失ったものの大きさ
「ルアーニ、ムイはどうでしたか?」
「ああ、もう背中と頭の傷はずいぶんと良くなっている。けれど、無理してまた出血するといけない。まだしばらくは安静にしておかねばならんよ」
一様に、ほっとした表情を浮かべ、特にリューンは顕著に心から安堵した様子を見せた。
「ただ、」
そのまま掛けていた眼鏡を外し、持っていた布でグラスの部分を拭きながら、ルアーニは続けた。
「まだ意識がはっきりとしないんだ」
「目は開いていた」
「ああ、だが、この上なくぼんやりしている。目の焦点もあってないようだし、少し様子を見てくれ」
リューンの肩をぽん、と叩く。
ルアーニはリューンの父親の代から続く、リンデンバウム城の専属侍医だ。リューンは小さい頃から、医学だけでなく、さまざまな分野の知識に秀でているルアーニを慕っていた。そんなリューンをルアーニも特段に可愛がっていた。
そのルアーニの言葉に安心する。
「でも良かったですね。リューン様、本当に良かった」
心からのローウェンの言葉に、リューンは何度も頷いた。この時は、胸に去来するものは、喜びでしかなかったのだ。
✳︎✳︎✳︎
「ローウェン様、今お時間良いでしょうか?」
普段は掃除係のジュリをムイの世話役にしてから三日後、迷う素振りを見せながら、ジュリがローウェンにこそっと声をかけてきた。
リューンはムイをつきっきりで看病し、そしてその合間を縫って、ジュリがムイを着替えさせたり食事させたりしているため、ようよう気づかなかったのですが、とジュリは前置きしてから話し始めた。
「何だって? ムイが喋れなくなっている?」
「はい、今朝の着替えの時です。私が下着を脱がせていると、ムイ様の髪が飾りのボタンに絡まってしまいまして。脱がせる時に、かなり強く引っ張ってしまったのです」
「それで?」
「相当、痛かったのだと思います。ムイ様は顔を歪められはしましたが、それでも声を上げませんでした。その時初めて、そうではないかという確信が持てたのです」
「かなりの痛みで声を出さないというのは、確かに少しおかしいですね」
「けれど、リューン様に申し上げますと、」
言いにくそうにジュリが俯いた。
「とても心配されて、それはそれは見てられないほどに、慌てられるので」
ローウェンは苦笑し、そして言った。
「それはわかっている。リューン様には言わなくて良い」
「はい、わかりました。それでは失礼します」
ローウェンの執務室を後にしようとするジュリに声をかける。
「ジュリ、ありがとう。また少しでもおかしなことがあったら、報告してくれ」
「かしこまりました」
もしかしたら、と思っていたことが加速して的中し始めようとしている。
皆が何度もムイに話しかけるが、目覚めて以来、誰も一言もムイの声を聞いてはいないこと。それだけではない。ムイが、リューンを欲しようとしないのだ。
(リューン様が一番、お分かりなのかもしれないが……)
何事も上手くはいかない運命のようなものに、ローウェンは薄く笑うしかなかった。