第五十三話 雷磔
第五十三話
「ぐぅ・・・貴女は鬼ですね―――とても人の所業とは思えません。し、しかし・・・この私は・・・水を遣えます。このようなものは・・・高圧水流で、洗い流せば・・・よいだけです―――『渦巻く水』」
その言葉にざぁっとハリサキの身体の周りに水が集まり、ハリサキを取り巻くように水が渦巻いてゆくのだ。
「・・・く・・・しかし、この全身のヒリヒリと灼けつくような痛みはとても許せませんね。ですが、これで―――」
身体を流れ巻く水流から顔を出し、ハリサキは怨嗟の顔でこちらを睨む。
「―――アルス、これを持ってて。壊しちゃうから」
ナルから光る板―――オレには操ることが難しくて使えなかった―――電話を渡される。
「・・・うむ」
そしてオレは、電話をまるで壊れ物を扱うかのようにして丁重に、自身の上衣の衣嚢の中に仕舞ったのだ。一方、ナルはとことこと水巻くハリサキに近づいていく。
「奈留、針崎さんを一応、殺さないようにしてほしい」
「解ってる、塚本。でも、痛い目に遭ってもらう」
「・・・ま、それぐらい仕方ないか。僕も―――久々に昔の渾名を聞いたしね」
マスクを外したカツトシは、己の右手で自身が顔に掛けている眼鏡をくいっと押し上げたのだ。
「・・・」
「―――」
ナルの動きを見たカツトシは懐から電話を取り出すと、なにやら指で操作し始めたのだ。そうして、その光る画面を耳に当て―――
「針崎さんの、片はついたよ。さぁ、はじめようか侑那」
それから、カツトシは電話越しに聞き取れないような小言でなにかを呟いたのだ。ユキナとの話は終わったのか、カツトシはそれをおもむろに懐の中に仕舞った。
「―――・・・」
オレがカツトシの様子を注視していたところ、彼がおもむろにオレに近づいてきた。
「アルスランくん、少し耳を拝借―――」
「・・・」
ツカモトはオレに耳打ちし、この『策』の確認を取る―――。一方でオレはナルから視線を外さず、彼女の動向にも気を配るのだ。
「ナルよ」
オレは独り小さく呟く。この声はナルの耳には届いていないだろう。そのナルは青白い火花をバチバチと全身、腕、脚、身体などを走り回らせ、放ちながら水巻くハリサキに徐々に近づいていく。この場が夜のためになおいっそうその姿を幻想的に思う。―――その放電の様子からナルの本気の度合いを感じさせられた。
「そ、その放電で、い、いったいなにをするつもりですか? 私の損失は日之国の崇高なる発展を―――」
「バイバイ―――針崎」
その異能発動状態のナルが人差し指を頭上に天高く掲げる。そのとき一瞬だけ、ナルの全身を走り回っていた嵐のような雷電が凪いだ。それはまるで特大な雷が落ちる前兆のようにオレは感じたのだ。そうして、掲げられた右腕に全身から這い集まるように紫電が集束し、光り輝くほどに彼女の腕に覆っていく。ナルはその状態の右腕、右手を勢いよく振り落とす―――!!
「ま、待つのです―――」
「雷磔」
ハリサキと水続きになった彼奴を覆う渦巻く水に、ナルの打ち落とした稲妻の如き、紫電光り輝く大いなる雷が触れたのだ。
「!!」
―――その瞬間―――オレはその極大の雷光と雷鳴に思わず眼を閉じ、耳を塞いでしまう。
「ガッ―――」
ハリサキはというと、ナルが造り出した雷が落ちた瞬間に意識を失い、ハリサキは白目を剥いてその場に崩れ落ちたのだ。またハリサキが失神したことで、彼奴の能力で操作されていた水もその場にバシャっと盛大に崩れ落ちたのだった。
「いつ見ても凄い威力だね・・・」
カツトシが流れるように呟く。その眼はここではないどこか遠いところを見ている。
「いつ見てもだと・・・?」
カツトシのその呟きにオレは、ふと違和感を覚えたのだ。
「僕の若い頃の話なんだけどね。奈留の母親愛莉さんがあれと同じ技を放ったことがあってね。―――今の奈留と全く同じ技だなぁってね」
アイリ―――。オレもカツトシと同じように―――しばし物思いに耽ってしまったのだ。
「・・・・・・」
たまたまの偶然なのだが、ナルの母親の名前はオレの実母と同じ名なのだ。オレの母親はアイリ=キョクルゥ・ハトゥンと言い、エヴルの四姓の一つキョクルゥ家出身だ。オレの母は元々身体が丈夫ではなかったらしく、オレを産んで数年後に逝ってしまったそうだ。それを以前オレの姉さんに聞いたことがある。オレの姉が言っていた。『月光』のように優しい母だったそうだ、オレのほとんど覚えていない実の母さんは・・・。
「仕草も発した言葉までも一緒だったよ、愛莉さんと。いやぁ昔を思い出してしまうなんて・・・やだねぇ僕もそんな歳か・・・」
ふぅっとカツトシの言葉。オレには母を思い出そうにも、幼かったために母后の記憶などはない。カツトシが少しうらやましい。
「―――」
「お疲れさま、塚本君」
オレ達の背後からユキナからの声がかかってカツトシは驚いた様子もなく振り返ったのだ。
「や、そっちこそおつかれ、侑那。首尾はどうだい?」
「うん。ばっちり配置についたわ」
カツトシのねぎらいの言葉に軽い調子で答えたユキナは、倒したハリサキに背を向けてこちらに歩いてくるナルの姿を認める。
「奈留ちゃん。こっちに来て私とお話しましょ♪」
ユキナはナルと二人きりで接するときだけ、その仕草がやたらと親密な―――まるで親友にでも接するような態度になる。ユキナは、ハリサキを倒してゆっくりとこちらに戻ってくるナルを両腕を広げ、大きく出迎えたのだ。
「・・・げ、侑那が現れた―――」
自身の名を嬉しそうに呼ぶ様の声の主を見止めたナルは、その表情をまるで苦虫を噛み潰したようなものに変えたのだ。
だが、オレには解るのだ。ナルのその表情は本気で嫌っているものではないということに。むしろナルは自身の照れを隠すためにわざとそのような嫌な表情をしているのだ。
ナルはユキナに言われて、わざと不承不承しぶしぶとさせながら、ユキナに寄っていく。
「奈留ちゃん、すごいわ!! 空へ掲げた右腕、天を示すあの指、あの動き、そしてあの必殺技―――まるで愛莉ちゃんがそこにいるみたいだった♪」
「お母さんが・・・?」
「うん。格好と動作もそっくりだったし、お母さんに教えてもらったの?」
「―――・・・」
ナルは無言で肯いたのだ。
「うん。お母さんに―――」
「やっぱり♪」
「諏訪局長。準備が万事整いました」
「お願い春歌。それから手筈どおりに―――」
「はい。諏訪局長」
「春歌も来てたの?」
「はい。私の相棒でもありますし・・・その、奈留さんは私の友人ですから―――」
「友達―――うん・・・」
普段のハルカなら『任務ですから―――』と答えるかもしれない。ハルカから『友人だ』と言われてナルはどう思ったのだろうか・・・―――だが、ナルのその表情が、ナルの気持ちを代弁していた。
「え、えと―――そう。そういえば健太は・・・いないよ?」
ナルが話を逸らした理由に、ナルは照れ隠しもあったように思うのだ。
「健太は、彼は―――もう一段階力をつけようと、ここのところずっと己を鍛錬していまして―――」
「うん。そのことはもう春歌に聞いたってば」
「えぇ。そうでしたね。ですが、ついに健太はそれを会得し―――」
どこか誇らしげのハルカ。ナルとハルカという二人の仲を見て、オレの頬がほころんだ。ナルは出会った当初の印象に比べて随分と変わったように思う。口数と表情が豊かになった、と思う。
「ふ・・・」
ふっとついにオレは笑みが出てしまったのだ。ナルを―――オレはじっと観るのは失礼かと思い―――
「『雷磔―――か』」
今しがたナルが倒したハリサキに視線を向けたのだ。そろそろ頃合いだな。第六感社の者がハリサキの回収に現れてもよい頃だ。きっとハリサキを倒せば、それを空間を越えて取り返しに現れるとオレは踏んだから、この『名案』を思い付き、カツトシに策を提案したのだ。まぁ、もっとも、名案と思い付いたときには、まだサツキという女子の真の正体は知らなかったが・・・。
「!!」
来たか。―――ハリサキが倒れている後ろの景色が漣立つように見えるのだ。やはり、オレの名案の筋書きどおりに事が運んだのだ。
「来たぞ」
オレの声に、オレが指さす先に倒れているハリサキに、ナルやハルカとユキナの視線が集まる。
「―――」
カツトシだけは、すでにそれに気が付いていた様子で、その口角が哂っていたのだ。
「―――」
あの光景は見たことがあるのだ。そうオレには見たことがあったのだ。あの光景とは―――
///
「おっと残念♪」
―――空間が滲んでいるようにオレの目には見えた、そのすぐあとのことだったのだ。『おっと残念♪』という軽い調子の女の言葉が、オレの耳に聞こえたのは。その女の声は、オレの目の前にいるハリサキの周りの空間。ハリサキの身体の周りのさざ波立つ『向こう側』から聴こえてきたのだ。
確かにハリサキの身体を、オレの右手は彼奴の白衣を掴んだはずだ。
「くッ―――そ・・・!!」
だが、オレの右手はハリサキに触れることは叶わず、空を掻いたのだ。
「新手か―――・・・」
さざ波立つ空間の向こう側で、ハリサキはしてやったりというのような笑みをこぼしていた。
「女子よ、貴女は―――」
オレはハリサキの肩に手を乗せているその女に視線を向けた。きっとその彼女が先ほどの声の主に違いない。彼女はすらっとした体型の女だが、背は男のような背丈ではない。そして、彼女は黒地の女物の黒服を着ていたのだ。髪はハルカのように長くはないだろうが、それを髪留めで止めずに直毛でおろしていた。また、彼女の面立ちから察するにユキナよりは若く、ハルカやナルよりは年上の女子だ。顔立ちはすらっと綺麗に整っているが、ハッとするような絶世の美女というわけではない。髪の色は常人より幾分か色素が薄い。だが、ナルように完璧な銀髪ではない。
ハリサキは、今までオレに向けていた、その、してやったりの薄く笑っていた表情を元のものに改めた。
「さて、私はアルスラン殿に問いを出しました。その正しい解答を、私針崎統司は期待して待っておりますよ、アルスラン殿」
///
先日と同じ光景が今まさに、オレの眼前で展開されつつあるのだ。
「―――」
あのとき、あのサツキという女子はハリサキを逃がすために、『遠距離を超越』して迎えにきたのだ。この今、オレの目の前で起きている現象もそのときと同じものだ。
「―――」
―――カツトシを見る。
「―――」
オレの視線を受け、カツトシも無言で肯く。
「―――」
だからオレは敢えて踏みとどまり、その様子を注視することにした。すると、その滲む空間の中から、今まさにこの場に一人の男が姿を現したのだ。ざりっと地面を踏みしめてこの場に出でた一人の黒服の男―――そして、その者は腰には刀を差している。
だが、相変わらずハリサキの後ろの空間は、まるで蜃気楼か逃げ水を見ているかのように揺れるさざ波のように見え続けていた。その事実が指し示す意味とは―――、能力者が恒に能力を行使し続け、その状態を保つとしたら、必ず事象が発生する。例えば、ナルのように、ナルが恒に能力を行使し続けているとしたら、雷電がずっとこの目で見えるはずだ。
「―――」
―――今、目の前でこのように景色が歪んで見え続けている、ということは、その能力者の能力は空間に作用するものに違いあるまい。間違いない、あのサツキはあの滲む空間の向こう側にいて、常に空間に干渉できる能力を行使し続けているのだ。
「貴方は―――!!」
ハルカも、空間を越えてこの場に現れた黒服の男の姿を見とめたのだ。
「またお会いしましたな、境界警備隊の美しい女性隊長殿」
「野添 碓水―――」
「お久しぶりですな、一之瀬殿。―――そして、貴殿がアルスラン殿ですな」
「・・・」
ハルカにノゾエ=ウスイと呼ばれた男がオレを認める。彼奴が、あの夜の任務のときにケンタとハルカを襲った第六感社の者だ。あのときのオレはこの者とあの錘使いには逃げられたが。
「我々第六感社の針崎所長の件でアルスラン殿貴殿には大変ご迷惑をお掛けした、深くお詫びする」
彼奴は丁寧な口調で頭を下げたのだが、自身をノゾエ=ウスイと認めた男に悪びれた様子は全く見られなかったのだ。慇懃な行動だが、それは実のところ口先だけということが、その態度で解る。
「そうか―――」
「―――野添」
だが、オレとノゾエが話しているのもおかまいなしにナルが一歩前に進み出たのだ。その顔には憤懣やるかたない、といった表情が色濃く表れている。
「針崎をけしかけておいて『深くお詫びする』? なめないで―――」
「いやいや、この一件は針崎所長の独断でしてな、羽坂殿―――いや近角 奈留殿」
「ッつ」
ナルの眉間がぴくっと動く。
「貴女は母方の姓を名乗っているようですが、近角 信吾殿の娘ということは我々の調べで、すでに明白ですぞ?」
「―――」
ナルの眉間に憤りの皺が寄っているのだ。
「ナルよ―――」
ノゾエという男に、今にも跳びかかりそうなナルの手前に、オレは制止の意味を込めて自身の左腕を真横に出したのだ。
「でも、アルス―――」
だからこそ、オレは冷静にならなくてはならない。
「ナルよ。怒るだろうが―――少し耳を貸すのだ」
オレは膝を屈めてナルの耳元で、ナルにオレとカツトシが事前に立てた名案を囁くように打ち明けたのだ。
「―――・・・、・・・ということだ。ナルよ」
「―――!!」
ナルの眼が一瞬見開かれて、ノゾエに向けていた短筒を不承不承しぶしぶながら徐々に下ろした。
「すまないな、ナル。ありがとう」
「―――・・・」
だからナルは、自身に芽生えた憤りを堪えてくれて、その短筒を持つ右手を引いてくれたのだ。この策が万事うまく全て済めば、オレはナルに叱られるやもしれんがな。
ナルはどうやらオレとカツトシが独断で決めた『策』に納得してくれたようだ。これが済んだときに、どうして私にも教えてくれなかったの?と機嫌悪く△にした顔で、オレは詰め寄られるかもしれないが、そのときはナルのその小言を、オレは文句も言わず聞く所存だ。
「―――・・・」
すぅっとナルの殺気が薄れていくのをオレは感じ取る―――
「―――」
それを感じ取ったオレは、この黒服の剣士ノゾエへと視線を移しのだ。
「その男ハリサキをこちらへわたしてもらおうか」
とオレは、言ったものの、本心では『敢えてハリサキが倒れている場に誰も近寄らせる』ことはしなかったのだ。第六感社の者どもがハリサキへと簡単に近寄れるように。
よって自身が倒したハリサキの様子を、上から蔑むように見降ろし佇んでいたナルを、ユキナは自分の元に確実に来させるためにナルを呼び寄せたのだ。
「では、貴殿の実力で針崎所長を奪い取ってはいかがかな?俺を斃して持って行くといい。それに俺は剣士として貴殿とは一度斬り結びたいと思っていたのだ」
「ほう・・・? そうか、実はオレも貴公と勝負をつけたいのだ。だが―――」
オレはハリサキの氷から回収していた警備刀を構えた。ノゾエから見れば、オレが戦う気満々に見えることだろう。オレは一歩前へと踏み出すふりをして―――
「アルス―――」
ナルはオレの右腕が取る。それは『さっき耳元で囁かれた手筈通りじゃないよ?』と、言っているような顔だったのだ。
「ナルよ。・・・オレは大丈夫だ。ふりをするだけだ」
少し屈んでナルの耳元でオレはそう囁いたのだ。
「・・・う、うん」
ナルは納得しつつも、オレの右腕を掴んだ右手を放さなかったので、オレは仕方なく警備刀を左手に持ち替えた。
「貴公と戦うのはやぶさかではない。だが、一つ公正を期したいことがあるのだ―――」
「公正を期す・・・?」
オレは、頸をかしげるノゾエには何も言わなかった。そうして口を開くのだ。




