第五十二話 水を操る者
第五十二話
「もういい。黙って変態―――」
ナルが諦めを含んだ冷たい声で呟いたあと、ナルの母親アイリという人が使っていたとされる、あの黒い短筒の筒口をハリサキに向けたのだ。ナルの眼差しは激しい感情を押し殺したものが宿っていたのだ。それはハリサキがナルの心傷を抉ることばかりを口走ったからだ。
「その銃で私を撃ち殺すと? ふ・・・本当に一般人はこれだからいけません。私という存在が唯一無二な価値を持っていることを、一般人はそのちっぽけな知能で識らないといけないですね。偉大な私の死は日之国発展における重大な損失になります。それに貴女が第六感社の所長級の私を殺せば貴女の両親やきょうだい、家族はどうなると思いますか?」
「そんな人達は帰ってこない。―――今の私に在るのはお父さんとお母さんが遺してくれた『大切な想い出』と・・・この『銃』だけだから―――」
ナルは小声で呟くと、ハリサキの疑るようなその視線がナルの構える黒い短筒に向いた。その黒い短筒を凝視するために、ハリサキは目を細めたのだ。
「・・・そういえば貴女の髪の色は銀色・・・? もしかして貴女はあの『相愛の弾丸』の子供では?―――そうではありませんか?」
ナルを見つめるハリサキの表情が、答えを得た、とばかりに明るくなったのだ。。
「ッ―――!!」
その瞬間にナルの人差し指が短筒の引き金を弾く。ナルが撃った一発の銃声の前にハリサキはどうなった、のか―――?
「私の胸を的確に狙いますか・・・しかし―――甘いですね。私にも『その可能性』があるとは思わなかったのですか? 貴女は」
ハリサキはニヤリと口角を吊り上げたのだ。一方でナルは悔しそうな表情の顔色だ。
「くッ 能力者・・・」
確かに、ナルが短筒より撃った弾はハリサキの胸に命中する軌道だったのだ。しかし、その弾はハリサキの身体に命中することはなく、その手前で止まっていた。突如、まるで集束するかのように、ハリサキの前に出現した分厚い楯の氷によってナルの弾は、その氷楯にめり込むようなかたちで、そこで止まっていたのだ。
「さてさて―――それでは順番に途中式から解いていきましょうか。すなわち、当時の私達第六感社が掴んでいた情報によれば―――」
ハリサキの操る氷の楯の表面がいくつかも盛り上がり、それがみるみるうちに氷柱のように尖っていくのだ。
「ッ!!」
刃の楯か―――その氷楯の変化を見て取ったオレは地を蹴ってハリサキに肉薄する・・・!!
「―――当時の警備局の精鋭部隊『四天王』は二つの男女の組み合わせから構成されていました―――」
「―――喰らえ」
オレは、ハリサキに斬りかかるのと同時に、鞘から警備刀を抜き放ち、真横に薙ぐように斬りつけるッ。
「その一組近角 信吾と羽坂 愛莉―――」
「なに・・・!!」
オレが抜刀と同時に左斜め下から斬り上げた刀の刃は、ハリサキに当たる寸前に形成されたもう一つの、左の氷の楯によって受け止められる。
「!!」
オレはこの目で見た。このときハリサキの左腕と左の氷楯は二つとも淡く光っていたのだ。ハリサキが左手を動かせば、また左氷楯も同じように動くらしく、どうやらハリサキは大地の重力を無視して自身の『氷』を操ることができるようだ。
「くくく・・・危ない危ない。斬撃だけでこの私の強化された氷楯に罅を与えるとは、さすがは転移者ですね・・・」
「周囲に水気はない。―――お前は空気中の水分を行使しているのだな・・・?」
「ご明察。そのとおりですよアルスラン殿。素晴らしい、やはり貴方は素晴らしい。私が欲する人材ですよ、貴方は―――。そうそう、当時近角 信吾は銀色の髪をしており、羽坂 愛莉とずっとペアになっていたようです」
ハリサキの右手に集束するように氷の塊が成長していく。そうして、その氷の塊はみるみるうちに氷柱のような長大なものへと成っていく。
「しからば、貴女のその髪の色が証―――」
ハリサキは淡く輝く右手で、その自らが造り出した氷でできた剣を握った・・・。それは高き頂の万年氷のように美しく透明な氷で造られた直刀だったのだ。しかしよくもまぁ、ぺらぺらとナルの家族のことを喋りながら、このような芸当ができるものだ。呆れ半分、感心半分といったところだ。
「―――」
オレはハリサキの氷刀と斬り結ぼうと、氷楯を打った自らの警備刀を引こうとした。
「ッ!!」
だが、そこを見れば、オレの警備刀の刀身はすでにハリサキの氷の楯に呑み込まれていて動かすことができなかったのだ―――。
「殺しはしませんのでご安心を、貴殿は貴重な人材です。なに心配することはありませんよ、ちょっとちくっとするぐらいです」
「―――」
ちょっとちくっとするどころの話ではない。この氷刀の鋩の鋭さを見る限り、これは身体の奥深くまで刺さるはずだ―――。オレには分かるのだ、ルメリア兵との戦いで幾度となく同じように、オレの身体へと突き刺さろうとする剣の鋩を見てきたから。
「アルスッ!!」
ナルの声と三発の銃声が聞こえた。その直後、ハリサキの氷剣の横腹、つまり氷剣の一番脆い部分にナルが撃った三発の弾丸が命中し、その氷剣は弾が命中した場所からパキンっと折れたのだ。
オレはその隙を突いてハリサキの間合いから、ダッダッと脚で地を蹴ってその場から離脱する。
「すまない、ナル。ありがとな」
「ううん。それよりあいつ研究者のくせに中々の戦闘力がある・・・!! さっき撃った弾は徹甲弾―――それを三発分撃ってあの氷の剣は折れた」
ナルは悔しそうに顔を歪めた。
「たぶん、あいつは自身のアニムスで氷を強化しているんだと思う・・・」
「うむ、そのようだな」
それに彼奴のあの動き、あの瞬時の判断―――ハリサキという男はどこかで実戦経験を積んでいたのかもしれんな。
「私の想像以上に貴女のその銃はやっかいな代物ですね、ではどうするか? こうしましょうか―――」
ハリサキは右手を自分の顔の前に持って行く。オレ達に手の甲を見せ、自分には手の平を。すると、その右手が淡い光を帯び始めたのだ。
「―――『水転嫁』」
『すいてんか』とハリサキは呟く。そうしてハリサキは眼を細め、表情厳しくまるでナルを睨みつけるように見つめたのだ。いや正しくは、見ているのはナル本人ではなく、ナルがその手に持つ黒い短筒のようだ。
「―――?」
ナルは不可解な現象とその自身の感覚が覚えた違和感を目の当たりにし、手に提げていた黒い短筒を、自身がよく見える位置まで持って行った。
「なんかアルス、変なの? なんか私の銃が湿って―――」
ハリサキが睨んだのは、ナルが右手に握るその短筒だ。すると、ナルの持っている短筒に、徐々に玉のような水が結露のようになって集まっていくのだ。その湿気で、ナルの短筒に備わった火薬を湿らせたということだろうか?
「ナルよ。彼奴ハリサキは想像以上に強敵で、氷だけではなく水の能力までも使えるようだ。厄介な能力だな・・・ナルよ?」
「―――、・・・、・・・」
ナルはわなわなと黒い短筒を持つ右手を震わせて、オレの話を聞いていないのか、聞こえていないのか―――オレには判らなかった。少なくともナルの心にとっては、自分の母親の形見の短筒を濡らされたというのは驚くべきことだったのだろう。
「ナルよ―――」
「針崎が私の大事なお母さんの銃を濡らした。―――赦さないから」
ナルの尋常ではないその呪詛のような言葉―――怒気をはらんだ眼と視線―――。ナルが怒りに我を忘れてしまわぬよう、オレは―――。オレとカツトシで練った『策』を貫徹せねばならないのだ―――
「ナルよ。冷静になれ」
オレは少し強めの口調でナルを諌めたのだ。これをオレが言っても、ナルが聞いてくれないときは―――
「アルス・・・ごめんなさい」
だが、ナルはオレの忠告を聞き入れてくれたようだ。
「彼奴をオレ達で討ち取るぞ」
「うんッアルス」
「私を討ち取る? ふふ―――では、そのような危ない銃はさらにこうしましょう―――『氷転嫁』」
「冷たッ―――!!」
『ひょうてんか』とハリサキが呟くと、今度こそナルは眼を見開き、心底驚いたのだ。
「・・・え―――?」
ナルの短筒に付いていた水が凍っていき、短筒の表面を薄く覆っていた氷は、さらにびきびきと急速に大きく育っていく。そして、瞬く間に短筒を持つナルの腕ごとその氷は覆い尽くしたのだ。
「ナルッまさか―――」
このままではナルの手が凍傷になってしまう―――
「その銃を持つ貴女の右手は、これでもう使えなくなりましたね」
「きさま―――ッ」
オレはハリサキを睨み付ける。ハリサキに注意深く意を向けつつ、オレはナルの傍へと駆け寄ったのだ。
「アルス、私は大丈夫」
「し、しかし―――これでは、右手が凍傷になってしまう―――!!」
オレが凍りついたナルの右腕を取ろうとしたときだった。
「問題ない、こうする」
「―――ナルよ、これはいったい・・・?」
短筒ごと手や腕を包んでいた氷が溶けて・・・いく? 溶けた氷が徐々に水になり、雫がぽたぽたと地面に落ちて、水玉模様を点々と作っていく。やがて、黒い短筒を包んでいた氷は緩んでぼとっガシャンと地面にごっそりと落ちたのだ。
「ふんッ―――」
それをナルは右脚で上から踏み落とすことで、ガシャンとさらに氷をばらばらに踏み砕いたのだ。
「金属に電気を流すと抵抗熱が発生するの。でも、その融けた水のせいでまたもお母さんの形見の黒い銃がびしょびしょになった、悲しい」
ナルは小声でハリサキには聞こえぬように。そして、しょぼんとナルは頭と肩を落としつつ―――次にナルは左手を腰に持っていき、銀色の少し大きめの短筒を取り出したのだ。
「次は絶対にお前を撃つから―――」
ナルは腰に巻いてある帯に付けた革袋より、銀色の短筒を取り出し素早く構え―――その銀に輝く筒口をハリサキに向けたのだ。
「何度溶かして撃っても同じですよ。さぁ、私を撃ってたみたまえ―――我が氷楯で貴女の弾を完全完璧に防いであげましょう!!」
「バカ・・・?」
「私がバカ? 意味が解りませんね」
「―――ノータリン」
「私はアホでもないッ」
「―――」
ナルはその白い指で銀色の短筒の引き金を引いたのだ。銃声が一発。確かにナルが撃った弾は彼奴ハリサキが操る分厚い氷の楯に着弾してその身には届かないが―――着弾後にその弾は破裂し、その中身を盛大に四散させたのだ。
「なッ!! ・・・ぐわぉッ!! ゴホッゲホッゴホッゴホッ―――!!」
ハリサキは自身の鼻と口を押えながら、苦しみの表情でその場に膝をつく。
「ばいばい」
続けて数発の銃声が聞こえたのだ。ナルは弾倉に入っていた全ての弾を打ち終え、華麗に、銀色の短筒を腰の革でできた鞘のようなものに押し込んだのだ。
「ーッ!? ~ッ!! =ッ!?ッ!っ!!―――」
そうして、まるで夏の炎天下の地を這い苦しむイモムシのように、ハリサキは地で身体を仰け反らし、また折り曲げ、じたじたばたばたとそれを何度も繰り返し―――ついに彼奴ハリサキは地面を転げ回り始めたのだ。
「ぐわぁッ眼ッ眼がッ!! 鼻がッ!! ぐぅッ・・・!!」
ハリサキの死に物狂いの断末魔の叫び声がオレの耳にも聴こえ、またその様子もオレは見て取った。
「これは―――?」
オレはその様子をよく観ようと、ふらふらとハリサキのもとへと脚を一歩踏み出し―――
「ダメ―――近づいたらダメだよ、アルス」
ナルは、ハリサキの様子を見に行こうとしたオレの前に立ちはだかったのだ。
「なぜだ?」
「はい、これ―――」
ナルは、オレに白い何かを衣嚢より取り出したのだ。その白いものというのは、薄い白い布か紙ような材質でできているようだ。真ん中に寄るようにふっくらと膨れ、その両端には繋がった紐が二本ついていた。
「これは―――・・・」
オレがその白いものをしげしげと見つめているとナルの声がかかる。
「これはマスクって言ってこう着けるものなの、アルス。着けるときは鼻まで覆ってね」
ナルはその白いものを自分の口に押し当てながら、その白い二本の繋がった紐をその耳にかけたのだ。そのおかげでナルの口元がまるで鳥の嘴―――というほどのものではないが、ふっくらとした白い布のようなもので覆われたのだ。
「こうか・・・?」
オレもそれを真似て自身の口と鼻を、白いもので覆う。
「うん、そう。このマスクっていうものを着けると、息苦しくなるけど我慢して」
「マスクとな」
確かに息がこもって息苦しくなる。
「ッつ」
そのとき、オレは眼に異変を感じ取ったのだ。どのような異変かと言えば、眼がヒリヒリして涙がじんわりと出てくるようなそのようなもの。埃が眼に入ってしまったようなゴロゴロとする痛みではなく、ヒリヒリするような痛みだ。
「くっこれは!? ナルよ、お主はどうだ?眼に異変はないか?」
「ごめんなさいアルス。針崎を撃った弾は香辛料なの」
「香辛料? あの肉などに添える薬味のことか?」
ナルも眼を赤くしながら、こくっと肯いた。
「うん。唐辛子のカプサイシン、山葵と辛子のイソチオシアン酸アリルとブチル、アリルイソチオシアネート、チャビシン、カレーのクルクミン、塩化ナトリウムを少々。それを液体のめちゃくちゃ辛い赤いソースで融かして、特殊弾丸に詰めたスパイスたっぷりの『香辛弾』でハリサキを蜂の巣にしたの」
「ふ、ふむ・・・?」
ナルの言った、その複雑なものの正体をオレは知らぬものの、適当にナルに相槌を打っておいた。だが、少なくともなぜ、ハリサキがこんなにも、まるで真夏の直射日光の下に晒された石の下に隠れ棲む隠棲虫のように、死に物狂いの形相でじたばた苦しみもがく、そのわけをオレは解したのだ。今の彼奴は香辛料漬けになっているのだな。ナルよ、おそろしい女子―――。
オレはナルに向けていた視線をカツトシに向けた。横のカツトシはごそごそと奇妙なものを被っていたからだ。
「して、そなたは頭からなにを被っているのだ?」
「アルスランくん、これはね防毒マスクだよ。有毒物質から僕の身体を護ってくれる。きみも装着するかい?」
カツトシはコハー、コハー、コハーっと息の音を立てながら吸って吐いての息をし、さらに籠ったようなくぐもり声、さらに目の部分だけが透明の白い被り物。息を吐くときだけに、目の透明な部分だけが、曇って晴れてを繰り返す。
そのカツトシにオレは、いいや大丈夫だ、とオレは頸を左右に振った。そうオレは、彼のその様子をこわいと思ってしまったのだ。なにがしかの怪人のように見えたからだ。
「本当にいいのかい? コハー、奈留が吐いた毒物だよ?、コハー」
「塚本。私が吐いた毒物ってさすがにそれは言い過ぎ。塚本のそのヤバい格好のほうがやり過ぎだと思うの。白い防毒マスクを頭からすっぽり被り、コハー、コハーって言いながら迫ってくるのは完全な変質者だよ?」
「うむ、オレもそう思うぞ?」
「コハー、二人ともそれは言わない、コハー、約束というやつだね。コハー、僕は奈留、コハー、君の言う、コハー、変態じゃないし、コハー、」
「―――」
「ふむ」
「・・・それと塚本。これは毒物じゃないくて、ただのちょっと辛めの香辛料なだけだから」
「コハー、そういうことに、コハー、しておこうか。コハー、―――ちなみに辛み成分の、コハー、カプサイシンは、コハー、劇物だから注意しよう、コハー、」
「・・・・・・」
「うぐっ―――・・・」
ハリサキはよろよろと満身創痍でふらふらと立ち上がったのだ。あの『香辛弾』をナルからありったけ貰ってまだ息があったようだ。




