愛しい人
宿屋から馬を半日、緩やかな丘を縫って駆けさせると、そう深くはない森がある。
リューンはすでに知った道というようにその森へと入っていき、拓けた場所へ出ると、馬を降りた。
遠くに、一軒の家が見える。それは森から切り出した木材で作られた小さな家だった。その脇に、見慣れぬ馬が一頭、繋がれている。
リューンはこんもりと小高い丘の上から、その家を見ていた。
するとしばらくして、家の中から一人の年配の男が出てきた。家の柵に結んであった馬の手綱を解いていると、次には家の中から女が出てきた。
リューンは目を細めた。
男は馬に乗って、去っていった。それを見送ると、女は家の中へと戻っていく。
見届けると、リューンは自分の馬の手綱を引っ張り、馬を誘導する。
家の前へと向かうと、先程の男の馬と同じ場所に、手綱を結んだ。
ドアが開く。
リューンが振り向くと、女がそこに立っていた。
「久しぶりだね、ムイ」
名前を呼ぶ。
すると、そろっと近づいてきて、リューンの胸に頭を預けた。その様子を見て、リューンは笑う。
「まったくお前はいつまで経っても、俺の胸に飛び込んできてはくれないものだな」
リューンは、ムイを抱き締めた。愛おしさが次から次へと溢れてこぼれる。
「ムイ」
名前を大切に呼ぶ。リューンは心の中でも、何度も何度も繰り返し、愛しい名前を呟いてきた。
「……入ってもいいか?」
ムイが、頷く。リューンの手を取ると、引っ張るようにして中へと入った。家の中へ入ると、ムイが椅子を勧めてくる。
テーブルの上にあった客用のティーカップを片付けると、紅茶を淹れる用意をする。
「ムイ、えっと……その……さっきの男は……」
リューンが口籠ったのを見て、ムイは慌ててリューンの隣へとひざまずき、リューンの手を握った。
「陛下の御付きの方です」
ムイが柔らかい声で言った。
「そ、そうか。いや、えっと恋人なのかとか、そういう意味ではなくてだな」
慌てて、リューンが弁解する。ムイが悲しそうな顔をしつつも、無理に笑った。
「違うのだ、疑っているとかそういうことでは……」
ムイが、リューンの膝にことんと頭を乗せた。リューンはその黒髪を、ぎこちなく撫でた。
「はああ」
リューンが観念したというように言う。
「お前がその、美人だから……誰かに取られてしまうのでは、と。ただのやきもちだよ」
ムイが頭を上げると、途端に視線を離してしまう。ムイは、握っていた手にそっとキスをすると、リューンを真っ直ぐに見た。
「陛下のお知り合いの方が病で臥せっておられると、使いの者を寄越したのです」
「そうか」
短い返事に、ムイの瞳は揺れた。
「サリー様のご結婚がお決まりになったそうですね」
「ああ、父君がとても喜んでいたよ。お前のおかげだ、ムイ」
「……ありがとうございます」
薄っすらと笑いながら、ムイはリューンから離れた。