暗雲
ギシギシと音を立てる宿屋の階段をゆっくりと上がり、その廊下の奥にある部屋のドアをそろりと開ける。すると、中にいた女が座っていたベッドから立ち上がり、慇懃に頭を下げた。
「おかえりなさいまし。お話し合いはいかがでございましたか?」
そう尋ねられて、ふんと鼻で笑うと、ハイドは素早くマントを脱いでベッドの上にバサリと放った。その拍子に埃がぶわりと舞う。電灯の光は粗末なもので到底、明るい部屋とは言い難い。薄暗い空間に、貧弱な光を受けながら、ちらちらと埃が光る。
「国王の命令や父親のことなど、どうでもいいということだ」
ふん、とさらに鼻を鳴らす。
「では、私からムイに?」
「いや、それはまだいい。もう少しだけ、揺さぶりをかけても良いだろう」
ハイドが言うと、女はベッドに放られたハイドのマントを手に取り、近くのフックに丁寧に掛けた。
「お前は城に戻れ」
振り返ると、女は小首を傾げた。
「ブァルトブルグ城にですか? それとも、……?」
ハイドはニヤリと笑うと、「お前のそういう所が、俺のここを熱くする」
ハイドは自分の心臓の辺りを、とんとんと指で突いた。
部屋を出て行こうとした女を呼び止める。その女に近づくと、銀の髪を短く揃えてある頭の後ろへと手を回して、その髪を掴んだ。
ぐいっと引っ張られ、女が顔を上げる。不満があるとでもいうように突き出した唇。その唇に噛みつくようにハイドが自分の唇を押しつけた。女はそれに甘んじるように、そのまま深く重ね合わせる。
しばらくの間、深いキスを堪能すると、唇を離してからハイドは言った。
「ムイには、リアン宰相を無視するとどうなるか、お前が知らしめてやるのだぞ、シバ」
激しいキスの後遺症なのか、女の水色の瞳が潤んだように光る。
「わかっております」
銀の髪をさらと流す。
シバは足元に転がっている二胡を袋に入れると、肩から掛けて、階段を下りていった。