愛して欲しい
いつもはアドリブの演奏で人々を楽しませる楽団も、今回ばかりは沈黙している。ムイの声以外の音は邪魔だと判断したのだろう、敢えて皆、楽器を置いていた。
「この世のものとは思えない声だ……」
「しっっ、静かにしろっ」
ムイは歌い続けた。そして、リューンを見る。
リューンは、悲しみの表情を浮かべている。ぐっと寄せられた眉根、引き結ばれた唇、歪んだ頬。
リューンは喘ぐようにして、ようやく次の声を出した。
「な、なんてことを……」
これでムイが歌声を取り戻したことは、すぐにも国中に広まるだろう。そして、ゆくゆくは国王の耳に入り、そして連れ戻される。
「なんてことをしたんだ、ムイ、ムイ、」
何度も、名を呼ぶ。
そして、リューンは叫んだ。
「……ムイいっ‼︎」
名前を呼ばれて、ムイの身体が自然と動いた。それほどに、ムイの名を呼ぶリューンの声に慈しみが含まれていた。
手を。
無我夢中で伸ばす。
「リューン様、」
人垣が邪魔をする。
人と人とをかき分け、さらに手を伸ばす。
所々盛り上がる土や石に足を取られ転びそうになりながら、ムイは進んでいった。
「リューンさ、ま」
人々に揉まれながら、ムイは一生懸命、手を伸ばす。フードが外れて、その瞬間。ムイの黒髪が散った。
「ムイ、ムイ、」
リューンが、祭壇の階段を駆け降りる。リューンも人々の波へと滑り込んだ。
肩と肩がぶつかり、けれどそれでもリューンは人をかき分け、ムイの元へと向かう。
リューンの着物の裾に泥が跳ね上がる。覚束ない足元を踏みしめて、リューンはムイを求めていった。
「ムイっ」
「リューンさまっ」
ムイの伸ばした手が、リューンの指に触れる。リューンはそれをぐっと掴み、引っ張った。ムイの身体が飛び込んできて、リューンはそのか細い身体を力いっぱい抱きしめた。
「ムイ、」
黒髪に、顔を埋める。髪の香が鼻腔に届き、そして。リューンはいっそう腕に力を込めた。
「……ムイ、なぜ、歌った。どうして歌ってしまったんだ」
弱々しい声しか出なかった。リューンの目から涙が溢れた。
「この声はリューン様だけのものです」
「どうして、」
「リューン様に……覚えていて欲しくて」
「ムイ、……嫌だ」
「リューン様、」
「嫌だ、他の男に取られたくない。国王にも誰にも。嫌なんだ、俺のものなんだ。ムイ、お前は俺のものだ」
ぐっと抱きしめられ、ムイはリューンの広い胸に顔を埋めた。
「リューンさま、この声はリューンさまだけのも、の、」
震える涙声。
「愛してる、愛してる、ムイ。俺の側にいて欲しい。お願いだ、お前の心が欲しい。お前に好かれたい、愛してもらいたいんだ」
ぐいっと腰を抱え上げてリューンが顔を近づけると、二人は頬と頬とすり寄せた。二人の涙が重なり合って、ひやりと冷えた。
「他の誰でもなく、この俺を、俺だけを愛して欲しい」
願いは。二人を包み込む。