第六十八話 永遠の離別
「ふふっ」
オレは笑みをこぼした。あぁ、そうともオレはこのかわいい義妹イェルハのためならば、どこへだって行こうぞ。
「フローラ」
すると、継母上ソフィア殿はイェルハに向き直り、そのイェルハのルメリアの名を呼ぶ。
「お母様?」
イェルハもまた自身の母に視線を移す。
第六十八話 永遠の離別
「フローラやはり貴女はこのエヴルバリクの本営に残りなさい。この母はそのほうがいいと思います。ね、フローラ」
「え? えっと、、、あのお母様・・・」
きょとん、と。イェルハは一瞬、意味が解らずきょとん、とした顔になった。そして、ややあって残念そうに視線を落とし、その眼を細めたのだ。
「そのような意味ではありませんよ、フローラ。貴女はアルスラン殿の花嫁となるのです」
「そ、それはお母様・・・っっ///」
もじもじ。
か、かわゆい。イェルハは頬を紅らめてもじもじとその両の手指をせわしなく動かす。
「っつ」
オレとて面映ゆいし、跳び上がりたいほど嬉しいが、そのような心の内、感情を面に出すことはせぬ・・・せぬのだ、勇ましき勇武を誇る草原の民の男子であるがゆえな・・・!!
継母上ソフィア殿の話はまだ続くようだ。その継母上の口は閉じられることはなく―――、
「フローラ貴女が祖父、私の父アレクシウス帝の宮廷へと馳せ参じれば、それだけ貴女達の華燭の典がより先へと先延ばしとなります、ね?フローラ―――」
にこりっ、っとソフィア殿は極上の優しい顔を娘であるイェルハに示す。
「お母様、それは」
「―――貴女はこの本営にて残り、この私母の帰りを待っていてもよいのですよ?」
「それはお母様・・・私―――」
イェルハの瞳がふるふる、と揺れている。逡巡、、、イェルハは迷っているようだ。イェルハの実祖父アレクシウス殿はそのもう一つの、『我が娘と孫娘』と題打った書簡の中で、娘ソフィアと孫娘であるイェルハ、ルメリアの名で『フローラ』と一目でいいから会いたいという切望に満ちた文章で、、、確かオレが読ませてもらったところによると。
『私が、我が神のもとへ参るまでに、娘と孫娘に一目でいいから会いたいのだ』とまるで懇願するように記されていた。それと、エヴル=ハン国の王子であるオレとの婚儀が纏まったことにもアレクシウス帝は触れ、『祖父として孫娘であるフローラに多大な幸福を授けてやりたいのだ』とも記されていた。
ふむ。イェルハの今の逡巡している様子を観ていれば解るさ。
「―――」
イェルハのやつ、きっと迷っているな。祖父アレクシウス帝に会いたい、自分を祖父に会わせてやりたいという自身の気持ちと、このエヴルバリクの本営のオレのもとに残りたいという自身の気持ちに挟まれて。
イェルハは優しい娘だ。憂いをなくしてやりたい。その憂いをオレが取り除いてやりたいのだ。
「イェルハよ―――」
オレが呼びかければすぐに答えてくれる。オレは思ったのだ、いや常々思っている。そんなのイェルハのためにオレは義兄として、そして許嫁として―――、オレは彼女イェルハに、、、彼女が喜ぶことをしてやりたいのだ、オレは。
「兄さん・・・?」
きょとん、とそんな表情をイェルハはする。
「オレは幼い頃より気心の知れたそなたと婚約でき、共に生きていく間柄となれた。それはオレの誉れと誇りだ」
この世では政略婚という、望まぬ婚約、望まれぬ婚約も多いのだ。事実、父上トゥグリルと継母上ソフィア殿との婚姻もそうだ。ソフィア殿は西の大国ルメリア国の帝室より、我がエヴル=ハン国の、オレの父トゥグリル・ハンのもとへと嫁いできた。
その他にもエヴル側としては、東の強勢なアカティル族へと嫁いだエヴルの高貴な出の娘もいる。そして、その民自体が祖父クルト・ハンの兄君、オレから見て父方の大叔父であるボリの族だ。数十年前ボリはアカティル族を統括する任を与えられて同地に赴き、アカティル族の王家に婿入りしたのだ。
そのボリの他にも、我らエヴルの民の臣下である南のダニシュメン人へと送り、婿入りさせた我らエヴルの民の徴税官は同地のダニシュメン人の臣従候の娘の一人を嫁に迎えた、と聞いている。
だが、『オレとイェルハは』、『イェルハとオレは』そういった類のものではなく。―――オレは、イェルハとは絆で結ばれていることを信じているのだ。
オレの誉れと誇りだとの宣言にイェルハは。
「え、えっと、、、兄さん―――っ///」
てれてれ。頬を紅くしてイェルハはかわいく照れてくれたのだ。
「イェルハよ、祖父アレクシウス帝に会いたいのだろう?」
「それは、、、はい兄さん。私はお祖父さまに成長したこの私をお見せしたいです・・・!!」
言葉の初めは、彼女の視線と同じく逡巡するようにおとなしく、―――だが徐々にそれははきはきとしていき、言葉尻は強く自信溢れるその語気と、その力強いその眼差しでイェルハははっきりとこのオレに言ったのだ。
「では早々にルメリア国の帝都の祖父のもとへ行ってくるとよいイェルハよ」
「え・・・」
イェルハが一瞬オレに見せた残念そうな寂しい顔を見逃すわけがないのだ。祖父アレクシウス帝の元に行け、と突き放すように、イェルハにはオレの言葉がそう聞こえたのだろうか・・・。そのような気持ちはオレにはない。なぜならば、オレはイェルハを好いているからだ。その気持ちは口には出さぬが。
しからばオレはこう答えよう。
「そうではないイェルハよ。早々にイェルハそなたは祖父の元へと行き、オレはそんなそなたの帰りをこの地、エヴルバリクの本営にて首を長くして待っていよう。そしてイェルハそなたが早々にこの地、エヴルバリクの本営に戻ってきたらば、すぐにオレと華燭の典を行なおう。共にこの草原の大地で逞しく生きようぞ、イェルハよ」
「―――」
はぁ―――、っというイェルハの声なき声をオレは聴いた。今や彼女はその、くりっとした目を大きく見開き、その口で息を呑んだのだ。
やや、いいや僅かな刻を置き、イェルハの顔に花が咲く。
「兄さんっこんな私ですが、末永くよろしくお願いしますっ」
「あぁ。オレのほうこそだ、イェルハよ。天神や地神、神々に誓ってお主を今までよりもさらに愛し、慈しむことを約束しよう」
「に、兄さん・・・っ///」
もじもじ。
そのようなイェルハを置いて、オレへとゆるりと近づいてくる者が一人いる。
「アルスラン」
オレへと進み出てきた者というのは、イェルハの実母であり、オレと姉さんの継母上に当たるソフィア殿だ。
「継母上よ」
「えぇ。アルスラン貴方になら安心してこの子を任せることができるわ。ありがとう、この子フローラをよろしくお願いしますね」
「はいソフィア殿。イェルハはオレに任されよ」
幾つかの言葉が様々な者より出でつつ、一時の別れの儀はそうして過ぎていった。
「―――くっ、ソフィアよ。ルメリアの義父上に私のことをよろしく言っておいてくれ」
父上トゥグリルはその眼を赤くさせ、だが父上は泣いておらぬ。勇ましく武の誉れ高き草原の民はハンや高貴な者が逝くときより他は涙を流さぬものなのだ。
「それでは行ってまいります、トゥグリルさま、スゥ、アルスラン」
「はい、継母上。旅路の継母ソフィア殿に、イェルハに、そして護衛ならび側仕えの皆の者に父なる天の、母なる地の祝福がありますよう、このアルスラン、継母上やイェルハをはじめとした皆々が無事にルメリアの都に着くようこの蒼き天に祈ります」
「行ってきますッお父さま、お姉ちゃん、兄さんっ」
イェルハは馬車から身を乗り出して振り返り、エヴルバリクの本営に残るオレ達に手を振る。
「うむ」
「えぇイェルハ」
「あぁイェルハっ!!」
父上も姉さんもオレも一時の別れを惜しみ―――
―――継母上ソフィア殿はうつくしいその淡い笑みを浮かべて、またオレと契りを交わしたイェルハは嬉し恥ずかし、そのようなはにかんだ顔で馬車に乗り込んだのだ。
馬車からイェルハが身を乗り出すように手を振っている。だからオレも姉さんも手を振り返す中、騎兵に先導された馬車は瞬く間に小さな姿になり、やがて点のようになり、そして見えなくなった―――。
そう―――、そうこれがあれの始まりになるなどと、オレも父上も姉上も、この国の全て、、、いやこの草原に生きる全ての民が思わなかったのではないだろうか―――。




