歌姫の噂
走り通しの馬を休ませるのもあり、リューンは宿を取っていた街へと、急いだ。
宿で名前を言うと、角部屋の広い部屋を案内される。荷物を置いて、食事を取るため、隣の酒場に入った。
「食事と飲み物を適当に頼む」
リューンは、夕食にはまだ早いのだろう、閑散とした店内で食事を取った。
(それにしても、何が原因で、あのように農作物が育たないのだろうか)
今回の遠征はリンデンバウムの辺境の地域で、農作物が育たないという訴えを得て、その調査のためのものだった。
(アランを先に派遣しておいて、結果良かったということか)
アランは、父親がわりであった庭師アンドリューを亡くした後、ローウェンの出身大学に通うこととなり、そこで植物の研究を専攻し、かなりの博識を得ていた。
(原因の究明はアランに任せておくとして、今年は資金の援助も必要だな)
考えを巡らせながら出された葡萄酒を飲んでいると、ガヤガヤと三人の男が店に入ってきた。食事を注文し、歓談する。リューンが、その話に何となく耳を傾けていると、懐かしい名前が聞こえてきて、リューンの胸を熱くした。
「……東の国では、人の手を加えていない、そんなような意味らしい」
「はあ、へんてこな名前だあ」
「だけど、すごく歌が上手いらしいぜ」
「ああ、この世のものとは思えない歌声なんだろ? そこまで言われちゃあ、死ぬまでに一度は聴いてみてえよなあ」
「なんだなんだ、何の話だ?」
もう一人の男が店へと入ってきて、三人組の席に腰を下ろす。
「国王の歌姫だよ」
「はああ、歌姫のことかあ。声が美しくて歌が上手いってだけじゃねえぞ。歌姫は、すっげえ美人だそうだ」
「国王の妃にも気に入られてなあ。羨ましいことだ」
すると、食事を運んできた若い娘が横から口を出した。
「ちょっと、あんたたち、知らないのかい?」
「ん? 何の話だ?」
四人が出された料理を取り合う。それをその店の娘が綺麗に四当分に分けると、腰に手を当てて、呆れながら言った。
「あんたら、まるで子供だね」
男たちがソースを口の周りにつけながら、料理を食べ進めていくのを見ている。
「で、何の話だって?」
「……その歌姫の話さ」
「国王様の愛人だって?」
わはははっと、男たちが声を上げる。
「ちょっと、唾を飛ばすんじゃないよっ‼︎ そんなんじゃなくってね」
「じゃあ、なんだ?」
「これはあくまで内密の話なんだけどね……歌姫さん、もう歌は歌えないんだよ」
「えっ⁉︎」
「なんだって⁉︎」
「それが突然、喋れなくなっちまったんだ」
話を聞いていたリューンの身体が揺れた。
「そんな馬鹿な話があるんか?」
「それでまあ、こんな言い方は悪いけど、歌が歌えない歌姫なんて、お払い箱ってわけさ」
「ってか、内密の話なのにどうしてお前が知ってるんだよー」
嘘だねうそうそ、そう言われて「本当の話だよっ‼︎」と声を上げているのを背に、リューンはテーブルの上に紙幣を置いて、店を出た。
軽く酔ってはいるが、足取りはしっかりしている。
宿屋に戻ると、ベッドの上に寝転んだ。隣の酒場から、笑い声が遠く、聞こえてくる。
リューンは、手の甲を額につけた。外の冷気で冷えた手の温度が、酔った身体の火照りを冷やしてくれて、心地いい。
「歌えない歌姫、か」
リューンは呟くと、そのまま眠りに就いた。