シーラの隠し球
瘴気の中を突き進み謁見の間を目指す。すると、ダレル邸内には既にそこかしこに人が倒れており、皆苦しそうに呻き声を上げていた。
「見て、衛兵がみんな倒れているわ……」
「さっきまで元気な衛兵もまだ多かったはずです。全員倒れているということは、皆この瘴気にやられたのでしょう」
実際、謁見の間に近づくにつれて瘴気はどんどん濃くなっていた。発生源が謁見の間であるのは明らかだ。あおいは険しい表情で言う。
「味方の精気すらも奪うとは、もはややつは正気ではないようです……」
「そう、みたいね……みんな、気を引き締めてかかりましょう」
あたしの言葉にあおいとステラは緊張した面持ちで頷く。そして視界の悪い回廊を慎重に進んでいると、ふとステラが足を止めた。彼女は目を瞑り、彼女が向いている方へ右手を伸ばしながらこう言った。
「邪悪な気配が一段と近づいています。謁見の間は近いです」
「了解。それにしても本当にこの霧濃いわね。前が全然見えないわ……」
「はい。しかし進んでいる方向は合っています。この気配は、とても人間のものとは思えません……」
ステラの表情からは状況の深刻さが伺える。あたしたちは急ぎ、謁見の間の方へと走った。すると、目的の場所へと辿りついたあたしたちの目に驚くべき光景が広がっていた。
「な!?」
あたしはそれの姿に絶句する。それは確かに、服装からダレルであろうことは分かった。しかしそれは既に人の形をとどめていなかったんだ。
ダレルの肌は赤黒く変色していて、そこかしこがドクドクと脈打ち、血管がくっきりと浮き出ている。また、やつは白目をむき、口は裂け、まるで鬼のような面に変容していた。あたしはそのあまりのおぞましさに思わず吐き気を催しそうになる。
「どうして、あんなことになるの……?」
あたしに疑問に対しあおいが険しい表情のまま答える。
「恐らく、一度に膨大な人々の生気を喰らい、大量に生み出された魔力を制御できず、体内でそれらが暴走しているのでしょう……。完全に肉体が崩壊すればこの瘴気も止まるのでしょうが、やつはギリギリ固体を保っています。このままの状態が続けば、やつは人としての意識を完全に失い、新たなる化け物が生み出される懸念すらあります」
「そ、そんなことが……!? あたしたちはいったいどうすればいいの!?」
「我々がやるべきことは一つ、今すぐやつを始末することです! この瘴気を止めるには、もはやそれしかありません!」
あおいは既に刀に手を伸ばしている。ダレルには色々と聞きたいこともあったけど、こうなった以上、あおいの言う通りあたしたちにできることは一つしかない。あたしは覚悟を決めた。
「分かったわあおい。もう容赦はしない! ステラも、頼んだわよ!」
「はい!」
ステラが中空よりハンマーを出現させる。あたしも彼女に倣い、その手にロッドを出現させる。これにて皆の戦闘態勢は整った。
次に、あたしとステラは早速魔力生成に取り掛かる。するとそれと同時に、なんとダレルの身体から肉片がポトリと地面に落ちたんだ。
「ひっ!?」
あたしの口から思わず短く悲鳴が漏れる。落ちた肉片は瞬く間に十個程度に分裂し、どんどん形を変えていく。そして最後におぞましい一つ眼の魔物へと姿を変えてしまった。それを見てステラが声を荒げる。
「化け物が向かってきますよ!」
彼女の言う通り、グロテスクな魔物は次々とあたしたちに襲いかかってくる。それをすかさずあおいが迎えうつ。
「させるか!」
あおいが気合の一声と共に刀を振るう。並みの相手であればあおいの一撃を凌ぎきることは不可能だ。しかしそれはなんと自身の身体を硬化させ、あおいの攻撃を防いでしまった。
「なんて硬さなの!?」
「それなら、私が!」
あおいの横を抜け、今度はステラが魔物に突撃していく。そして彼女は敵に対し思い切りハンマーを振り抜いた。あたしは、あおいをも凌ぐパワーを誇る彼女なら、こいつらのことも倒すことができると思った。だが……
「なに!?」
魔物はまたしても守りを固め、ステラの攻撃を耐えてしまった。
「うそっ!?」
これにはあたしも動揺を隠しきれない。今までステラの攻撃をまともに受けてダメージを負わなかった相手などあたしは見たことがなかった。あたしはなんとか一矢報いろうと魔術を繰り出そうとする。しかしその瞬間、あおいがあたしたちに対しこう叫んだ。
「二人とも、下がってください!」
彼女は目を瞑り琥珀色の光を身にまとっている。どうやら大技を繰り出すつもりらしい。
「ステラ! 下がるわよ!」
「はい!」
あおいの邪魔にならないように脇に避けるあたしとステラ。そしてそれを合図にしたかのようにあおいは一気に力を解放した。
琥珀色の衝撃波が走る。その力はダレル邸の壁や床を破壊しながら一直線に魔物へと進んでいく。そしてついに、それはやつらを完全に捉えた! 室内に轟音が轟く。これほどの威力の攻撃を食らっては、いくらあの化け物でも耐えられるわけがないと、あたしは確信に近いものを抱いた。しかし、またしてもあたしの予想は外れることとなった。
「……なに?」
目の前の状況を見たあおいの表情が僅かにひきつる。さっきとは違い、敵に大きなダメージを負わせたことは間違いなかった。しかし、今の攻撃をしても、やつらの生命活動を完全に停止させるには至っていなかった。しかもそればかりではなく、傷を負ったはずの魔物たちはなんとその場から再生を始め、ダメージを負う前の元の姿に戻りつつあったんだ。
「ば、バカな、あれでまだ生きているなんて……」
化け物たちの硬さと生命力のあまりの高さにステラは言葉を失う。そしてそれはあたしも同じだ。あたしはあおいの本気の攻撃を一発でも食らえば、敵はすぐにでも戦闘不能になると思っていた。それがまさかその場から傷が癒え始めるなんて誰が考えるだろうか。
あの化け物はいったい何だ。もしかして、あたしは見たことはないけど、あれがゾンビというやつなんだろうか。いやむしろ、ゾンビよりもこっちの方がよっぽど脅威なんじゃないだろうか。あたしはその事実に改めて身の毛もよだつほどの恐怖を感じた。
しかし、怖気づきかけるあたしたちとは対照的に、その事実はあおいの闘争心に火をつけたようだった。
「一撃で倒せないのなら、何度でもやるだけだ!」
あおいは怯むことなく攻撃態勢に入る。すると、それを見たステラも再度自身に気合を入れ直す為、その柔らかな頬を思い切り両手で叩いた。そのせいでステラの頬が晴れてしまったけど、彼女はそんなこと少しも気にする様子も見せず、再度化け物に向かって走り出した。
「はあああ!」
あおい同様ステラも怯むことなくハンマーを振るい続ける。そして二人の攻撃は、敵にさっきよりも大きなダメージを与えることに成功していた。あたしはそんな二人の為に魔力を生成し続ける。
それからしばらくの間二人の攻撃は続いた。その間、ダレルは絶え間なく瘴気を発生させ続け、どんどん人々の生気を吸い込んでいった。このままではダレルは更に力を強めてしまう。あたしはなんとかあいつを止めたかったけど、それはあの化け物によってことごとく防がれてしまった。
ダレルにダメージを与える為には、取り巻きの魔物を倒さないといけない。それでも、やつらにトドメを刺すには何かが足りないのか、あたしたちはなかなか敵の数を減らすことができないでいた。
いくらあおいとステラの能力が高かろうと、戦い続けるのは限度がある。それに、あおいはいつ魔力切れを起こすか分からない。だから早いところなんとかしなくちゃいけないのは間違いなかった。
「でも、あんなやつら、一体どうすれば……」
そう呟いた時、あたしの中である考えが浮かぶ。こいつらはゾンビではないだろうけど、属性的にはゾンビなどと同様アンデット族に属していると見て間違いない。アンデットの弱点は「光」属性の魔術だ。それなら、それはエルフの血を引くあたしの得意技だ。
いつもあたしはあおいやステラに助けられてばかりだ。だから今度こそ、あたしが二人を助ける番だ。あたしはそう決意し、拳を力強く握り締める。そしてあたしは魔物へと急接近し、ロッドを投げ捨てた。この手に魔力石は三つ。これだけあれば、あの技を使うことも可能だ。あたしは大きく深呼吸した。
目を瞑り、左腕を前方に突き出す。そして今度は右手を身体のすぐ近くにセットする。そしてあたしはこう唱えた。
「聖なる矢!」
言霊と共に魔力が解き放たれる。そしてそれは一気に弓の形を造り出した。
「シーラ!?」
あたしの弓を見て驚愕するあおい。あたしの手には、既に魔力で造り出した数本の光の矢がある。ダメージを負った敵ならこれでトドメを刺せるはずだ。弓を構えながら、今度はあたしがみんなにこう言った。
「二人とも! 危ないから少し下がってて!」
「は、はい!」
あたしの言葉を受けて、二人は全力でその場から退避する。
敵の数は残り八体。この数なら十分一掃できる。あたしは弓を引きながら叫んだ。
「貫け、閃光!」
あたしは連続して矢を放つ。矢は次々に敵を捉える。多少狙いが外れようともすぐに微調整し、新たに造り出した矢で敵を射り続ける。魔力はまだまだ潤沢だ。あたしは躊躇うことなく敵を狙い、がむしゃらに矢を射り続けたのだった。
「シーラ! もう十分です!」
不意に、あたしはあおいの言葉で我に帰る。気付くと、一つ眼の化け物は全く動かなくなっていた。
「や、やったの……?」
あたしは肩で息をしながら問う。すると、表情を崩したステラが応えてくれた。
「流石ですシーラさん! 敵は全滅しました!」
どうやら今の攻撃で全ての敵を倒せたようだ。みんなの助けが大いにあったとはいえ、ようやくみんなの力になれたことがあたしは嬉しくて仕方がなかった。
「あたしだって、助けられてばっかりじゃないんだからね」
あたしは息を切らせながらもなんとか笑顔を作ってそう言った。それはかつて「最強」と呼ばれていたあたし、シーラ・リリーホワイトのちょっとした意地だった。
「シーラ……」
あおいがあたしに駆け寄り、身体を支えてくれる。あれだけ激しい戦いをしていたにも関わらず、あおいはほとんど息を切らしていなかった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。あたしよりも、あおいたちの方がよっぽど頑張ったわ」
それは実に正直な想いだった。あたしはあくまで二人が敵を弱らせてくれたからこそ敵を倒すことができたわけで、敵が元気で縦横無尽に走り回られたら、矢を当てる自信はなかったと断言できた。しかし、それでもあおいは首を横に振った。
「いえ、我々では弱らせることはできても、全てにトドメを刺すことは容易なことではありませんでした。大変失礼なことを言わせていただくと、私はあなたを少しみくびっていました。お詫びして、訂正させていただきます」
そんなことを言いつつも、あおいはあたしに笑顔を向けてくれる。そんな風に冗談を言ってくれるようになったあたり、あたしと彼女の心は出会った当初よりも近付いたのは間違いないようだった。あたしはそんな彼女に対抗するように口を開く。
「まだまだあたしの本来の実力はこんなもんじゃないわよ。これからそれを示してあげるわ」
大言壮語を吐きながら、あたしは顔を上げ、本来の敵に照準を合わせる。これ以上ダレルの暴走を許すつもりはなかった。すると、沈黙を守っていたダレルがついに動き出した。
「ぐおおおおおおおお!」
ダレルは全ての手下を失い、怒りの咆哮を上げた。