第八話 ここは日之国。
第八話
「「!!」」
「―――」
ふむ。女子達の前で泣くという、草原の民らしからぬ痴態をさらしてしまった。
「ねぇ春歌、なにかおもしろいことを言って」
「えッわ、私がですか!? えと、そう、そうですね。そういえば、貴方の頸にかかっている金色の首飾りは、と、とても綺麗ですね―――」
「あ、春歌―――たぶんそれ、地雷踏むやつだから」
「この首飾りは姉の形見だ。追手が迫る中、今生の別れにと姉がオレの頸にかけたのだ」
オレはハルカにそう答えた。二人が場を和まそうとしてくれたことは解っている。
「すまない、ハルカにわたすことはできないのだ、許してほしい・・・」
「じ、地雷―――!?」
「これだから、優等生の学級委員長は・・・」
「で、でしたら私に振らず、奈留さんがなにか言ってあげてくださいよ」
「仕方ない。まずはアルスの好き嫌いを調査する」
「彼の好き嫌いですか?」
「うん、大事なこと。さ、アルスたんとお食べ」
「これはなんだ?」
サッ、サッ、サッと彼女は右手に握った二本の棒を器用に使い、オレの大皿に赤や黄色、緑といった草木の類を三品ほど入れたのだ。
「奈留さん、それは貴女の嫌いなものばかりではありませんか?」
「なんのこと―――・・・? 私知らない―――、―――」
「奈留さん、そっぽ向いてもダメですよ。それに口笛もちゃんと吹けてませんからね。ちゃんと嫌いな野菜も食べないと、栄養が偏りますし、成長しませんよ」
「野菜は栄養補助食品で摂ってるから問題ない」
「はいはい、塚本さんが泣きますよ」
「勝手に泣かせておけばいい、あんなおっさん」
そういうとハルカは適当に草木の類を新たに見繕ってきてナルの大皿に入れ始めたのだ。
「・・・春歌いいんちょ」
「はいはい、私は学級委員長ですよ」
「ふっ・・・くく」
あぁなるほど―――この二人の女子はこのような関係なのか、とその彼女達のやり取りを見てオレは、心があたたかくなったのだ。
「アルス?笑ってどうしたの?」
「いや・・・なにも―――」
オレは苦笑交じりでナルが入れてきた草木の類―――野菜を口に運んだのだ。
「アルス、それおいしい?」
「うむ」
オレは肯いた。少し青臭いものや土臭いものもあるが、許容範囲内だ。土臭いものは地面に成っているものだろうな。
「ふむ・・・。ところでこの白い粒々が集まったものは米か?」
オレはそれを、鉄の杓でつつくと、その米が少し粘り気を持っているものであることが判った。
「うん。アルスがスプーンでつついてるのは米。米を炊いたやつ、ごはんというの」
ナルは二本の棒で器用に米の白い塊を挟むとそれを口に運んだ。
「ごはん?」
「えぇ、ここ日之国の主食になります」
今度は声の主であるハルカに視線を向けた。
「ヒノクニ?」
「はい。燃えるほうの『火』ではなく、太陽の『日』です」
「・・・ほう、日之国とな」
日か。もし、日之国の『日』が『日出る』ことに掛けてあるのなら、とても縁起がいいことだ。
「えぇ、日之国に住む日之民の主食は米ですから」
「ほう、米―――」
オレも二本の棒を使い―――オレは二本の棒から滑らせて、ごはんが皿の中に落ちたのだ。
「アルス見て」
「・・・」
ナルが差し出した彼女の手先を見た。
「まず親指と人差し指で二本の箸の真ん中より上ぐらいを摘むように支えて―――」
「こうか?」
そういえば、東方に住む民は米を食べると聞いたことがある。ということはオレの国、エヴル・ハン国から見て日之国は東にある国ではないのだろうか。
「そうそう―――それから、食べ物をこう摘む―――」
「ふ、ふむ・・・」
この地、オレが流れ着いた日之国という国の食事の作法の中で、この箸なるものを使えるようになることが一番難しかったのは言うまでもない。
「アルスランの生まれた国ではなにが主食だったのですか?」
「主食かどうかは分からないが、よく麦を汁物と一緒に煮詰めて食べていた」
そう、オレはハルカに答えた。
「麦のリゾットですか」
「リゾットとはどういった料理だ?」
「リゾットは―――」
ここで出される料理の多くはオレにとっては食べてことのない珍品ばかりだったのだ。オレはナルとハルカにこの日之国という土地の作法や料理をいろいろと教えてもらいながら、この国の美味い食事に酔いしれたのである。
食堂で料理を堪能した帰り、二人がオレを部屋まで送り届けると言って聞かなかったので、オレ達三人で絨毯の敷き詰められた回廊を歩いていた。
「ふむ、ここだな」
オレは自分の部屋の扉の上に刻まれている文字を見てこの部屋が自分にあてがわれた部屋だということが分かる。
「ナル、ハルカよ、今日は大変世話になった」
オレは部屋の扉の前で彼女達に礼を行なった。
「ううん。私は楽しかったから気にしてないよ?異文化交流みたいな」
銀髪を揺らしながらナルはオレにそう答えた。
「・・・そうか」
「アルスラン。傷が治るまであまりこの部屋の外には出ないようにしてください。食事もこの部屋に持ってくるようにしましょうか?」
ハルカのその言葉を聞いてオレは少し鎌を掛けてみたくなったのだ。ただの流れ者にあのような美味い食事と婦女子二名をあてがう館の主など、そのようなことは中々あるまい。そのような宴のあとに暗殺され、散って逝ったものは歴史を振り返れば数知れずいる。
「―――そうか。この館の主はオレをこの小部屋に閉じ込めるつもりなのだな?」
「え―――? 痛ッ―――」
「・・・すかたん―――」
「―――冗談だ」
ハルカが一瞬、目を見開き見せた表情とその直後、ナルがハルカの長い後ろ髪の数本を軽く引っ張ったのを見てオレは彼女達の意図をうっすらと理解した。だが、オレはなにも気づいていないふりをした。
「オレを持て成してくれたこの館の主とはいずれ会って礼の言葉を言いたい、と伝えておいてほしい。今夜は美味い食事を馳走になった感謝する」
「えぇ・・・おやすみなさいアルスラン」
「ばいばい、アルス」
「・・・ナルよ。その『ばいばい』とはどういう意味だ?」
「・・・ばいばいとは『さようなら』とか『また明日』とか意味だよ? 死ねという意味も一部あるけど、いまのばいばいは、おやすみという意味だから」
「そうか、勉強になった。おやすみナル、ハルカ」
「「・・・」」
彼女達は軽く会釈をして帰路につこうとしていた。
「?」
まだ何かあるのだろうか? ふとナルだけが立ち止まり、振り返ったのだ。
「・・・明日、大人数でここに来ていい?」
「・・・よいぞ。人数は五百人くらいか、ナルよ?」
「―――・・・」
オレの答えを聞いたナルは言葉を失ったようだ。
「オレの父トゥグリル・ハンの天幕も五百人ほど入ることができ、四面侯とそのもの共や臣従候、使節団、商隊の者達がよく父と会っていたのを思い出したのだ」
四面侯とは中央を治める王が、四方―――東(前)、南(右)、西(後)、北(左)―――の領地の統治権を与えた四名の名高い候のことだ。臣従候は王に降った地方の有力者に与えられる称号のことだ。
「アルス、この部屋に五百人は入らないよ・・・? それとも試しに入れてみる?」
オレは寝台の置かれたこの部屋を見渡した。どこをどう見てもこの狭い部屋には五百人は入らない。
「・・・そうだな、ではここに来るのは何人ぐらいになるのだ?」
「あと、二人だから、合わせて四人かな?」
「わかった、よいぞ」
四名ならばこの部屋にも入ることだろう。
「あ、それからアルス。この部屋の灯りはここだから」
彼女は扉の横にあるなにかを手で探るように撫でたあと、パチンっという聞き慣れない音がして―――
「ッ!!」
オレの薄暗かった部屋に灯りが点ったのだ。上を見上げれば四角そのものが眩しく白く光っていたのだ。あのような照明はいまだかつてオレが見たこともないような灯りだったのだ。オレが識っている灯りというのは薪に火を点けたものか、家畜の脂を燃やしたものしか知らない。
「もう一度、ここの壁にあるボタンを押すと光が消える」
彼女がもう一度パチンと音を出させると、彼女の言ったとおり部屋の白い灯りが消えたのだ。
「・・・解った、いろいろすまない」
「うん、いい。じゃ、また明日もくるから。おやすみアルス」
そう言い残して彼女達は帰路についたのだった。
ここ日之国という国では西方の覇者ルメリア帝国の影も形もなく―――窓から外を見れば、まばゆいばかりの、星々のような明かりが地上の建物から漏れ出していたのだ。
「ほんとうにここはオレがいたあの大地と同じ大地なのだろうか?」
ふと、この地の煌びやかな夜景を見ていて―――今まではルメリアの追手の影にずっと緊張続きでよく眠れなかった。しかし、オレは久しぶりの眠けに襲われたのだ。
「―――おやすみ、か」
オレは寝台につき、そのふかふかの布団に入ると、すぐに眠りに落ちたのだった。
―――翌朝
日が昇る少し前に目が覚めたオレは明けの方向である東を窓から確かめた。この地に流れて初めての朝日である、拝しておかねばなるまい。黄金の光の中、太陽がその姿を現すと同時にオレは朝日に向かって一礼を拝したのである。
もし、この最中にナルやハルカやってきたとして、彼女達が怪訝に思ったとしよう。そうしたらオレはこのように彼女達に説明するだろう。
我ら草原の民は、日を尊び、日いづる東を良しとし、また日の動きである東(前)、南(右)、西(後)、北(左)の順に縁起を担ぐものだ、と。
「―――・・・」
しかし、日がその姿を全て現し、しばらく経っても、彼女達のほうは一向にその姿を現さなかったのである。おかしい・・・ナルは昨日、明日来ると言ったはずなのにだ。例えば、王や候が草原へ鷹狩に行こうと思ったとしよう。そうすれば、臣下と共に朝日を拝んですぐに行動しなくてはならない。また、森の民のところへ交易に行こうものなら、夜のうちに準備を行ない、朝日の中、馬を駆り行かねば、その地に着けないものだ。夜になれば、その道中に招かれざる『客』と遭遇し、斬り合いになることもある。
きっと彼女達も同じであるはず。遠方から来ようと思えば、徒歩では日が暮れるというものだ。
「もしかして―――心配になってきたな」
彼女達はここに向かう道中、野盗か、賊にでも襲われたのだろうか。いや、しかし、昨日、彼女達はそのような者どもが出るなど、言ってはいなかったはずだ。
オレがそわそわと想像して、また日の姿を誰でもどこでも拝めるようになった頃、彼女達もその姿を現したのである。
「アルス、起きてる?」
その懐かしい声が扉の向こうから聞こえてきたのだ。
「おぉ、ナルよ。無事だったか!!」
オレの声を聞いたナルが引き戸を引いてゆっくりと部屋の中に入ってきた。ふむ、見る限り無事のようでなによりだ。
「え?無事?アルスどういうこと?」
目をぱちくりとさせ、ナルがオレに訊き返してきた。
「ふむ、ナルやハルカの到着を待ちわびていたのだ。遅いから心配したぞ」
「遅い?」
「あぁ。てっきりここに来る道中、ナルとハルカになにか良くないことでも起きたのか、とずっと気が気ではなかったのだ」
「え?アルス、心配してくれたの?」
「無論だ。ナルが無事で良かった。安心した」
「―――」
「さ、座ってくれ」
貧相な丸椅子しかないが、とオレはナルに席につくように促したのだ。
「―――うん・・・」
ナルはオレから顔を隠すように、ちょこんとその丸椅子に座ったのだった。なぜ、ナルはオレから顔を隠すように座ったのだ?
「奈留さん、扉を開けてくれませんか?」
「あ・・・、春歌のことを忘れてた」
彼女は椅子から立ち上がると、その引き戸を開けた。
「おはようございます、アルスラン」
「ふむ。おはよう、ハルカ」
彼女は昨日と同じ白い大皿を持っていたのだ。その大皿の上に置かれた小皿からいい匂いが立ち込めていた。
「その料理はなんだ?」
いや、解っているとも、昨夜ハルカが言ったオレの食事だろう。朝から待っている間、長いことそわそわしていたが、命の恩人である彼女を信じて座して待っていたのだ。いや、幾度となくこの部屋を出ようと思ったことか。
「貴方の食事を持ってきました」
「世話をかけてすまない、ありがたく馳走になる」
台の上に置かれた大皿を見れば、いい具合に偏ることなくまんべんなくさまざまな料理が並べられていたのだ。
「美味そうだ」
そこへ、ナルがひょいっとその大皿を覗き込んだ。
「いかにも優等生が選んだような料理―――コッペパンの他にパスタと野菜のスティックサラダとキャベツの温野菜、ソーセージ三本、コーンスープ、牛乳、チーズ、ヨーグルト・・・」
ナルはオレにはよく分からない料理名をいくつか呟くと、悲しそうな目でオレを見た。
「来るのが遅くなってごめんなさい、アルス」
「え?」
「誰かさんがアルスの料理をゆっくりと選んだせいで遅くなったの。私だったらおいしいのしか取らないから早い。から揚げとかハンバーガーとか果物、チーズ、揚げた塩ポテト・・・」
「あのですね、奈留さん。貴女に料理を選んでもらったら―――。いえ、自分の好きなものしか取らなかったのは、誰ですか―――?ここは栄養を考えて偏食にならないように―――くどくどくど・・・」
「では馳走になる。美味そうだ」
オレはまず―――この食べ物は一目でそれだと分かった。この食べ物はオレの土地でもあったパンという麦粉から作る食べ物だ。
「なんと香ばしいパンなのだ―――」
オレはぱくぱくむしゃむしゃと、しかし、品を欠いたような食し方にはならぬように、夢中になってその美味い朝食を次々と平らげていったのだった―――。