目覚めて
「……シ、バ、」
力の入らない唇を動かし、なんとか声を出す。
目の前には高く高く青い空が見えているが、その視界の端に、ついさっきまでそこにいたはずのバルコニーの手すりが映った。
けれど、すぐに視界はぐるぐると回り出し、ムイは目を瞑らざるを得なかった。
背中は、温かい体温に包まれている。
誰かに庇われたとわかっていても、それがシバだとわかるまで、少しだけ時間がかかった。
「ム、イ、」
どこかから聞き覚えがある声。それがシバのものだと、その時知った。
「……私の、歌姫、」
そして、声は聞こえなくなった。
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「ムイ、ムイっっ‼︎」
リューンの声が、廊下にまで聞こえてきて、ローウェンがその部屋の中へと飛び込んだ。
一週間ずっと眠り続けていたムイの目が薄っすらと開いている。傍で、リューンがムイの名前を呼び続けていた。
ローウェンは廊下へと飛び出すと、早歩きで歩きながら叫んだ。
「ルアーニ、ルアーニ、ちょっと来てくれっ」
廊下の先の小部屋から、城の侍医であるルアーニがドアを開けて出てくる。その姿を見たローウェンが、いち早く手を振りながら叫んだ。
「ルアーニっ。ムイの意識が戻ったぞっ」
鉄面皮で通しているローウェンの、言葉に加え足取りまでも跳ねているのを、この時、自分でもわからないほどに、ローウェンは興奮してしまっていた。
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「ムイ、ムイ、良かった、目を覚ましたんだな」
リューンはムイの手を握りながら、涙を流していた。
「ムイ、良かった。本当に良かった」
目覚めたムイは、そう繰り返すリューンの顔をぼうっと見ている。ムイの目は半分開いてはいるが、その瞳の焦点がなかなか合わないのを、リューンは少しもどかしく感じた。
「俺がわかるか? ムイ?」
そっと頬を撫ぜて、額に手を当てる。
「ムイ、なんとか言ってくれ。頼む、お前の声が聞きたいんだ」
背後でドアが開き、バタバタと足音がする。
「リューン様、少し横へ。ちょっと、失礼」
ルアーニが聴診器を片手にベッドの側に立った。毛布をめくり、ムイの寝間着に手を掛ける。
「リューン様、少し外へ出ていてもらえませんか? ローウェン殿もです。直ぐにお呼びしますので、廊下でお待ちください」
「あ、ああわかった」
結局は、ムイの声を聞くことができず、不安を残したまま、部屋を出た。
廊下でうろうろと何往復もしながら、リューンは待った。
「それにしても、意識が戻って良かったです」
ローウェンが珍しく、興奮している姿を見せている。それほどに、ムイの目覚めは、皆に渇望されていた。
第二の首謀者として捕らえられたユリアス神父は、彼の父親、つまりは先代の時代から、教会至上主義の危険思想の片鱗を見せていて、周りはそれを遠巻きに見ていたらしい。それは今回の事件の現場検証において、彼の書いた書物や日記からも窺い知ることができ、彼の謀反の証拠はそれで決定的となった。
第一の首謀者であるハイドが仕えていたリアン宰相は、その責任を取らされて罷免されたが、リューンを軟禁していた事実がソフィア妃殿下の口から漏れたのか、さらに刑を課せられるところを自分は無関係だと抵抗している。
そして、ムイは。
リューンと父親との二人を盾に、ハイド、ユリアスに脅迫された末の行為として、秘密裏に不問とされた。
ムイの歌姫の名誉は未だに続き、リューンはそこにこの上ない国王のムイへの執着を見た気がした。
(けれどもう、ムイを手離しはしない。ずっと側にいるのだ。リンデンバウムの領主としてではなく、ムイの夫として)
ガタンと音がして、中からルアーニが布で手を拭きながら出てくる。