命令
「早く皿を下げるんだよ」
マリアの叱責が飛んだ。
「料理の片付けに一人欲しいとは言ったけれど、こんな子が来るとはねえ……」
ムイが皿を重ねていると、そんなんじゃ皿が割れちまうだろっと言って、マリアが皿を取り上げた。
「同じ種類の皿なら重ねても良いんだ。よく覚えときなよ‼︎」
ムイは、すぐにも皿を重ね直して、ワゴンの上の盆に乗せた。あらかた乗せ終わると、ワゴンを押して、洗い場まで運んでいく。
ムイは料理の片付け係ということでマリアの下についたが、リューンが食事を終えてからの仕事となるため、ムイが片付けに入る時にはリューンがいない。そのことを知ると、ムイはほっと胸を撫で下ろすのだった。
あの時。
初めて城に来て、育ての男とはぐれて城の中で迷ってしまった時。
そして、あまりに大きく美しい装飾のドアに惹かれて、近付いていった時。
少しだけ開いていたドア。中を覗き込んだ。
窓際に立つ男性。窓から差し込んでいる日の光が、その見事なウェーブのかかった金髪に当たって、キラキラと輝いている。
その後ろ姿は、とても美しかった。
それなのに、聞こえてきたのは、地を這うような恐ろしい声。
「アンバークイーン、…… すべて枯れてしまうがいい!」
それがバラの名前だということを、ムイは知っていた。そして、この領主が『名を握る領主』と呼ばれている所以も、一足先にローウェンから聞かされて知っていた。
(バラを枯らしてしまうなんて)
バラが実際に枯れたかどうかは、ムイには分からなかった。
けれどその時、心底、この城の領主が恐ろしい人だと思った。細く開いたドアからは、その背中しか見えなかったが、がっちりとした大きな背中に、地を這うように恐ろしく響く、低い声。その声が名前を呼んで、命令するのだ。そう聞いただけで、身の毛もよだつような恐怖を感じた。
その声が、バラに向かって、「死ね」と命じた。
足が震えて、身体が震えて、動かなかった。けれど、彼に見つかった時、息が止まりそうになった。震えて動かない足をようやく動かして、その場から逃げるしかなかった。
(恐ろしい人。嫌だ、怖い)
ここに連れてきた育ての男に頭を叩かれるよりも、恐ろしかった。
(怖い、怖い、怖い。もしかしたら私も死ねと言われるかも知れない)
ガチャンっと皿がずれて、大仰に音が鳴った。
「こらっ、ムイっ‼︎ 皿を割ったら、給料から差っ引くからね‼︎」
マリアの怒鳴り声。しかし、リューンの声に比べたら、怖くもなんともない。
(名前を知られちゃいけない。絶対に、名前を知られちゃいけない)
洗い場で皿を洗いながら、ムイは心を決めていた。
(私はムイでいなくちゃいけない。名前を握られないようにしなくちゃいけないんだ)
知らぬうちに、皿を洗う手に力が込められた。