決意の二人
「それでは、私の身体に今残っている魔力を魔力石にしてシーラに渡せばよろしいですか?」
「うーん、でもその方法だと、あおいの体内に残っている魔力を全部私に移そうとしたらかなりの量の魔力石が必要になるわ。魔力石を作る時には必ずロスが出るし、あんまり効率が良いとは言えないのよね……」
例えば、体内にある百の魔力を魔力石に変換する場合、魔力を石に固めるのに通常十近くの魔力を消費してしまう。つまり、百の魔力からは九十の魔力石しか作り出すことはできないということだ。直接魔力を移転させるのと比べると、やっぱりこれは効率が悪いと言わざるを得ない。今は少しの魔力だって惜しいんだ。なるべくなら、ロスは発生させたくない。
「あたしたちが完全に同期できてさえすれば、一瞬で魔力を移せるのに……」
あたしは思わずそう愚痴る。するとそんなあたしにあおいはこう言った。
「お気持ちは分かりますが、やはり、アリスが言うように、は、裸で抱き合うというのは、あ、あまりにもハードルが高くて、私には、とてもではないですが、できるとは思えませんでしたし……」
そう言うあおいの顔は手を繋いでいた時と同じように真っ赤だった。確かに、裸でハグに関しては今のあたしたちには到底無理であったことは間違いない。ずっと手を繋いでいるだけだってあたしたちにとっては十分大変だったんだ。それになんだかんだ言いつつも、僅かでもあたしとあおいが同期できただけでも十分役に立っているわけなので、今はこの結果を甘んじて受け入れるより他に方法はないのかもしれない。
「確かにその通りね……ってことは、ここはやっぱりセオリー通り魔力石を生成し、あたしに受け渡してもらう方法をとるしかないかしらね……」
しかしその時だった。あたしがそう呟いた時、あたしの脳裏には、唐突に昨日のアリスの言葉が想起されていた。より強く同期するための方法について、アリスはこう言っていた。
――同期には肉体的な接触が必須。それもなるべく核があると言われている頭に近い方がいい。
「肉体的接触……しかもなるべく頭に近い方がいいって、それって、つまり……」
あたしはハッとする。それと同時に、あたしの中で初めてあおいと出会った日の出来事が思い出される。あの日あたしは、出会ったばかりのあおいにファーストキスを奪われた。同性はもちろんのこと、とにかく恋愛に疎かったあたしは他人と「接吻」をしたことなんてただの一度だってなかった。それを、あの騎士はかくもあっさりやってのけた。
あの時のあおいの唇の感触はとても柔らかくて、絡んだ舌同士が立てる粘着性の音は今でも鮮明にあたしの鼓膜にこびりついていて、あの時のことを思い出すと、あたしはとても冷静ではいられなくなってしまう。それほどまでに、あの時の「接吻」はあたしの人生史上でも相当インパクトの強い出来事であったということだ。
「あのシーラ、どうしたのですか?」
「……え?」
「ぼっとされているようですが大丈夫ですか? そろそろダレルも活動を再開してしまいます。早く次の行動を決めないと……」
「ご、ごめんごめん! そうね、早く、決めないとね……」
そう言いつつも、「接吻」のことが頭から離れなくて、どうしてもあたしの視線は自然とあおいの唇へと向いてしまう。いや、決して下心があるとか、もう一回あれを体感したいとか考えていたわけじゃなくて、アレがこの状況を打破できる有用な方法であるかもしれないというだけのことであって……って、だからモジモジしている場合じゃないんだって! 実際、あの時のあおいには「接吻」をすることに、魔力を吸収する以外に意味なんてなかっただろうし、今それをやったって同じだ。こうして、ようやくあたしは決心がついた。
「あ、あおい」
明らかに声が上ずっているが、もはやそんなことは気にしていられない。
「ど、どうしましたか? 何か良い方策でも?」
あおいは目を丸くしてあたしを見つめている。そんな風に綺麗な琥珀色の瞳に見つめられると、なんだか途端に照れくさくなって、喉まで出かかっていた言葉が出てこなくなってしまいそうになる。それでも、あたしは言わなければならない。どんなに抵抗感があろうとも、ここを乗り切る為にはこれしきのこと耐えてみせる。あたしは改めてそう決意し、ついに口を開いた。
「あおい、二人の魔術核を同期させる為に、接吻するっていうのは、ど、どうかな……?」
あたしはそう言いながらもあおいのことは直視できなかった。我ながら今の言葉はど直球過ぎたかとも思ったけど、遠回しに言ったところで時間の無駄だし、多分この鈍感騎士には伝わらないだろう。
「……………………今、なんと?」
かなりの間の後、案の定あおいが疑問を示す。こんな恥ずかしいことを二度も言わせるなんて鬼かしらとは思いつつも、彼女の要望通りあたしはもう一度口を開いた。
「だ、だから、接吻するのはどうかって聞いてるの!」
「ど、どうしてそういう選択肢になるのですか!?」
あたしの発言に対し、あおいはこれまで見たこともないくらいの動揺を見せる。あたしはそんな彼女に対してボソッと呟く。
「だ、だって前にあおいだってあたしの唇無理やり奪ったし……」
「ひ、人聞きの悪いことを……ま、まあ事実ではありますが……。で、ですが、あれはまだ、心の準備が……」
「な、なによ! あの時あおいは簡単にやったじゃない!」
「あの時は緊急時でしたし、無我夢中だったのです!」
「今だって緊急時でしょ!?」
完全に押し問答になるあたしたち。あおいの表情の乱れ方は、似顔絵に残しておきたいほど面白いものになっていたけど、多分それはあたしに関しても同じなんだろう。
と、時間がないにも関わらずそんなやり取りをしているあたしたちにしびれを切らしたのか、ステラはダレルの様子を見つめながらこう叫んだ。
「お二人とも! 何をお考えかは分かりませんが、遊んでいる暇はありませんよ!」
「うぐっ……」
ステラの喝を受け、あたしたちはようやく相対する。向かい合っているあおいは既に覚悟を決めたのか、顔は赤いままではあったけど、まっすぐあたしのことを見つめている。それを見て、あたしもやっと迷いが消えた。
『ステラ』
『はい』
あたしは、ダレルを監視しているステラに作戦の概要を伝えた。そして、その間彼女にダレルを引きつけるよう頼んだ。しかし、どうやってあおいからあたしに魔力を移すかについては明言を避け、更にあたしは最後にこう付け加えた。
「これから起こることを、決して見てはダメよ……」
あたしたちがやろうとしていることは、子供であるステラには刺激が強い……まあ、あたしも情緒に関しては彼女と大差ないけど、それでも教育上良くないことは見せるべきじゃないだろうし、何より単純に恥ずかしいから彼女には見られたくなかった……。
「…………分かりました」
やや間があった後、彼女はそう返答した。この間が何を意味するかは今は考えないことにしよう。ここから生きて帰ることができたら、その時ゆっくり考えればいいんだから。
そしてついに、その時は訪れた。躊躇いを捨てたあたしたちは至近距離で向かい合う。息が届くほどの距離にお互いの顔がある。あたしの方が背が高いので、あたしが少しかがみ、あおいは若干爪先立ちであたしとの高さを合わせる。
お互い、熱でもあるんじゃないかと思えるほど顔が赤い。あたしは今にも倒れるんじゃないかと思えるくらい頬が熱かったが、それはもう言い訳にはならない。
「あおい、行くよ……」
「は、はい……」
あおいが目を瞑ってあたしを待っている。あたしはそんな乙女の唇に自らの唇を重ねた。
あおいの唇は、あたしたちが初めて出会った時と同じように、とても柔らかかった。あの時あたしはただだだ慌てることしかできなかったけど、今回はそうじゃない。
あおいの身体が震えている。彼女が緊張している分、逆にあたしは冷静になっていた。
「ん……」
息が続かないのか、彼女は息継ぎを求める。あたしは一瞬彼女の唇から離れる。しかしすぐにさっきよりも強く唇を押し当てる。そしてあたしは今度は彼女の舌に自らの舌を這わせた。
「んん……」
あおいが短く声を漏らす。あたしは離れそうになる彼女の腰に手を回す。離れるつもりなんてなかった。お互いの魔術核を同期させる為だけのはずなのに、あたしはいつしかより強く彼女のことを求めていた。そしてあおいも、あたしの求めに応じるようにあたしにすがりついてくる。
以前よりも確実に深く、あたしたちは唇を重ねあう。そして本来の目的を忘れてしまうほど激しく互いの唾液を交換し合う。
「ん……」
ふとあおいと目が合う。彼女の目の縁にはうっすら涙が浮かんでいる。苦しいのかとあたしは一瞬不安になる。しかしすぐに、彼女はあたしを見つめたまま目尻を下げてくれた。そして今度はあたしを優しく抱きしめてくれたんだ。
暫くしてようやくあたしたちの口づけが終わる。互いの舌の間を唾液が糸を引く。
息が荒い。初めて湧き上がる感情に心の整理が追いつかない。互いに頬を火照らせ見つめ合う。このまま見つめあっていたら、更なる深みに落ちていきそうな、そんな気さえする。あたしは、もうこれ以上は流石にまずいと思った。だからあたしは無理やりにでもあおいから視線を逸らそうとした。
「あ……」
その瞬間、あおいがよろける。あたしはそんな彼女をなんとか抱きとめことなきを得た。
「あおい、大丈夫?」
「す、すみません……わ、私は、大丈夫です。それよりも、シーラは感じませんか? 私は今、あなたとのつながりを明確に感じています」
火照ったままの顔であおいはあたしを見つめてそう言う。あたしはその優しい笑顔があまりに可愛らしくて思わず目眩を起こしそうになるが、なんとか冷静さを保つ。そして胸に問いかけ、あおいとの繋がりを確認した。
「ホントだ……あたしたち、繋がってるよ!」
「はい」
あおいは自らの足で立つと、目を閉じあたしに残った魔力を送ってくれる。すると、身体に魔力が満ちていくのをあたしは感じた。
魔力転移で疲れたのか、あおいは呼吸を乱れさせている。それでも彼女はあたしに笑顔を見せてこう言った。
「あとは、よろしくお願いします!」
「分かったわ!」
あおいから魔力を受け取ったあたしはすぐさまその場から走り出す。既にもう一刻の猶予もないはずだ。あたしは急ぎその手に魔力石を生成する。しかしそれは、まだ本命の石ではなかった。
『ステラ!』
『お待ちしておりました。ダレルは生気を吸う瘴気をまた発生させています』
『それは尚のこと都合がいいわ』
ステラの報告を聞きあたしはニヤリと笑みを浮かべる。ステラはダレルの注意を引いてくれている。あたしもまた弓を造り出し、ダレルに向けて矢を放つ。するとその矢は予想通りダレルに吸収されてしまった。
すると、こんな狂気に満ちた状態にありながら、ダレルはあたしたちを嘲るように高笑いを上げた。しかし、あたしはそれを全く不快だとは思わなかった。むしろやつが油断していることを確信し、より力がみなぎってきたくらいだ。
あたしは瞬時にその手に大きな魔力石を創り出す。それはもちろん、あおいからもらった魔力とあたしの魔力を合わせて生成したものだ。あたしはそれを光の矢の先端に接合する。そして声を張り上げこう言った。
「これでも、食らえ!!」
気合いの一声とともにその矢を再度ダレルめがけて放つ。矢はまっすぐダレルに向かって突き進む。すると、それを見たやつは他の生気を吸うのと同じ要領で魔力石を口から吸い込んだ。
「よし! 下がるわよ!」
「はい!」
あたしはステラとともにダレルとの距離をとる。そして安全圏に逃げたあたしはすかさずこう叫んだ。
「弾けろ!」
あたしは耳をふさぐ。しかし、待てども待てども魔力石はあたしの呼びかけにピクリとも反応しなかった。
「うそっ!? 弾けて! 弾けてってば!」
再度の呼びかけにも反応がない。あたしはそんな現実に思わず言葉を失う。
すると、あたしが急激に勢いを失っていくのを見て、ダレルはまたしても憎たらしい笑みをあたしに向けた。
「ど、どうして、爆発しないのよ……」
血の気が引いていく。この作戦が失敗したら、もうあたしたちに手は残されていない。あたしは絶望を感じ、その場に崩れ落ちそうになる……。しかし、その時だった。
「シーラ! まだ諦めないでください!」
「あおい!?」
あたしの隣にはいつの間にかあおいの姿があった。そして彼女はあたしの両手をしっかり握りこう言った。
「希望を捨てないでください! 最後まで力をこめてください! あなたには私がついていますから!」
あおいの琥珀色の瞳に灯った炎はまだ決して消えてはいなかった。あたしはそんな彼女を見て、消えかけていた希望を再燃させる。そして、自身が持てる全ての力を結集させ、あたしたちは力の限り叫んだ。
「はああああああああ!!」
もう押し負けるつもりはない。吸収させる気も毛頭ない。万感の思いを込めて、あたしたちは声を張り上げた。そしてついに、その時は訪れた。
「ぐ、ぐおおお!?」
一転して苦しそうにもがき出すダレル。余裕の笑みすら見せていた鬼の面が崩れる。
「うぐおお!?」
ダレルの醜い身体が目一杯膨らむ。そして次の瞬間、
「ぐおおおおおおおおおおおおお!?」
やつは光を放ちながら大爆発を起こしたんだ!
耳をつんざくような衝撃音。やつの内部から溢れ出た魔力が暴風雨のようにあたしたちを吹き飛ばそうとする。しかしそれしきのことではあたしたちはもう倒れない。あたしはあおいとステラと手を繋ぎ、この場を懸命に耐え抜いた。
そして嵐が去り、後に残ったのは、バラバラに砕けたダレルの肉片だった。もはやそれは動くことはなく、再生することも決してなかったのであった。