第二話 終焉。そして幕開け
第二話
「・・・そのとおりだ。お前達ルメリア軍団により父であるトゥグリル・ハンを殺された」
「投降してくださいますな? そうすれば貴公の身の安全は保障しよう」
「―――そのような言葉は信用できないな。お前達は本当に多くの言葉を遣う。したり顔で綺麗事ばかりが口をつく。腹の中ではオレ達のような草原の民を蔑んでいることぐらい解っている」
オレは謁見の間にて、彼らが父に語っているのを確かに聞いた。お前達ルメリア帝国の使節団はルメリア皇帝の名でオレの国エヴル・ハン国と末長く同盟を続けると。
「だが、お前達は何をした?お前達はオレのエヴル・ハン国を焼き払った後、ルメリアの友であったはずのダニシュメン国をどうした? 言ってみるといい」
「ふむ・・・」
「言えないだろうな。ではオレが言ってやろう。まず初めに貴公達ルメリアは密かにダニシュメン人ともよしみを結び、我々エヴルの民の臣従国であったダニシュメン国を唆して我々エヴルを攻めさせたのだろう?」
「・・・・・・」
「だからそうなる前にソフィア=バシレウスとイェ―――・・・フローラ=バシレウスを本国に里帰りさせたのだろう? 臣従候の地位にあったダニシュメン人が我らエヴルのハン国に対して反乱を起こし、それからお前達ルメリア軍が攻めてきたときに得心がいったのだ」
「・・・貴公はそこまで、なんという賢明さか」
「ルメリアのことぐらい草原の民ならみな知っている。それを知っているのにオレの父はお前達を信じてよしみを結んだのだ。それなのにお前達はなにをした?」
自らをニコラウスと名乗った男は少し曇ったような表情になってその視線を落としたのだ。
「そうか・・・貴公は―――」
そこでニコラウスは言葉を切り、ふたたび眼光鋭くオレを見つめなおした。
「―――だが、私はルメリア皇帝アレクシウス陛下に仕える皇帝侍従長ニコラウス=フィロスである。皇帝陛下のお言葉が『私』である。その皇帝陛下がおっしゃったのだ、『貴公の身の安全は保障する』と」
「オレはエヴル・ハン国のオテュラン家のトゥグリル・ハンの子、アルスラン。オレはこの目で見てきた。だからオレはお前やその主ルメリア皇帝の虚言に耳を傾けるつもりはない」
手に持った刀を持ち直した。
「ニコラウスよ、ここで終わらせよう」
刀の柄を握ってニコラウスにその鋩を向けて構えた。奴の胴を生き別れにすべくその刀を、刀身の鋩を左斜め上にして、柄を自分の胸の高さぐらいの位置に持ってきて握りしめた。
「――――――」
「――――――」
対してニコラウスはまだ戦斧を構えることはせず、それはおろか戦斧の柄を持ったまま、だらんとその腕を下げたままだ。オレは血走っている眼をしていることだろう。それをニコラウスは眼光鋭く見返し、その膠着した体勢のまま、しばらくニコラウスと睨み合う。
「―――・・・」
この男、一筋縄でなんとかなる相手ではないはずだ。その証拠にこの気迫、ニコラウスの表情に表れている、自身の敵をいつでも『真っ二つにする』というその覚悟。ちらりとニコラウスが手に握っている戦斧に視線が及んだ。武骨な刃の部分と、繊細で煌びやかな装飾が成された持ち手の部分と柄の部分。両者の相反するものを取り入れ、調和された素晴らしい戦斧だ。そのような大きな戦斧を軽々と振り回すだけの力がニコラウスにはあるのだろう。ニコラウスの脚、胸から肩は筋骨隆々とし、腕などはまるで木の幹のような太さだ。そのような腕から繰り出される戦斧の一撃を喰らえば、普通の人間などひとたまりもないだろう、きっと。それはオレも例外ではないはずだ。
「「ッ!!」」
オレの刀とニコラウスの戦斧の刃が交わり、切り結んで横滑りした。真正面からこの膂力の戦斧を受ければ、きっとオレの刀がもたないだろう。屈んだ頭上をまるで暴風を伴ったような戦斧が駆け抜けていく。
「ヌンッ!!」
ニコラウスの重厚な声から始まった二撃目の戦斧の一撃を半減させるためにオレは後方へ跳びながら、その威力を減じさせてその戦斧を受け止め―――切れない。
「ッく・・・ぐぅ・・・!!」
勢いを殺しきれない―――!! そうか!!自分を駒の軸のようにして重い戦斧を回転させているのか―――!?
「ぐぅッ!!」
そうして圧倒的な膂力の前のオレの身体は空中へ浮き、そのままを宙に浮いたのだ―――。オレが吹き飛ばされていく方向は―――
「!!」
この勢いのままでは崖の下に・・・落ち・・・る。
「なッ!?」
オレはこのまま崖下の谷底に落ちると思った。でも、それは違っていて、オレの危機を察知した傷だらけの愛馬がよろよろとオレが吹き飛ばされる方向に歩いてきたのだ。
「ま、まさか―――・・・そんな」
愛馬はオレを庇ってくれて―――。そうして吹き飛ばされたオレの身体は愛馬の胴体に激突する。オレは愛馬に衝突して無傷だったのだ。しかし、その衝撃でよろめいたオレの愛馬は。オレの愛馬はふらふらと崖の下の谷底に吸い込まれるように―――そして最期の嘶きと共に遥か下の谷底に向かって落ちていった―――。
「・・・そんッ・・・な―――!!」
父や叔父、姉もそう―――オレを生かすために散っていったであろう四人の親衛隊の最期をオレはこの目で見ることは叶わなかった。みんながオレを生かそうと、常に逃がされ続けたオレはみんなの死を見ることは叶わなかったのだ。今回もそうだ、谷底へと散っていった愛馬をオレは看取ることは叶わなかった。
子供の頃から愛馬と過ごした掛け替えのない時間が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。仲のいいきょうだいのように長い刻を過ごしたオレと愛馬・・・。
「オレのせいだ・・・オレがもっとしっかりしていれば―――・・・」
もしオレが天神や天女神の声を聴くことができる選ばれた人間であったならば、それができずともよしんば自分がもっと強かったら・・・賢かったら、父も叔父も姉も、オレを逃がすためにたった四名で敵軍に立ち向かった親衛隊のイスィク、ヤルバル、バルチャ、ウズンの四人の従士・・・妻子を王都エヴルバリクに残してまでオレを付き従ってくれて・・・最期の刻までオレを逃がしてくれた、あの四名を助けることができた・・・のに。
「あぁ・・・―――」
彼らの顔が頭を過る。跪いて両手で身体を支えたひょうしに、ちゃりんと金と翡翠の頸飾りが視界に入った。
「・・・・・・・・・」
今生の別れ際に姉さんがくれた母の形見だ。・・・もし、オレがもっと強ければ、親父や姉さん、みんな・・・国を救えたかもしれないのに・・・オレは無力だ・・・。よろよろと立ち上がり、ニコラウスを視界に収めた。。
「貴公の勇ましさ、強さを見込んで言おう。アルスラン王子よ、今からでも遅くはない我らルメリア帝国に降るのだ。私から皇帝陛下に貴公のとりなしを行おう。そうして皇帝陛下の臣下となれば、エヴルの王国もきっと滅ぶことはない。だが、貴公が死ねばエヴルの王国も終焉を迎え、民は死ぬ」
「―――・・・」
ああ、母さん・・・オレが幼いときに逝っちまった本当の母よ。それと、ごめんな姉さん、姉さんを護れなくて金の首飾りありがとうな。それと親父、次期ハン位の約束を守れそうにない。義妹イェルハも・・・ごめんよ、もう一度、会いたかったのにそれももう叶いそうにないな・・・。
「・・・・・・」
多くの戦いの剣戟で刃毀れをした刀を両手で握って正眼に構える。
「そうか、それがアルスラン王子の答えか・・・」
「ああ、オレは最期まで勇ましくお前と戦おう・・・!!」
「・・・武器を持つ者は皆滅びるというぞ」
ゆらぁっとニコラウスがその戦斧を起こして担ぐように構えた。
「それをそっくりお前に返す・・・ッ」
「「ッ!!」」
オレの刀が真正面からニコラウスの戦斧と斬り結んだのだ。戦斧をいなしつつ、直撃を避けながら相対しつつ、勝機を見つけなければならなかったのに―――
「・・・くそ―――」
オレの刀とニコラウスの戦斧、その刃同士がぶつかって鈍い金属音がしたときに全てを悟った。・・・オレの刀のほうが敗けて折れたのだろう、と・・・。
「―――」
最期の賭けだ、ニコラウスの戦斧の直撃に備えて両脚に力を込めて後方へと跳ぶ。その戦斧に斬り裂かれ、身体を両断されて息絶えてしまうという、そんな致命傷だけは避けなければならない。
「―――」
ゆっくりとゆっくりと周りの動きがとても緩慢に見えたのだ。上から下へと円弧を描いて迫りくるニコラウスの戦斧の刃―――それがオレの鎧と鎖帷子を切り裂いて―――さらにこの身に冷たい刃の調べ―――斬られたと悟った。
「あ・・・あぁ・・・」
ピっと縦に飛び散る紅―――自分自身の血はとても綺麗な紅だったのだ。
「アルスラン王子よ、貴公の敗北だ」
ニコラウスの戦斧が斬り裂いていった胸から腹にかけての鎧と鎖帷子が見事に両断されていてとめどなくオレの紅い血が流れていく・・・。その流れた血はオレの上半身を紅に染め、さらに袴へと徐々に拡がっていく。
「貴公の怪我の手当をしよう。投降なされよ」
ニコラウスは戦斧を下段に落とし、表情も変えずにそのようなことをいう。
「―――・・・」
今、ルメリア兵に捕まって、見世物にされたあと奴隷にされるぐらいなら、オレはなんとしてでも生き延びて・・・可能性に・・・賭けてやる―――。ここで生き延び、戦い続けてやると―――オレは。
血を流しすぎて頭がくらくら、まるで酩酊状態で、はっきりと歩くことは叶わず、よろよろと脚を後退させ、オレは宙を踏んだのだ―――。下が川だから落ちても大丈夫かもしれない、などと思ってしまう。
―――ANOTHER VIEW―――
「落ちたか・・・どのみちあの高さでは助かるまい・・・」
彼は崖の上からアルスランが落ちた場所を、目を眇めてしばし眺めた。
「ふむ、アレクシウス陛下は敵将トゥグリル・ハン、その息子アルスランともども生け捕りと申されていたが・・・死なれてしまっては仕方ない。・・・納得されるであろう。―――?む、なんだ、あの白い靄は? 霧か?」
ニコラウスはアルスランが落ちていった方向に発生した白い靄を認めて、しばしほんの数刻思案したのち、頭を切り替えて後方のルメリア兵達に振り返った。
「皆の者、遠征ごくろう。霧に包まれる前に負傷者を連れて凱旋だ」
その声を聞いて慌ただしく用意を始めるルメリア軍の兵士達。それを横目で見ながら彼は呟いた。
「エヴルの王国のアルスラン・・・あの者、死ぬには惜しいほどの男だったな」
ANOTHER VIEW―――END.
―――Arslan VIEW―――
あぁ―――下から上へと移ろう景色が速い・・・。断崖絶壁の上から故意に足を踏み外して―――オレは地に向かって落ちていく。
「―――?」
ふと気づけば、オレの周りは白い靄のような光る霧に包まれていたのだ。その中をオレは落ちていく。
「――――――」
その白い靄の中を下に向かって落ちていく―――。オレはこのような道半ばで死ぬのか―――・・・? いやだ、まだ死にたくはない。今生の別れ際に父と姉の前で誓った誓いはまだ果たされてはいないし、成すべきことをまだ何一つ成してはいない。オレは国も父も姉も従兄弟も部下達も護ることができなかった。だが、まだ姉と義妹は生きているかもしれない。ルメリアの手に囚われているかもしれない。だからオレが助けないと―――
薄れゆく意識の中、オレは天神と天女神に懇願する。
「―――・・・」
あぁ、聖なる天神、聖なる天女神よ。願わくば―――私をまだあの世に連れていかないでください―――。
『―――・・・―――・・・』
それは周りが真っ白の中をどこまでもどこまでも落ちていくそのときに起きたのだ―――
『―――アル・・・スラン・・・』
「―――?」
聴こえる。悲しそうな、そしてどこか諦めに似たものをその声色にはらむ若い女の声が聴こえたのだ。オレはその『彼女』の声をもっとよく聞きたくなって目を瞑ったまま耳をそばだてた。
『―――、アルスラン』
今度ははっきりと聴こえた。オレを喚ぶ声―――
『私は・・・ここです、アルスラン―――・・・。私の声は貴方に届いていますか?』
あぁ、聴こえている。聴こえているからもう悲しそうな声を出さずともよい。
『・・・ありがとう、私の声に応えてくれて。貴方は優しいひとですね』
そんなことはないさ。
『ううん、貴方は優しい人、私にはそれがわかります。そして私は貴方達のような人をずっとずっと捜しています』
どういうことだ?それは
『私の声が聴こえて応えてくれる人―――』
ふむ・・・。それで、なぜオレみたいな貴女と話せる人間を捜しているのだ?
『「皆」で力を合わせて私の『子ども達』を助けてほしいのです、アルスラン』
どういうことだ―――、それは?
『私の喚びかけに応えてくれた方々と力を合わせて―――私と、そして私と共に生きる「正しい子達」を「悪い子達」の手から助けてください、アルスラン』
助けてやりたいのやまやまなのだが、オレは今まさに死にゆく無力な男だ。オレはだれもなにも助けてやることができなかった。そんな男が誰か助けることができるなど―――思えぬよ。
『ううん、そんなことはありません・・・!!』
いや、ほんとにオレは。オレには力がなかったのだ。力がないせいで父や姉、叔父達も見殺しにしてしまった。そして最期までオレに付き従ってくれた臣下達すらも護れなかった無力な男だ。そんなやつなのだ、オレは。オレにもっと力があれば、あればみんなを護れたのに―――。
『では「力」があればみんなや私を護ってくれますか・・・?』
そうだな・・・力があれば護ってあげてもよいかな。ふふっ―――でもさ、その前にオレが力尽きそうなのだがな。
『―――ううん、貴方は死なない』
なぜ、それが断言できるのだ?
『オテュラン家のアルスランは私が死なせません。私がそのための「力」を与えましょう』
まぁ期待しておくよ、とオレは半信半疑で、ははっと軽い笑み。そうしてオレはおずおずと自分に伸ばされてきた女の人の白い手を、自分も同じ右手で握ったのだ―――
『ありがとう、アルスラン』
うむ、気にするな。それよりすまない、なぜかとても眠いのだ。安堵の中、急速に眠気がこみ上げてくるのだ。
「―――」
そうしてオレは、まるで大いなる母に抱かれているような安心感を覚え―――意識はすぅっと光の中に落ちていった―――。
『おやすみなさい、アルスラン。貴方が真に目覚めたとき―――貴方は私のことを覚えているでしょうか・・・―――』
Arslan VIEW―――END.