第七話 自己紹介
第七話
「―――?」
む?この銀髪の少女―――どこかで見覚えがあるような・・・気がする? どこだ、どこで見たのかは、はっきりとは思い出せないが、確かに見覚えがあったのだ。
歳の頃はおそらくオレとあまり変わらないはずだ。十代の少女と成人した女性のちょうど間のような年頃で、上下とも紺色の服を着ていた。上衣は前で止めて羽織るような外套を着ており、下衣はオレが履いている袴とは違っていた。どういう下衣かと言えば、草原の民の婦女子が履かないような、西方の民の婦女子が履くポデアかフスタによく似た下衣を履いていたのだ。
「部屋から脱走したでしょ・・・」
「脱走? なんのことだ?」
「部屋に行ったらいなくなってた・・・」
「それは仕方あるまい―――」
オレは先ほど口に運んだものと同じ鶏肉の料理を右手で摘んで食んだ。
「―――目が覚めたオレは腹が減っていたのだ」
口をもごもごさせながら、銀髪の彼女の質問にそう答えた。
「無愛想・・・―――」
「―――」
無表情の銀髪の彼女に不愛想と言われてしまった。振り返ったオレの目の前に立っている、この銀髪の少女のほうがよっぽど不愛想に見えるのはオレだけだろうか?
「じぃ・・・」
「なんだ??」
銀髪の少女がなにか言いたげにオレを見つめてきたのだ。この銀髪の少女―――やはりオレはどこかで会ったことがある。
「貴方の名前はなんて言うの?」
「・・・オレの名前が知りたいのか? オレの名前が知りたいのだったら、まずはその服を脱ぎ、その席についたらどうだ?」
オレは、オレの向かいにある誰も座っていない席を指し示す。そこで彼女と食事をしながら、ゆっくりと話がしたいと思った。彼女とはどこかで会ったような気がしたから。
そして、彼女を見れば、紺色の高そうな外衣を着ていたのだ。外衣を着たまま食事をすれば、肉汁や飲み物が飛び散るかもしれない。外衣というものは、長袖の外服のことで高級な毛氈で仕立て上げられ、礼服や官服として用いられる高価な外套のことだ。職人の手作りの一点ものも多く、お気に入りのものを汚してしまえば、金貨を積んでも同じ服がないことも多いのだ。
「さ、その服を脱いで、オレの前の席に座るといい」
「・・・貴方変態? ・・・あのときは怖いほどかっこよかったのに・・・」
「・・・?」
彼女が後半、ぼしょぼしょとなにやら呟いた言葉は小さすぎて聞こえなかった。
「奈留さん?どうしたんですか。座らないんですか?」
「・・・」
銀髪の少女のもとへ一人の若い女がやってきて、彼女は銀髪の少女に話しかけたのだ。彼女は銀髪の少女より頭半分ほど背が高く、その長い黒髪を後ろに纏めてくくっていた。ちょうど馬の尻尾のようなあんばいにしてあった。また彼女も、服装は銀髪の少女と全く同じ上下とも紺色の服装だったのだ。そういえば、この黒髪の少女は髪型とか、髪の色とか、体型もオレの姉さんに少し似ている。
「・・・春歌。彼、オラオラ系変人だった」
「オレが変人だと? なぜだ?こんなにもオレは礼儀と食事の作法を心得ているというのに・・・」
「あ、自覚がない。やっぱり変態かもしれない」
「―――・・・・・・」
銀髪の少女はつまらないものを見るような目つきでオレを見たのだ。
「奈留さん、これから話を訊く人を不快にしてはいけませんよ」
「でも、春歌・・・」
ふむ、この黒髪の女子も紺色の高級そうな外套を着ているではないか。
「黒髪の貴女もその着ている服を脱いでその席に座るといい」
「え?」
「ほら、聞いた春歌? 彼、服脱げ脱げって言う変態なの」
「そのままの意味でしたら、確かにその変・・・特殊な性癖の持ち主のようですね、奈留さん。それとも文化的な違いなのでしょうか・・・」
「ふむ・・・少し待っていてくれ」
オレは席から立ち上がり、数々の食べ物が置かれている台のところに行き、新しい肉料理といくつかの果実を取ってきた。オレ達の礼儀では然るべき者、王や王子、副王、候などが、賓客や来賓に対してこうして短刀を使って肉など切り分け、その者に対して主と同じ食で歓待するというものだ。そこでオレはあらかじめ取っておいた銀色の食事用の短刀と五本の爪が生えた杓子で鶏肉を切り分けていった。この出会いと会食に幸あれ、と。
だが、オレが鶏肉を切り分けている間も、なぜか彼女達は突っ立ったままで空いている席には座らなかったのだ。
「「―――」」
「む、どうしたのだ? なぜ席に座らないのだ?」
彼女達の表情や態度を見ていて分かったのだが、オレは二人の婦女子をいつの間にか不機嫌にしてしまっていたようだ。いつ、そうしてしまったのかは分からない。オレは肉を切り分けているのを中断し、椅子から静かに立ち上がった。
「ふむ。なにか行き違いがあるようだ。貴女がたを不快な思いにさせるつもりはなかった。もし、不快に思わせてしまったのなら、それはオレの落ち度だ。すまなかった」
王子や徴税官などが、彼らの主である皇帝や王に向けて行なう儀と同じように、オレは椅子から立ち上がって二人の少女に頭を下げた。
「じゃあ、なんで私達に服脱げって言ったの?」
「見た感じだが、貴女がたが着ているその紺色の外衣は高価なものなのだろう? 食べている最中に肉汁や飲み物が飛んで染みにでもなったらと気がかりだったのだ」
「かふたん?ってなに」
銀髪の少女が首を傾げたのだ。
「外衣というものは、一番外に着る長袖の服のことだが? お気に入りのものを汚してしまえば、金貨を積んでも同じ服が手に入らないことも多いのだ。だから、オレは貴女がたにその外衣を脱ぐように、と言ったのだ」
「なるほど。確かに制服を汚すとしみ抜きが大変・・・」
「そういう意味で私達に服を脱ぐように言ったのですね、納得しました。では失礼します」
黒髪の少女は外衣を脱ぎ、その椅子に掛けた。それに続いて銀髪の少女も外衣を脱いで、黒髪の少女と同じようにしたのである。
「―――・・・」
彼女達が外衣の下に着ている白い服がオレにとってはまぶしすぎたのだ。おっと、彼女達の胸の辺りをじろじろと観ては失礼だな。それに胸の辺りをオレがじろじろと見ていれば、また彼女達に不快感を与えてしまうかもしれん。
と、オレはそのようなことを思いつつ、視線を手元に戻すのだった。オレは彼女達のために切り分けていた鶏肉を切り終えて、ふたたび席についた。
「・・・じゃあ貴方の名前を私達に教えてほしい」
銀色の少女はおずおずとオレにそのようなことを訊いてくる。いや、まだまだオレを警戒しているような表情ではある。
「ふむ」
なるほど。本来ならば訊いてきた相手から名乗るのが礼儀だが、わざわざそのことを彼女達に指摘して、再び波風を立てる必要はないだろう。
「オレの名はオテュラン家のアルスランという、以後お見知りおきを。ちなみにその名はオレ達の言葉で『獅子』を意味しているのだ」
オレは発言のあと、軽く一礼をした。
「それはそうと、貴女がたの名前はなんというのだ?」
オレは一礼を行なった頭を上げて、今度は彼女達二人に対して問うた。オレはまず銀髪の少女を見て、それから後にきた黒髪の少女と順番に見やった。
「私は羽坂 奈留―――・・・」
「ハサカ=ナルか、いい名だ」
同じ母音が続く彼女の氏族名はオレにとってはとても覚えやすいし、言いやすいのだ。
「そう―――・・・?」
「あぁ、覚えやすい」
「アルスラン・・・。ん~、アルスラン、アルスラン・・・―――ううん・・・やっぱりこれがいい」
自らをハサカ=ナルと名乗った銀髪の少女は何度かオレの名前を呟いたあと、満足そうな笑みを浮かべた。
「・・・これがいい」
「?」
これがいい?とはどういうことだ?
「アルス・・・がいい」
「え?」
「だから、貴方の名前はアルスラン・・・だからアルスって呼んでもいい?」
「あ・・・あぁ、そういうことか」
納得がいった。そしてアルスか、ふむ悪くないな。
「ではオレのことはアルスと呼んでくれ。その代わり今から貴女のことはナルと呼んでもよろしいかな?」
銀髪の少女改め、ナルはこくんと頷いた。
「奈留―――・・・。うん、アルスにならナルって呼んでくれてもいいよ」
「分かった・・・これからは貴女のことはナルと呼ばせてもらう。その代わりオレのことは気軽にアルスランでもアルスでもいいから呼んでくれ」
「うん・・・そうする」
ついさきほどまで自己紹介をする前とした後では打って変わって、ナルの目元口元が柔らかいものになったのだ。
「これから、よろしくな、ナル」
それにオレもいつの間にか、今までの、『赤の他人』に対して行なう、かしこまったような口調ではなくなっていた。
「・・・うん、よろしくアルス」
「―――よろしいですか?」
もう一人の若い女子の凛とした声色に、オレはその声の主である、黒髪の少女に視線を向けた。彼女の前には彼女自身が取ったであろう、いくつかの料理が並べられた大皿が食卓の上に置かれていた。大皿の上には、オレがそうしたように様々な食べ物が載っていた。ナルのそれより彼女の大皿に載ってある料理のほうが色とりどりだったのだ。ナルが自身で選んだ料理はどちらかと言えば、同じ色の食べ物が多い。
「私は一之瀬 春歌といいます、以後よろしくお願いします」
イチノセ=ハルカと名乗った彼女は礼儀正しく頭を下げた。
「オレはオテュラン家のアルスランだ。以後よろしく頼む」
それにつられるようにオレも首部を垂れたのだった。
「はい。では貴方のことをこれからどのように呼べばよろしいですか?」
「ナルと同じようにアルスでもアルスランとでも呼んでくれてかまわない」
「分かりました、では私は貴方のことをアルスランさんと呼ばせてもらいます」
「いや、それにはおよばない」
「それはどういう意味ですか―――?」
オレの言葉に不服なのか、彼女はすぅっと眼を細めた。その彼女ハルカの研ぎ澄まされた気配と雰囲気だけで、オレはこの婦女子イチノセ=ハルカが相当の手練れであることが解ったのだ。彼女は、物腰こそ柔らかいものの、なぜだか、油断できない人物であるとオレは直感的に思ったのだ。
「オレを呼ぶときは『アルスランさん』ではなく、アルスランだけでよいのだ」
「―――」
「そういう意味ではない。貴女はオレの臣下でもないし、従者でもないのだからオレ達は対等だ。オレも貴女のことはハルカと呼ばせてもらうが、それでよろしいかな?」
「・・・そういうことだったのですね、解りました。それでしたら私も気兼ねなく貴方のことをアルスランと呼ばせてもらいます」
「強要したようですまない、ハルカ」
「いいえ。そんなことありませんよ」
さきほどまで雰囲気―――武官や武人特有の刃のように研ぎ澄まされた気配―――それが彼女ハルカからふぅっと消え、先ほどまでの柔らかく、穏やかな物腰の彼女に戻ったのだ。
「さて互いの紹介が終わったところで、さぁ食べてくれ、冷めてしまう」
オレは先ほど切り分けた鶏肉を二人に差し出したのだった。
「アルス?これは私達のために切り分けてくれてたの?」
オレは肯いた。
「さぁ食べてほしい。ナル、ハルカよ」
「では、いただきます」
ハルカはオレの斜め向かいの空いている椅子に座っており、手の平を合わせて軽く祈ったのだ?
「その祈りはどういう意味なのだ、ハルカ?」
ふと疑問に思い、彼女ハルカに問うてみた。
「・・・これは食の恵みにありつけることができ感謝します、という意味があるんです。五穀豊穣を神に感謝する意味も含んでいます」
「そういうことか、得心した」
確かにオレ達も天神や天女神をはじめとした神々や精霊達に豊穣があるように、また戦いで勝利を、と祈願するものだ。
「ところで二人に訊きたいことがあるのだがよいか?」
「えぇ」
「うん?なにアルス?」
こくっと頷いた二人にオレは続けて口を開いた。
「―――オレを拾って治療してくれたのは、ナルとハルカ貴女達か?」
「―――」
「えぇ、まぁ・・・そうなりますね。奈留さんが傷を負って倒れていた貴方を最初に見つけたんです」
「そう、なのか、ナル?」
「うん。―――春歌」
「―――」
「?」
そこでなにか意味ありげな視線と小声、首を僅かに横に振りつつ、ハルカを一瞬だけ見つめたナル。二人はなにかの意思疎通を行なったのだ。オレも今はそれを追及するのは得策ではないと思い流したが。
「アルスが『月之国』との境界付近の森で倒れているのを見つけて、春歌と一緒に大急ぎでこの病院・・・というか療養所に運んだの」
「・・・・・・」
『月之国』との境界・・・? そこはどの辺りだろうか・・・。あとで二人に訊いてみるか。
「そしてその十日後が今日でアルスは十日の間ずっと眠ってた」
「十日も眠っていた?」
「うん」
ナルはこくっと頷いた。薄々オレが誰かに助けられたことは解っていたが、オレは彼女達のおかげで一命を取り留めることができたということか。
「―――・・・」
ナルが、オレの前に姿を現したわけ。部屋から勝手にいなくなった、とオレを責めたわけ。その意にやっと得心した。オレは前から決めていたのだ。満身創痍のオレを救ってくれてくれた生命の恩人には恩で報いると。ナル、ハルカ。今のオレには何も・・・金貨も銀貨も宝石もなく、助けてくれたお礼にと、それを彼女達に与えることもできない。もし、できることがあるとすればこの身で恩に報いるということぐらいだ。
「ナル、ハルカ・・・す、すまない」
瀕死のオレをナルとハルカが救ってくれたのだ。オレが生きてきた土地では、回復の見込みのない怪我人や病人は、人も寄って来ないような所に張られる小さな天幕の中か、大木の途中幹と枝との所で括り付けられた掘立小屋の中で独りにされる。そこで、病人は治るまで留め置かれる。だが、大半の場合、病人はそこで独り死んでしまう。死ぬまで独りで放置されるのだ。そうしてそのまま風葬もしくは樹葬となる。
「かたじけない―――ありがとう・・・」
だから、重傷のオレを付きっきりで看てくれたことに。自身の生命を救ってくれたナルとハルカに思わず熱くなった目頭を右手で押さえながら、オレは首部を垂れたのだ。膝元にぽたぽたっと、水ようななにかがいくつか落ちて水玉模様を下衣に染めたのだ。