惑わすもの
「まさか自ら乗り込んでくるとは、思ってもみなかったぞ」
嘲笑の意を含んでいるとはわかっていたが、リューンは気持ちを抑えて問うた。
「なぜ、そこまでしてムイを欲しがるのかを訊きたかったのだ」
言い方が気に入らなかったのだろう、睨みつけてくる年配の男を、リューンは冷ややかに見ていた。
国王の側近の一人、宰相リアン。
その生き生きとした黒髪は白いものが所々を占めているものの、噂される実の年齢を、実際には数年若く見せている。国王の側近の中では、切れ者の部類に入るらしいが、眼光も鋭くなければ、力の象徴の一つであろう眉もそうは太くなく、そこら辺のどこにでもいる人物像に、リューンは虚をつかれているところだった。
だが。
「たかだか女一人にこのざまとは、陛下もお前もどうかしているな」
吐き捨てるように言った。
リューンの胸が怒りでざわついた。が、その怒りをもう一度抑えて、リューンは訊いた。
「ムイの父親はどこにいる?」
「ハイドめ、あいつは一体何をしているのだ」
「ムイの父君はどこだ、と訊いている」
男が自分の身体の二倍はあろう椅子から、ゆっくりと立ち上がった。
「貴様は一体、誰に向かってそのような口をきいておるのだ」
「ムイの父君にお会いしてからと思い、先にここへ来たのだが……貴殿ではらちがあかんな、国王陛下にお目通しを願う」
リューンが踵を返して行こうとすると、背中に怒声を浴びて、リューンが足を止めた。
「失礼千万、わしは国王陛下の宰相だぞっ。愚弄するにも程がある‼︎」
その怒声で、部屋のドアが開き、バタバタと衛兵が数人入ってきた。
「こいつを部屋にでも留めておけっ」
「何をするっ」
リューンが数人の屈強な男に囲まれる。腕や肩を押さえられ、背中をどんっとど突かれた。
「くそっ、離せっ」
振りほどこうとするが、多勢に無勢の人数にはかなわず、リューンは暴れるのを止めた。
「国王陛下に会わせろ‼︎」
「失礼極まりない男だ。連れて行け」
両腕をがっしりと押さえられながら、リューンは部屋を連れ出された。廊下の奥の部屋へと押し入れられる。窓もない、陰鬱な部屋だった。外から鍵を掛けられ、ドンドンと叩くが、なんの反応もないし、ドアはびくともしない。
「くそっ、どうしてこんなことをっ‼︎ おいっ、一国の領主を捕らえるなどと、あってはならないことだぞっ‼︎ ここから出すんだ‼︎」
狂ったようにドアを叩く。けれど、リューンはそのうち諦めて、荒い息を吐きながら、粗末なベッドに腰掛けた。
「こんなことになるとは……」
正直、国王陛下に直接会って、ムイを諦めるように説得するつもりだった。だが、その前にリアン宰相の元にいるという、ムイの実の父親に会ってみたかった。そして、ムイの真の名を放棄してもらうよう頭を下げてでも頼むつもりだった。
「それが、……くそっ」
悔しさと怒りでいっぱいになり、 ベッドを握りこぶしで何度も叩く。
叩くうちに、ムイを思い出して、リューンはそれを止めた。
「ムイ、お前と幸せに暮らしたいだけなのに……」
それをさせない、ムイの真の名前が憎らしく思えてくるのを、リューンは抑えることができなかった。