった。
皆が部屋から出ていくと、リューンは肩を落とした。
ムイの、眠る横顔。
「ムイ、早く俺を思い出してくれ。愛しているんだ、お前を愛してる」
呟いた声は、灯りを落として薄暗がりにされた部屋に、虚しく響いていった。
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バラ園を越えて、白いガゼボにも行った。二人で飛び込む羽目になった裏庭の蓮の泥畑にも行った。鳥の雛を拾ったことも、押し花の教室のことも、何度も繰り返し話した。
そして、リューンとムイは今、マニ湖を望むバルコニーで、沈んでいく夕日を眺めている。
「寒くはないか?」
リューンが訊くと、ムイの身体が揺れた。
リューンは羽織っていた自分の上着をムイの背中にかけると、そっと肩を抱いた。小刻みに震える振動が、リューンの腕に伝わってくる。
「まだ寒いのか?」
暖めようとして、さらに腕に力を入れると、ムイが小さく縮こまって身を硬くした。俯く唇が、ぐっと引き結ばれる。
たまらなくなって、リューンは顔を近づけた。
「ムイ、愛しているんだ」
唇を、ムイの唇に合わせようとした時。
どんっとリューンの身体が押されて、ムイが二歩、後ろへと下がった。
「あ、」
リューンが手を伸ばす。その手から逃れようと、さらに後ろに下がる。そしてムイは、リューンの横をするりと抜けると、城内へと戻るドアへ向かった。
「ムイっっ」
リューンが追いかけて、ムイの腕を掴む。
背中から、ぐいっと抱き締めると、リューンはムイの髪に顔を埋めた。
「ムイ、どうして逃げるのだ」
久しぶりに嗅いだムイの髪の香りに、リューンはくらっと気が遠くなっていくような感覚に陥った。