勇者、現る
過去回想③
「く……」
腕からの出血が酷い。傷を負ったあたしは明らかに運動量が減少する。
するとそんなあたしを見て、アスカは勝ち誇ったような顔をこちらに向けた。
「シーラ、何度でも言うわ。あなたはもう終わった人間よ。これ以上面倒を起こさないよう、あなたたちを逮捕するわ」
アスカが他の皆に指示を出す。もしこのまま捕まったら、あたしも王様たちと同じように命を奪われるかもしれない。いや、恐らくかなり高い確率でそうなると思う。しかもよりにもよって、今ここにいるのはあのアスカだ。あたしを嫌う彼女なら、適当な口実をつけてあたしが死を迎えるように誘導することも考えられる。
「あなた、あたしたちをどうするつもり……?」
「さあ、分からないわ。あたしは負け犬には興味がないから、あとの判断はユーリに任せるわ」
アスカはニヤリと笑う。
もしここで捕まれば、この女に負けたまま人生の幕を閉じる羽目になるかもしれない。そんなこと、とてもじゃないが受け入れることなんてできない。
それにもしこのままあたしが死んだら、奥様たちを救うすべはなくなってしまう。諸悪の根源である勇者ユーリの顔面に一発お見舞いして、粛清をやめさせる為にも、今ここであたしたちが捕まる訳にはいかないんだ……。
かつて最強と呼ばれたあたしにとって、敵前逃亡ほど屈辱的なことはない。しかし、目的を達成するまであたしは死ねない。そして、あたしに付き従ってくれたステラにもこれ以上苦労を背負わせることはできない。それならば、あたしがやるべきことは、ここから一度離脱し態勢を立て直すこと、そしてステラを本当の意味で自由にすることだ。あたしはようやくその覚悟を決めた。しかし、それはまさにその時だった。
「まさか……」
あたしは眼前の光景に思わず息を飲んだ。なんと、あたしの視線の先にはあの男がいたんだ。
「ユーリ……」
それはかつてのあたしの婚約者であり、あたしを勇者パーティから追い出した張本人、ユーリ・ランチェスターその人であった。
「シーラ」
ユーリはいつも通り黒を基調とした衣服を身にまとい、その他には勇者のみが使うことを許される聖剣が握られている。彼は相変わらず無表情のままあたしの名前を呼んでいた。
「ユーリ、どうして……?」
アスカも彼が出てくるのは予想外だったのか、驚きの表情を浮かべている。
一度は退散を考えたわけだけど、目的の人物がわざわざ出てきてくれたのなら退くわけにはいかない。あたしは感情の読めない表情のままの彼に向かってこう問いかけた。
「勇者! 国を守るべき人間が、なぜクーデタなんて真似をするの!?」
「……世の中には、知らなくてもいいこともある」
静かだが、はっきりとあたしの耳に彼の言葉は届く。その一つ一つが波のようにあたしに押し寄せ、あたしを飲み込もうとする。
気圧されるわけにはいかない。あたしはなんとしてでもユーリを止めるつもりだった。しかし、尚も戦う姿勢を見せるあたしに対し、彼は今度は脅すような口調でこう言った。
「シーラ、今すぐ剣を収めて投降しろ。投降すれば、命までは取らない。しかしまだ抵抗するなら、俺はお前の息の根を止めなければならなくなる」
「ぐっ……」
相変わらず、一言一言がなんて重いやつだ。以前なら実力的には僅かに彼を上回っていたものの、今のこの状況では完全に防戦一方だ。これ以上あいつのペースに乗せられたらダメだ。あたしは身体の震えを吹き飛ばすようにこう叫んだ。
「やれるものならやってみなさい! こっちは一度あんたに殺されたのも同然なのよ! 一回死んだら、何回死んだって同じだわ!」
あたしはその場から駆け出す。するとその瞬間、彼はあたしにギリギリ聞こえるくらいの声でこう呟いた。
「そうか。できることなら、お前を二度も殺したくはなかったが、抵抗するなら仕方がない……」
その瞬間、あたしに猛烈な悪寒が走った。あたしはとっさにその場からバックステップし、後方へと退く。すると、あたしが元いたところはにはなんと、ユーリの剣が突き刺さっていたんだ!
「なっ……!?」
「ほう、これを避けるか。まだ勘は鈍ってないようだな、シーラ」
あたしの毛穴という毛穴から汗が噴き出す。今瞬間的に避けなければ完全にやられていた。
今のは彼の得意とする技で、瞬間移動のようなスピードで敵との距離を詰めるものだ。彼はこの技を味方には決して使わない。だからあたしもこれまで一度も受けたことはなかった。当時のあたしなら避けなくても受けることができたかもしれないけど、この怪我ではそう簡単にはいかない。しかも、ユーリとタイマンならまだしも、ここにはアスカもいる。アスカたちを相手にしながら、彼のあの技に対抗するのは至難の技だ。場合によっては、あたしたちは二人とも彼のあの技に切り刻まれかねない……。
そこからのあたしの判断は早かった。さっき決めた撤退という方針を今度こそ実行するべく、あたしは瞬時に念話でステラにこう告げた。
『ステラ! 逃げるわよ!』
『え? は、はい!』
指示を出すと同時に、あたしはその場から駆け出す。ステラも実に反応良く、あたしにほとんど遅れることなくあたしの後をついてきた。
「逃がしてはダメよ! 絶対に捕らえなさい!」
アスカの怒声と共に、勇者パーティ以外にもそこら中にいた衛兵がこちらに向かってくる。しかし、手負いの状態でもあたしは衛兵なんぞに遅れをとることはない。
走りながら、あたしは残っていた魔力石を砕き、すぐさま魔力を体内に取り入れる。そして僅かに残った握力でロッドを握り、それを天に掲げながらこう叫んだ。
「聖なる剣よ、我に仇なすものを断罪せよ!」
あたしの声に呼応するように、空には大量の光の剣が現れる。
驚愕する衛兵たち。剣の威力を悟ってか、その多くがあたしに背を向けて走り出そうとする。だが逃げる暇など与えるつもりはない。殺すつもりはないけど、当面はあたしを追ってこられない程度にはダメージを食らわせてやる。あたしは容赦なく、地面を逃げ惑う衛兵たちに向かって剣の雨を降らせた。
「うぎゃああ!?」
「助けてくれ!!」
彼らの悲鳴を背に、あたしたちは再び走り出す。そしてその瞬間、あたしの背後でこんな声が聞こえた。
「逃げ切れるなら逃げ切ればいい。だがもし逃げ切ったのなら、もう俺の前には決して現れるな……」
ハッとして振り返る。しかし、声の主であるユーリは既にアトレア城に戻ってしまったらしく、あたしはもうその姿を見つけることはできなかった。
「この糞アマ! 待ちやがれ!」
すると、そんなあたしの隙を狙い、アレフが再度襲いくる。だが彼がいくら口汚くそんなことを言っても、あたしは止まる気など毛頭なかった。入隊一年程度の彼とあたしとでは戦いの年季が違う。近接戦闘ができなくても、あたしは彼に負けるとは思わなかった。
しかし、残念ながら実際は彼だけでなく、二十人もいる勇者パーティ並びにその他彼らに付き従う魔術師たちも相手にしないといけないわけだから、簡単にいくわけがないのだけど……。
とは言え、一時的にではあるがなんとか彼らとの距離を得た以上、まずは敵の総本山と化してしまった王都を脱出する必要があるだろう。このままここにいては、狭い路地などを通る際に敵に挟み撃ちにされる可能性が高い。故にあたしたちは、急ぎ王都から脱出を図った。
後ろを振り返らず、ただがむしゃらに走る。気付けば、あたしたちは街の外までもうすぐのところまで来ていた。しかし……
「待ちやがれ! シーラああああ!」
それほど遠くない距離に、いつしか追手は迫ってきていた。
実はあたしは魔術を駆使し、無理やり義足である左足を前に進めている。だが、それにも限度がある。魔術の連続使用は着実にあたしの体力を蝕んでいた。それに加え、先ほどの大魔術の使用が身体に影響しないわけがなかった。
体力が明らかに落ちているこの状況ではいずれ彼らに追い付かれるということを、あたしは認めなければならないだろう。
あたしはふと隣を走るステラを見やる。彼女はあたしのスピードに合わせているだけだ。実際の彼女は、体力も無尽蔵だし、スピードだってもっと速い。息もそこまで切れていないところを見るに、彼女はまだまだ走れることは容易に推察できる。
それならば、あたしに今できることは一つしかない。あたしはそれを実践すべく、彼女に対し再び念話で話しかけた。
『ステラ!』
『なんですか?』
『ここから先は二手に分かれるわ。あなたは街を出たら左手に向かって走りなさい。あたしは右を行く。もし逃げ切ることができたら、オクスフォの街の近くにある岩場に来て。そこで落ち合いましょう』
あの岩場なら隠れる場所もあるだろうし、落ち合う場所としては最適だろう。だが、あたしの言葉に対しステラはこう返した。
『駄目です! シーラさんを一人にはできません!』
『ステラ!?』
『嫌です! 二人で逃げましょう! 二人でいれば、勝機は訪れるかもしれません! だから、分かれるなどと言わずに、このまま二人で……』
「鬼ごっこも終いにしやがれよなあ!」
ステラの言葉を遮り、あたしたちの間にアレフが猛スピードで突っ込んでくる。これこそが彼の魔術の真骨頂だ。あんな攻撃をまともに食らったら、今度こそ腕を引きちぎられかねない。
あたしたちはなんとか彼の攻撃を避ける。すると、図らずともあたしたちは左右に分かれる格好となった。あたしはその瞬間ステラに向かって叫んだ。
「ステラ! 行きなさい!!」
あたしは右方向へと走り出す。アレフは槍が地面に突き刺さって、まだあたしたちを攻撃できないでいる。逃げるなら今しかない。そしてそれは、ステラもしっかり理解しているようだった。
「ご、ごめんなさい!」
涙声でステラはそう叫ぶと、あたしとは反対方向へと走り出す。
「あっちのガキはいい! 俺たちはシーラを追うぞ!」
あたしの狙い通り、勇者パーティはあたしを狙いにくる。多分、後続の部隊はステラを追うんだろうけど、彼女のスピードをもってすれば彼らをまくことは十分可能だ。故に、この作戦は成功したと言っても過言ではないと、あたしは言い切ることができたのであった。
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回想はここまでです。