心新たに
「貴女にご迷惑をお掛けすることにはなりませんか?」
ソフィアが立ち上がり、ドアへと歩み寄り、そして手招きをする。
「大丈夫です。さあ、お荷物があればお持ちください」
ドアを開けると、待ちかねたように衛兵が二人、声を掛けてきた。
「妃殿下、このように勝手をなさっては、」
「ことの詳細は、リアン宰相にもわたくしからお話しします。リューン様は、リンデンバウムの領主にして、わたくしの大切な家族であるムイの旦那様ですよ。わたくしの家族も同然なのです。それを、このように足止めをなさるなどとは、一体どのようなご了見なのでしょうか」
「ですが、」
「わたくしが話します」
「妃殿下、」
「リューン様をお送りしたら、直ぐに伺います。そのようにリアン宰相にお伝え願いますか?」
ピシャッと言い放って、ソフィアは廊下を歩き出した。その後ろ姿にも威厳があり、リューンは心底感心した。
衛兵も二の句を告げること叶わず、諦め、後退した。
その頼もしい後ろ姿についていく。斜め後ろに並ぶと、リューンはソフィアに声を掛けた。
「ムイを家族と言ってくださり、ありがとうございま、す、」
胸が熱くなり、言葉が先を進まない。ソフィアがリューンに顔を向けて言った。
「わたくしの病気を治してくれたのです」
眉をハの字にして、さらに続けた。
「それだけではありません。ようやく授かった御子に、よく歌を歌ってくれました」
「御子?」
奥方が懐妊したという話は、一度も耳に届いていない。ローウェンでさえ知らないはずだと思った。なぜなら、ローウェンが耳に入れたことは、まずは領主である自分に通すはずだった。
怪訝な目で見ていると、ソフィアがくすっと笑った。
「女の子だったのです」
「それでも、王女ならそのように発表を……」
「宰相たちに反対されたのです。王女なら伏せた方が良いと。なぜならそれは国民が今、大変疲弊しているからです」
「それであるならば、余計に明るい話題となり、」
「いけません、祝福という名前にすり替えられて、国民に余計な負担を掛けることになるからです」
「暴動の懸念を?」
確かに今、国民は前代未聞の飢饉に襲われ、皆が貧しい。貧困率は徐々に上がり、民の不平不満は自分の領地ばかりでなく、各地で耳にしていた。遠征に出かけ地方の飲み屋に入れば、国王や貧困への愚痴のオンパレードだ。リューンは身に染みて、それを肌に感じ取っていた。
「そうです」
そして、ソフィアの頬が緩む。
「ミナというの。まだ三歳よ」
「それは可愛い盛りだ」
「ムイが、よく歌を歌ってくれて。ミナにムイが歌を聴かせると、とてもよく眠るの。それはそれは、安らいだ顔をしてね」
廊下を曲がると、階段を上がる。上へ上へと向かうと、突き当たりに部屋がある。そこへリューンを案内すると、ソフィアは振り返って言った。
「ムイには幸せになってもらいたいのです。わたくしに幸福をもたらしてくれた。感謝しても感謝しきれないほど。後ほど、陛下への謁見を申し上げてみます。リューン様はそれまでここでお待ち願いますか」
ドアを開けると、今までいた部屋とは打って変わって、日の光が入る心地よい空間がそこにはあった。
「ありがとう、感謝を申し上げる」
ソフィアはドアを閉めようとして、その手を止めた。
「ムイが、」
リューンが身体を正面に向ける。
「笑ったところを見たことがないのです。ここにいる間、ムイはいつも薄く微笑むだけでした。それも、とても寂しそうに。けれど時々、ほんのり慈愛の表情を浮かべる時がありました。あれはきっと、リューン様のことを思い出していたのだと思います」
そして、ソフィアは去っていった。
リューンの心は温かく、そして満ち足りていた。
離れていた時。自分のことを考えていてくれたのだ、そう思うだけで胸が熱くなってくる。
「ムイ、お前に会いたい。けれど、その前に国王陛下にお会いしなければ」
心を新たにした。