第六十三話 条約締結
「―――」
それはつい先日のことだった。オレの父が居るエヴルバリクの本営の大天幕に、ルメリア国出身の継母上の実家ルメリア国の帝都バシレイアより使節団が遣わされたという報せが使者より届いたのは。
第六十三話 条約締結
父君のハン就任在位二十周年・・・、それと今の継母と父が結婚して十五年を機に、継母上の実家であるバシレイアからルメリア皇帝の言葉を預かった使者が祝電を持ち、はるばる我が天幕の地にやってきたのだ。
ウルムの国から使者が現れた、という報せを受けた父上トゥグリルは即決即断―――。 オレの父君トゥグリル・ハンはその報せを受け取るやいなや、すぐに支度を整えてルメリア国の使節団を迎えに行くために、従者達を引き連れて本営の大天幕を発ったというわけだ。無論、子であるオレも父に同行したということは言うまでもない。
此度のルメリア国からの使節団は総勢百名。使節団員と荷と豪華な贈り物を載せ、牛馬は二百頭だ。
使節団団長とその団員、その馬車に畜生に荷物―――、かれらが健やかに我が庭に入るための、祭祀により天神への讃歌と祈祷、並びに使節団を炎の輪に潜らせるという聖炎の儀が執り行われたので、かれらルメリアの者達に禍や不幸は降りかからず、またかれら使節団と交流する我らエヴルの民にも禍や不幸は降りかかることはないだろう。
オレは絨毯の上に座し、ルメリア国の使節団団長と語らう父を静かに見つめていた。
「・・・・・・」
つやつやした絹の煌びやかな天幕。その床に何重にも敷かれている毛氈の絨毯は父上が即位するときにぐるぐると巻かれ、担がれて用いられたものである。父トゥグリル・ハンは羊毛の絨毯の上に設けられた黄金の仰臥椅子―――玉座に腰かけて、ルメリアの使節団団長と語り合う。
今は双方がしきたりに則った挨拶と礼を終え、ルメリアの使者は己がはるばる持ってきたルメリア製の黄金やら宝玉、珍品などの貢納品を荷車から降ろして、この使節団長は自慢げに自身のお国自慢を披露している。そしてそれらのルメリア産の珍品は全て父トゥグリル・ハンの所有物となり、それから父の独断でオレのような臣下達に配分されることになるのだ。オレが父トゥグリルの実子であってもそれは関係なく、たとえオレが実子であっても、一番よい宝はオレに回ってくることはない。かといって一番よい宝を父が取るわけでもなく、父は自らが一番に信を置く者にそれを与えるだろう。
「トゥグリル殿、これはいかがかな?我がルメリアの南海属州よりさらに東方で採れるという珍品でございますぞ」
ルメリアの使節団長は煌びやかな青に輝く宝玉のようなものをオレの父に見せびらかしているようだった。
「ほう―――」
「これは群青と申しましてな、我らの属国となろうアリアナ王国より取り寄せました宝玉にございます」
「確かに。青々したその素晴らしき深みのある彩はまるで天や湖がそこに彩られたようにも見える」
「いやいや、素晴らしい御言葉痛み入ります。我が皇帝といたしましては、もっと多くの群青を我がルメリア皇帝の婿殿であるトゥグリルさまに与えたいと常々申されております。ですが、大変残念なことに我が国の東方にあるアリアナ王国は未だに―――」
「―――」
ふぅっ、っとオレは眼前を意識した。なるほど、大体のことはこのオレでも読めたというものだ。この使節団団長―――彼はルメリア帝国皇帝の代弁者だ。
つまり―――、この使節団団長の男が言いたいことは。父の、オレの、そして四面候の前で彼は悠々と自慢げにその大きな口を開く。
「アリアナ王国は未だに、我が皇帝に降ることがなく、その野心を持って我がルメリアの国と領民を狙っておりまする―――、、、、」
そこに至り、、、この使節団長は、父やオレ達の前で心底悔しそうに歯を食い縛るのだ。それはもう口角に深い皺を寄せて、頤に力を入れ、眦は泣き面だ。そして、アリアナ王国に対する憤りの言葉と文句が口を吐く。
「―――」
そのような泣きそうな情けない顔は、勇ましい草原の民であったならば決して人前では見せぬというものだ。そして、相手をひたすら批難する愚痴と雑言である。きっと父もオレと同じ心であろう。
「ふむ、なんなりとこの私トゥグリルに申されよ」
だが、父はこの使節団団長にそのように思う心をきっと隠しているに違いない。
「北東の草原を治め、多くの民を統べる高貴な王、エヴルのトゥグリル殿。我々の偉大なアレクシウス皇帝は私に言伝をされました」
そして使節団長は語り出す―――、
「和約の時が訪れ、ルメリア皇帝の素晴らしい友人であるエヴルのトゥグリル殿に―――」
―――父君トゥグリルの妻、オレにとっては継母となる人の実父であるルメリア帝国皇帝の言伝を。
「『和約の時が訪れ、ルメリア皇帝の素晴らしい友人であるエヴルのトゥグリル殿に我らの偉大な皇帝は貴殿に常に幸せが訪れ、幸せを分かち合える関係が続きますように。そして、私は絶えず貴殿の敵を討ち、貴殿も絶えず我らの敵を討ってくれますように、そしてそれは我らの友好を表す印であります。お互いの疑心暗鬼は我々の間からすれば遠くにありますが、もし、それが在るとすればそれは我々の友好を絶つものです。どうか私に全てのエヴルの民とそれに従属する全ての民に善きことをさせてください。そうすれば、我らルメリアも貴殿ならびに貴国に心からの友好を示すでしょう。つきましてはまず、我らを悩まし、我らルメリアとエヴルの友好を断ち切らんとするアリアナ王国に対し、トゥグリル殿貴殿の御考えを、この私ルメリア皇帝アレクシウスに語っていただきたい』、と」
「うむ、あい解った。ではそちよ、私からの言伝のそなたに託す。ルメリアの義父に、この私トゥグリルの返答を書き記すのだ」
「ははッ」
ルメリアの使節団の長は頭を下げ、一礼。筆を持ち、羊皮紙に父トゥグリルの言伝を書き記すのだ。無論こちら側も、父の親衛隊隊長の一人であるウズンという名の書記官の男がオレの父君トゥグリルが述べることを書き留める。
ルメリアの使者も、こちら側の書記官であるウズンという男も筆を取る。使節団の中にいる通訳は、オレの父トゥグリルが言うことを一句一言聞き漏らすことはないように耳を欹てたのだ。
「ルメリアの義父よ。義父上が仰ることは全くもって正しい。私はルメリアの人々の友人として義父上の役に立ってみせよう。そして、私の心はアリアナの国に買われることはなく、義父上に敵対の心を持つことは決してない」
止まる筆―――、
「―――」
―――ふぅっ、っとそこでルメリアの使節の長は息を吐き、一息入れた。そして、この使節内の通訳を務める男が使節の長に新たな真っ新の羊皮紙を差し出した。
その様子を見止めた父は、ふたたび口を開く。
「私が王となり二十年、義父上のソフィア姫と成婚十年を祝うために、遠方から祝いの言葉と祝いの品々をお贈りしていただき、このトゥグリル大変ありがたく思う。『百年の和約』が終わるまでまだ七十年ばかりあるが、その後も末代まで貴国と平安と続け、互いによしみを深めることを望む」
「はッ、しかと我らが偉大な皇帝に伝えます」
そして、使節団長はオレ達の目の前で、父が語った己が記した羊皮紙の書簡をくるくると巻いてから紐で縛って、青銅製の装飾が成された箱に仕舞ったのだ。
青銅製の箱と言っても銀の装飾とともにルメリア国の鷲の国章が刻まれており、それが一目見て書簡が納まった国書であることが解るのだ。
きっとルメリア国は真に我が父が治めるこのエヴルの国と好を続けたいと願っているにちがいない。まぁ、継母ソフィア殿と義妹のイェルハの生家であるし、な―――。
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「――――――」
明くる日、明後日―――、オレの父君トゥグリル・ハンは先頭に立って名馬を駆り、ルメリア国より遥々とやってきた、かの使節団を案内するかのように先導する。父トゥグリル・ハンは息子のオレや四面候、臣従候、その他の従者達も同時に率いて本営へと至った。
そこで、オレ達エヴルバリクの本営にてルメリアの使節団を持て成すための儀が行なわれたのだ。
オレの父君トゥグリル・ハンの本営父の大天幕は五百人ほどが入れるぐらいの大きさだ。
「―――」
オレはといえば山高帽を脱いだまま、真正面に居並ぶ家臣やルメリア国の使節達を眺めた。ふむ―――、オレのすぐ脇に座す従弟のトゥシュカンという名の男も山高帽を脇に挟み、固唾を飲んで使節団を見詰めている。
そして、
「・・・」
先代クルト・ハンの子でありオレの父君トゥグリル・ハンは黄金の華麗な装飾が成された椅子に座している。あのような華麗な衣服を父はどこに持っていたのだろう。少なくともオレは今、父が着ている金糸銀糸を織り込んだ華麗で絢爛、眩いばかりの父の盛装などをこれまでに見たことはなかったのだ―――。




