新たな生活
「ムイせんせー、さよならあ」
「せんせい、バイバイ」
「はい、また来週ね。みんな気をつけて帰ってね」
ムイが手を振ると、子どもたちは蜘蛛の子を散らしたように、それぞれの父親母親の元へと走っていった。
「今日でもうお花は完売です」
「ムイ、ありがとうね。あんたが先生になってくれて、本当に助かったよ」
マリアがニコッと笑う。それに呼応して、ムイも笑った。
「ニケにも会えるし、とても楽しいです」
「ああ、私の孫の中でニケが一番、甘えっ子なんだよ」
ムイせんせーと手を振りながら追いかけてくる、まだ幼い男の子ニケが、ムイにとっては可愛いくて仕方がない。ころころと屈託なく笑う笑顔に癒される気持ちだ。
ムイはかつて、国王のいる城で歌うたいとして国王専従の楽団に所属していた。
評判の歌姫として、そして王妃の病を秘密裏に治し、王妃の信頼を得た歌うたいとして、城で暮らしていた。
だが、心を病むリューンの婚約者サリーを治療するためにリンデンバウム城へと訪れた時、リューンと再会し、その愛を交わしてからは歌を捨てて、国王の元を去っている。
人を自由自在に操ることのできる真の名前の力はまだ消えてはいない。
(普通の人間に戻りたいと願い、何度も何度も捨て去ろうとして……)
ムイは苦く笑った。
自分自身にどれだけ命令しても、自分自身の身については、どのような願いがあろうとも、それは叶わないようだ。
「それにしても、あんただよ。料理室でもソルベなんざ、夕飯作りながら、うちのムイはスゴイんだぞって、いつも威張っちゃって」
「アランがお城のバラを次々に咲かせてくれるお陰です」
「ああ、確かにあの子の手は魔法使いのようだ。それにしても、ムイ、お前も相当なもんだよ。こんな綺麗な首飾りまで作っちまうんだから」
マリアは首にかけていた首飾りを持ち上げて、ムイに向かってウィンクした。チェーンの先には中に写真を入れて挟み込む、ロケットのペンダントトップがついている。押し花が施された可愛らしいデザインのものだ。
「ふふ、こんな不出来なもの、マリアぐらいしかつけてはもらえません」
「なに言ってるんだい。上等な代物だよ。ミリアなんか、自分の店で売りさばいて一儲けするって息巻いてたよ」
「ミリアには、耳飾りを作ってくれと、頼まれています」
「あんたはお人好しが過ぎるねえ。ちったあ、断ったらどうだい」
「私はこうして押し花を子どもたちに教えることができれば、それで幸せなんです」
「そうだね。押し花教室の先生まで断られちゃ、あたしも困るけどね」
じゃあねと、マリアがウィンクしたのを笑顔で返すと、ムイは小高い丘から伸びる坂道を歩き出した。
ここは、城から少し行ったところにある、マリアとマリアの家族が住む家だ。質素だが、敷地は広く、ちょっとした中庭もある。
ムイはその中庭で、一週間に一度ほど、押し花を子どもたちに教えていた。
ムイのセンスは相当なもので、リンデンバウムの城下町では、あっという間に評判になり、教室はいつも子どもたちで満員だ。
ムイが押し花を使って作るものは、カードや便箋のような筆記具から、首飾りや耳飾りのような女性が喜ぶ装飾品、そして額縁などに入れれば一枚の絵画にもなるような作品だった。
ムイがリンデンバウムの城へと戻ってからしばらくして、咲き誇るバラの花びらを押し花にし一枚の絵を作り上げた時、リューンを大層感心させた。
リューンが額縁に入れて城の廊下に飾ると、たちまち侍従たちのうわさとなり、こうしてマリアに頼まれて、子どもたちに教えることとなったのだ。
「リューン様、困ります。どうぞ、お待ちください」
「なぜだ。みなが良い出来だと、これをとても褒めているのだぞ」
額縁に入れられたムイの押し花で作った絵を脇に抱えて、リューンは廊下を歩いている。その後ろを追いかけるようにして、ムイは縋るように手を伸ばした。