騎士の誕生
「なんだてめえ! ぶっ飛ばされたくなかったらすっこんでろ!」
アレフは今度はあおいを恫喝する。だが、当のあおいは全くひるむ様子はない。あおいは彼を睨みつけたまま、吐き捨てるようにこう言った。
「黙れ。彼女は人を裏切るようなことは決してしない。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「なんだと!? てめぇ、俺を誰だと思っていやがる!?」
「知らないし知りたくもないし興味もない」
「な!? てめえ、舐めた真似を!?」
軽くいなしてくるあおいに怒りの収まらないアレフ。でも彼の恫喝があおいに効いている様子はない。彼女は怒りの表情のままアレフに近付く。
アレフは単純な恫喝ではあおいに通じないことが分かったのか、今度は手をかえてこんなことを言った。
「まあいい。誰だか知らんが、あまり勇者パーティの次期エースである、このアレフ・スターンには逆らわない方がいい。悪い事は言わない、そんなやつのことなんて見捨てて、今すぐに謝るならまだ許してやらんことも……」
「聞こえなかったのか? 私は黙れと、言っている!」
「え?」
気付くと、あおいの右ストレートがアレフの顔面をとらえていた。
「ぶふぇ!?」
アレフは色々な部位から血を噴き出し、吹き飛んでいく。あの男を殴り飛ばした今のあおいの動きは明らかに通常の人間の動きを凌駕していた。その直前、彼女が手に魔力石を持っていたことを考えると、どうやら彼女が筋力や敏捷性を強化させる魔術を使用したことは間違いないようだった。
「勇者パーティというものがどんなものかは知らないが、この国にとっては大事な組織のはずだ。なのにこんな性悪がそんな組織に所属しているなんて、この国も大概趣味が悪い。お前のように勘違いしている雑魚には反吐が出る」
あおいはそう吐き捨てる。更にあおいは周りの二人も睨み付けこう言った。
「こんなやつらと一緒にいるお前たちも同類だ」
あおいの剣幕に彼女たちは震え上がってしまう。正直、あたしも彼女の圧倒的な雰囲気に飲まれそうになっていた。これまで沢山の死線を超え、数えきれないほどの敵と戦ってきたっていうのに、あたしは目の前の小柄な少女に恐れをなしていた。それ程までに、彼女の威圧感は段違いだということだ。
するとあおいは、今度はあたしの方に振り返った。あたしは思わず僅かに身構えてしまいそうになる。でも、あたしの方に向いたあおいの表情は、アレフたちに向けたものとは全く異なるものだったんだ。
「シーラ」
あおいは表情を崩し、あたしに対して笑いかける。
勇ましさの中に可愛らしさを含んだその笑顔は、あたしにとってあまりにも眩しくて、あたしは思わず、呆然とその表情を見つめてしまう。
「私はあなたと出会わなかったら、絶望的なあの記憶に蝕まれ、混乱の中自ら命を絶ってしまっていたかもしれません……。ですが、あなたが抱きしめてくれたお陰で、私は正気を取り戻し、こうして生き永らえることができました」
「そんな、あたしは別に大したことは……」
「いいえ。全てはあなたのお陰なのです。……シーラが、あの男たちと何があったかは存じません。ですが、あなたが悪い人間であるなど、絶対に間違っていると私は断言できます。あなたに救われたこの命で、必ずやあなたを守ってみせます」
そう言って、あおいはなんと膝をついてあたしの手を取った。
「ちょ、ちょっとあおい!? そ、そんな大袈裟な……」
「いいえ、大袈裟ではありません。これより、私はあなたの騎士です。あなたを泣かせる者は私が何人たりとも許しません」
「あ、あたしなんかの、騎士だなんて……」
正直言って、あたしはもう泣きそうだった。すべてを失い、命すらも諦めかけた人間にこんな言葉をかけてくれる人がいるなんて、一体誰が想像するだろうか。
「そのようにご自分を卑下されるのはおやめください。あなたはご自分が思われているよりもずっと魅力的な方です。どうか、ご自分をもっと愛してあげてください」
「あおい……」
そう宣言したあおいの優しい表情は、あたしを包み込んでくれるような温かさに溢れていた。あたしはもうそれ以上言葉を紡ぐことはできなかったんだ。
と、そうしているうちに、あおいに殴り飛ばされ地面に突っ伏していたアレフが、口や鼻からダラダラと血を流しながら立ち上がった。そしてフラフラの状態ながら、あたしたちに向かってこう叫んだ。
「てめえなにしやがる!? 舐めてるとただじゃおかねえぞ!」
アレフは槍を取り出す。だがそれと同時に、今度はあおいが何かを振るった。その瞬間、彼の槍の先端はどこかに飛んでいってしまった。
「なにいい!?」
「遅い! その程度で私とやりあえると思うな!」
驚愕するアレフを叱りつけるあおい。それはもはや、敵同士というより、師と弟子の間柄であるかのような圧倒的な差があった。
見ると、あおいの手にはある得物が握られていた。幅があって真っ直ぐな我々の剣とは違い、あおいの武器の刃は細身であり、両刃ではなく片刃の形状をしていた。だがそれをあたしは初めて見たわけではなかった。そう、あれを初めて見たのは……
「あの夢で、あの人が持っていた武器だ……」
あたしはボソッとそう呟く。あの夢の人物はやはりあおいであったことを、あたしはその時察したのだった。
「この糞アマがあああ!」
そんなあたしの思考を余所に、キレるアレフはもう一本槍を出しまたしてもあおいに襲いかかる。その動きは怪我を負っている割には確かに速かった。でもそれでも、さっきのあおいの動きでもわかる通り、その程度では彼女を捉えることは到底叶わない。
そして案の定、アレフの攻撃をあおいは悉く防いでしまった。
「なぜだ!? なぜ俺の攻撃が通らない!?」
喚くアレフ。するとあれだけ激しい動きをしておきながら、あおいは実に涼しい顔でこう言った。
「ふん、その程度ではお前にロクな役割が与えられなかったのも頷ける。それをシーラのせいにするなど、傲慢にも程がある。人間の本性はどんなに隠そうとしても滲み出てきてしまうものだし、勇者とやらがお前を重用しなかった理由もよく分かる」
「ふ、ふざけんな! 俺のことは、勇者様だって信頼してくださっている!」
「そう思ってるのはお前だけだ。横の二人を見るがいい。お前の言動に呆れ、お前を助けに来ようともしていないじゃないか?」
見ると、確かに二人は明らかに引いており、積極的に攻撃を仕掛けてくる様子は微塵も感じられない。「信頼」などという言葉は、この男に最も似つかわしくないと思えた。
「貴様らあ!? 裏切るのか!?」
「そういうことじゃないけど……」
「そういうことじゃないならどういうことだってんだ!?」
喚くアレフ。それに対し、心底あきれた様子であおいが言う。
「黙れ。お前は他人を恫喝することしかできないのか? お前の言動はもはや不愉快なだけだ。もうこれ以上喋れないようにしてやる」
そう言ってあおいは再び魔力石の生成を行おうとする。だがその途端、魔力生成時に発生する青い光が、突如として彼女の身体から消え失せてしまったんだ。
「な、なんだ……?」
焦るあおい。一方、その様子を見てアレフはニヤリと笑みを浮かべた。
「なんだなんだ、さんざん威勢のいいことぬかしやがったくせにとんだ拍子抜けだな! てめえは絶対にぶちのめしてやらないと気が済まねえ!」
アレフはチャンスとばかりにあおいに飛び掛かる。
「くっ!?」
槍のラッシュに対し魔術なしであおいはなんとか応戦するものの、どうやら彼女が魔力切れを起こしているのは間違いないようだった。あたしは居ても立っても居られず、あおいに向かってこう叫んだ。
「あおい待ってて! 今すぐ魔力石を作るから!」
あおいはあたしの為にアレフに戦いを挑んでくれた。そんな彼女のピンチをあたしが助けないわけにはいかない! あたしは急ぎ魔力生成を始めた。しかし、突然のピンチにあたしは明らかに動揺してしまって、情けないことに手元がおぼつかなくなってしまう。
「は、早く! 早くしないとあおいがやられちゃう! あたしの為に頑張ってくれているあおいを、絶対に助けないといけないんだ!」
あたしはなんとか自身を奮い立たせようとする。すると、あおいはそんなあたしの様子に気が付いたようだった。そして彼女は一瞬の隙をつき、アレフを蹴り飛ばして、あたしの方に向かって駆け出した。
「シーラ!」
「あおい!」
あおいが駆け、そのまままっすぐあたしの元へと向かってくる。あたしは一つでも魔力石を作ろうと全力で力を込める。
「もう少しだから! もう少しで魔力石が……」
するとあおいが何かを決意したような表情でこんなことを言ったんだ。
「シーラ、あなたの騎士としてあるまじきことをこれからあなたにします。私の無礼を、どうかお許しください……」
「え、いったい何を……?」
あたしが言い終わらないうちに、あおいはあたしが予想だにしていなかった行動に出ていた。
「ん?」
何が起こったかなどわかりようもない。少なくとも、あおいはあたしの右手をがっちりと掴み、左手であたしの腰のほうに手を回していたことだけはすぐに理解できた。そして少し時間が経つにつれて、あたしは今の自分が置かれている状況がつかめる様になってきた。
「…………んんん!?」
そしてついに完全に状況を把握した瞬間、あたしは思わず悲鳴にも似た叫び声をあげていた。なんとあおいは、あたしの唇に自らの唇を重ねていたんだ!