与えられた名前
「さて、お前をどうしたら良いのだろうな」
テラスで朝食を取りながら、少女を前に座らせたリューンは、フォークでパンケーキをつついてから、口の中に放り込んだ。
(小綺麗にしてみたら、なかなかのもんだ)
男を追い払ってからの後、リューンは少女を抱えたまま、風呂へと入った。少女は最初、手足をバタつかせて嫌がっていたが、リューンが両腕を抑えると、すぐにも観念して大人しく風呂に浸かった。
そして、ローウェンに命じられた侍女たちが、少女の身体や髪を洗い、清潔な服を着せてたらふく食事をさせると、実はそう悪くない顔立ちが、侍女たちの間でちょっとした話題になった。
「まあ‼︎ 可愛いじゃない」
「これは意外や意外だな」
侍従長のブロイは感心しながら、ローウェンの元に彼女を戻した。その変身ぶりにローウェンにも少なからず驚きはあったが、頭を悩ます種が消えるわけでなく、そして今朝、こうしてリューンの前に座らせ、その反応を見ることとした次第だった。
リューンは特に迷うそぶりなども見せず、朝食を口に運び続けている。
「…………」
少女はリューンの顔を見ていない。その目は、テーブルの中央に添えられている野の花を飾った花瓶へと、注がれている。
「まさか、名前がないとはな」
思い出したとでもいうように、ははっと声を上げて笑う。いかにも滑稽である、そんな笑いだった。
「俺の噂は聞いているな。自分で言うのも愚かしいが、『名を握る領主』と呼ばれている。名前を握ったら離さないということだが……その名前がないとなれば、お前をここに置いておくのも、どうなのだということになる」
「…………」
「お前は名前によって俺に縛られることもないのだから、お前の自由意志でここから出ていくことができるだろう。仕事をするなら、その分給金はきちんと払う。だが、ここが嫌ならすぐにも出ていって構わない。お前の意思に任せよう」
リューンが、バラの模様のついたティーカップを持ち上げて、口をつける。
ごくっと一口飲んでから、カップを置くと。身体の奥底からの笑いがこみ上げてきて、リューンは大声を上げて笑った。
「はははは、こんなことは初めてだっ‼︎ 俺のこの忌まわしい力が効かぬ者が、この世に存在するとはっ‼︎」
どんっと、握りこぶしでテーブルを叩いた。
瞬間。少女の身体がビクッと跳ね上がった。それでも、少女は頑なにリューンを見ようとはしなかった。唇には昨日、力一杯に噛み締めた、痛々しい傷跡がついている。その傷がリューンの目には入ったが、それについては何も触れなかった。
「お前が初めてだぞっ。俺の言うなりにならない者はっ」
軽い興奮がリューンを縛る。言葉が跳ね上がって仕方がない。
ふうふうと小刻みに息をしながら、リューンは少しの間、気を落ち着かせようとした。
「……お前の仮の名は、どうしようか」
息を整える。
「名無しでは哀れだ……そうだ、ムイにしよう。東の国では、人の手を加えないという意味があるそうだ。お前をムイと呼ぶことにする」
「…………」
頑固に目線を合わせないムイを見て、リューンは薄っすら笑った。
「分かったか、ムイ。あと、ムイと呼ばれて身体に不調が出るようなら、早めに言うのだぞ」
それがなぜなのかはわかっていないが、真の名前を差し出さない者は、この城の中ではたちまちに体調を崩していくからだ。
言い含めるように言うと、ムイはこくんと顎を打った。
それはリューンが初めて見る、自分の力に影響されない、小さな小さな意思だった。